米国が50年間支援してきて対価を何故まだ受け取っていないか。
これから何を受け取るのか?
これが気になって仕方ない。
harunoshinnさんからいただいた情報を全部読んで
今日になってあることがふと浮かんだこと。
ナチスの進撃の背後にチベットの僧がいた。
ということは?
あ!米国はすでに対価を受け取っているんだ!
チベット考察 その3より
『CIAはチベットで中国人に対して1956年から大規模な秘密工作を実行。
これが1959年の悲惨なチベット蜂起につながり何万人ものチベット人が死んだ。』
『ロジャー・EマッカーシーによってつくられたCIAチベットTask Forceは、チベット
ゲリラ軍と共に1974年までの15年間「ST CIRCUS」コードネーム活動を続けた。
マッカーシーは1959~1961の活動の後、ヴェトナムとラオスで作戦を続ける。』
チベットと僧の力を得るために1956年から大規模な秘密工作をし
蜂起の下地を作り、蜂起を起こし、支援し、チベットの僧の力を手に入れた。
チベット蜂起と同時期にヴェトナム戦争も始まった。
ロジャー・Eマッカーシーはヴェトナムとラオスで作戦を続ける。
これは偶然だろうか?
コードネーム「ST CIRCUS」はSTサーカス。
なんだかとんでもない名前。
サーカスって見世物でしょ。
本当に茶番だね、
サーカスの語源、調べてみた。
ラテン語の「円」(サークル)で、演技する円形の面を意味するそう。
ダライ・ラマに支援してきた50年間ずっと米国はチベットの僧の力を得ている。
湾岸戦争、アフガン、イラク、全部関係してるような気がする。
この力についてはharunoshinnさんご紹介のサイトを読んでください。
内容について私は凄く納得できる。
そしてふとマントラが浮かんだ。
マントラの怖さを以前書いたことがある。
そして今日、「ダライ・ラマ14世」のチャネリングをした。
何とマントラが出てきた。
そして記事を書いてから「チベット」のチャネリングをした。
また意外な答えが返ってきた。
色んな角度から考察するためにのろさんからの情報を紹介します。
-----------------------------------------------
Commented by のろ at 2008-03-29 16:37 x
まゆみさん、すごいですね。イラクのときもそうですが、最近では9.11の真相もはっきりしてきましたけども、一方の言い分だけでは動かないことが重要だと思います。中国側の言い分はどうでしょうか?しらべてみました。ダライラマ一派の行った、3.14暴動事件が中国テレビによって動画としてまとめられています。
■「人民網日本語版」2008年3月21日
http://j.peopledaily.com.cn/2008/03/21/jp20080321_85685.html14日に拉薩で発生した暴力事件の模様(動画)
中央テレビ局(CCTV)は西蔵(チベット)自治区拉薩(ラサ)市で14日に発生した暴行・破壊・略奪・放火事件について、大量に入手した資料や取材報道を通じて、客観的に当時の破壊状況を報道し、暴動分子の狂気ぶりを明らかにした。事実が十分に説明するように、今回の事件は「平和デモ」などではなく、民衆の生命や財産の安全に深刻な破壊をもたらす重大な暴力犯罪事件だとした。(編集KA)
動画はこちらから:
http://space.tv.cctv.com/act/video.jsp?videoId=VIDE1206170566970764 英語板
3.14事件記録動画、画像等
http://space.tv.cctv.com/podcast/lasa314jishiCommented by のろ at 2008-03-29 16:41 x
■チベット自治区主席、ラサの殴打・破壊・略奪・放火事件について語る 2008/03/18 -1
http://jp.china-embassy.org/jpn/zt/zgxz/default.htmから
・・・チベット自治区のチャンパ・プンツォク主席は17日、ラサ(自治区の区都)で発生した殴打・破壊・略奪・放火事件について記者会見し、今回の事件の状況について、次のように述べた。
---略
3月14日、ラサの市街地で殴打・破壊・略奪・放火という重大な暴力犯罪事件が発生した。これはダライ・ラマ集団が組織的に、計画的に、綿密に画策、扇動し、分裂を企む内外の「チベット独立」勢力が結託してつくり出したものだ。複数の僧侶が14日午前11時ごろ、小昭寺(ラモチェ)で当直の警察官を石で攻撃し、その後、一部の暴徒が八廓街(バルコル)に集まって、国家の分裂を求めるスローガンを叫び、ほしいままに殴打・破壊・略奪・放火を行った。
Commented by のろ at 2008-03-29 16:45 x
■チベット自治区主席、ラサの殴打・破壊・略奪・放火事件について語る 2008/03/18-2
この事件の発端は、3月10日に複数の不法分子が違法な集会を開きトラブルを起こしたことにさかのぼる。不法分子は警察の勧告を無視し、「チベット独立」のスローガンを叫び・・・当直の警官に暴力的攻撃を加えた。
---略
これまでに私が得た情報によると、今回ラサで発生した殴打・破壊・略奪・放火の暴力事件で、暴徒は車両56台をたたき壊し、焼き払い、罪のない市民13人を焼き殺しまたは切り殺した。当直の公安と警察関係者数十人(うち4人が重傷)、武装警察関係者61人(うち6人が重傷)が負傷した。暴徒は300カ所余りに放火し、民家・商店214軒を焼き払った。暴徒は八廓街、林廓北路、色拉路、納金路、二環路、北京中路などを中心に、殴打・破壊・略奪・放火を行った。ラサ市第二中学、海城小学校、冲賽康マーケット、中国銀行チベット支店北京東路出張所、電信移動の営業所および、新華社チベット支局やチベット日報などの報道機関、複数の政府機関が殴打・破壊・略奪・放火に遭った。
