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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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偉大なジャンプ(突然変異)


ワークショップ用のノートより

ユング「深層無意識の核となる原始心象こそ、神と人間との深い関わり合いに関する最古の知識が埋没する膨大で無意識の宝庫である。心の深い闇の中にひそむ宝庫の扉を開き、そこに山積みする素材を解明し、新たな生命を吹き込んで現意識に統合することで、人類という種の偉大なジャンプ(突然変異)を可能にするのだ」


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古いノートより(預言者)


預言者→ヘブライ語でナービー

未来を言い当てる超能力を誇示するためではなく
現在をそれにふさわしく生きるようにと説くため

荒地に生まれる
生きることの難しい場所ゆえに生命を育むのは
人間を超えた神の力であると身を以て知ることのできる場所
預言者はここから身を起こし、都会の生活を批判した


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ライプニッツ


昔のノートより

1714年
微積分の発見者ライプニッツ

ある形而上的な真の実在が物の世界の
基底に隠れており、物の世界を
生み出す、と述べる。

空間・時間、物理学における
質量と運動、およびエネルギーの
変換は、彼によると
知的な構造物なのである


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「デジャブ」と「平行宇宙」


mayu 017


この前、コメントで書いた「デジャブ」
90年頃の閃きノートにこう書きました。
私が思うデジャブです。

Déjà vu

昔、あったことを思い出すのではなくて
向こう側の世界からの相応



朝日のビッグデータと人工知能の記事が面白かった。(紙の新聞)
その流れで久しぶりになんちゃって物理の本をちらっと再読。
私は自分の経験と照らし合わせて多世界・平行(並行)宇宙論が好きです。

「ドイチェの脳」と呼ばれる量子コンピュータ脳で
私の閃いたデジャブを考えてみよう。

二者選択で分裂して枝分かれしていっても
量子コンピュータ脳の場合は向こう側の世界の情報を記録して
また戻ってこれるんです。

二つに枝分かれした場合、二つの世界の情報を記録して
元に戻ってくる。また一つになる。
一つになった脳は二つの世界の情報を保持することになる。

これで考えると「向こう側の世界からの相応」は
結構いい線いってるんじゃないかと自画自賛。

ついでに書いておくと
夢の体験はまさしくあちら側の世界の体験だと思ってます。
選ばなかった別の世界の体験。

////////////

ドイッチュの本「無限の始まり:ひとはなぜ限りない可能性をもつのか」を
難しそうだけど読んでみたいな。

エヴェレットの多世界

デイヴィッド・ドイッチュ

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善と悪


snap_cocorofeel_20106211575.jpg


絶対的な善、悪は存在しない。
存在するとしたらそれを考えているその人自身の頭の中だけ。
断片的思考。


98年に書いた悪(HPに掲載)
メッセージNo.3(1998年1月5日)

悪?
これもかなり以前に、台所で野菜を煮ているときにパッと浮かんだのですが、普段、皆が
使用している悪という言葉は、野菜を煮る時に出てくるアクのようなもので、本来は同じ
ところから出てきている。料理ではアク抜きということをしますが、アクも摂り方によっ
ては、体にとっていいものだと思います。
"野菜を煮ている時 (火・空気・水) " と "宇宙の源からの顕われのようなもの" の映像