Commented by のろ at 2008-03-29 16:47 x
■チベット自治区主席、ラサの殴打・破壊・略奪・放火事件について語る 2008/03/18-3
特に指摘しなければならないのは、今回の殴打・破壊・略奪・放火事件で暴徒が恐るべき、極めて残忍な手段を使ったことだ。例えば、罪のない市民1人が、暴徒にガソリンをかけられ、無残に焼き殺された。また、暴徒は当直の武装警官1人を棍棒でなぐって失神させ、臀部のこぶし大の肉を刃物で切り取った。
---略
憤りを感じるのは、ダライ集団と西側諸国の一部の人々が、暴徒の殴打・破壊・略奪・放火行為を「平和的デモ」と言いくるめ、我々が人民大衆の生命・財産の安全と社会の秩序を著しく害するこの暴力行為を法に基づいて取り締まっていることを「平和的デモを鎮圧」するものと言いくるめていることだ。まったく黒白転倒、言語道断だ。このような暴挙を容認する民主・法治国家が世界のどこに存在するかお聞きしたい。この事件を処理する過程において、我々の公安と武装警察が極めて自制的な態度をとり、法に基づく法執行、文明的な法執行を貫いたことも、ここで皆さんに明らかにしたい。事件処理の全過程で、いかなる殺傷武器も携帯、使用していない。
Commented by のろ at 2008-03-29 17:03 x
このチベット自治区主席の話は一連の動画で確認することができます。
まず考えるべきことは、ダライラマが追放される前にチベットでどのような支配をおこなっていたのか、だと思います。
前回紹介した下記のチベット人のロュ(x) 長豪と高元美共著の本のサイトだけども、もともとは日中愛好協会(正統)(チベット問題資料館)というとこにあったものだけど、
http://maoist.web.fc2.com/tib/index.html 紹介してすぐに、元サイトに戻れなくされたようです。知られてはまずいものだったようです。
ロュ(x) 長豪 高元美 共著 「新しいチベットを行く」 北京 外文出版社(1978年)
http://maoist.web.fc2.com/utopia/tib000.htmCommented by のろ at 2008-03-29 17:13 x
ダライラマにとって知られたくないこと。
http://maoist.web.fc2.com/tib/nod000.htm『塑像群《農奴の怒り》』[北京 外文出版社(1977年)]
旧チベットは、「政教合一」(政治・宗教の一体化)、僧侶、貴族の専制による封建農奴制社会であった。ダライ・ラマをかしらとする三大領主、すなわちチベットの地方政府、寺院、貴族がすべての土地と山林および家畜のほとんどを占有していた。
チベット人口の95パーセント以上を占める農奴と奴隷は、・・・
「抑圧のあるところには、抵抗がある」。百万の農奴が、農奴主階級の剣や銃、過酷な刑罰に屈したことは、かつて一度もなかった。歴史の記録には、1818年、チベットの北部尺牘県の農奴が、むしろ旗を押したてて蜂起したと記されている。かれらは女農奴ホラームの指導のもとに、「官吏打倒! 一切のウーラー労役の廃止!」というスローガンをかかげて、反動的な県政府を攻撃し、県長を絞殺した。それ以来、各地でおこった農奴の大規模な闘争は、50年のたたぬ間に、すでに百回をこえた。解放を目指す不とう不屈の闘争は、次々とたえることなくくりひろげられ、農奴主階級の反動勢力に手痛い打撃をあたえた。
-----------------------------------------------
以上です。
追加で以前いただいたコメントもついでに載せておきます。
のろさん、ありがとうございました。----------------------------------------------
Commented by のろ at 2008-03-23 21:20 x
何度もおじゃまです。
毛沢東の少数民族に対する態度は非常に立派なものです。だから、当時のチベット社会がとんでもない社会にあったに違いないと考えて、どうだったのか、調べてみました。
ダライラマを頂点とする暗黒と恐怖の封建農奴制の社会。
「八日後、子供たちは供物の代わりに殺された・・・ダライは読経のたびに大勢の生きた人間を殺し、その頭、血、心臓、肉を生けにえとしてそなえるのだ。その年はちょうど全国解放の直前だったので、ダライはラサの広場でお経をあげ、中国革命と中国共産党を呪った。」 「ラサには「サソリの穴」が二つあった。一つは八角街に、もう一つはポタラ宮のとなりにである。民主改革前には、たくさんの農奴がサソリのうごめく穴に投げ入れられて、無惨に殺されたのであった。」
ロュ(x) 長豪 高元美 共著 「新しいチベットを行く」 北京 外文出版社(1978年)
http://maoist.web.fc2.com/utopia/tib000.htm出口王仁三郎著「霊界物語」に確か、ヒマラヤあたりに極悪の大黒主(おおくろぬし)がいるという1節があったあったけど、もしかしたらこのことかしらとふと思ったのであります。
----------------------------------------------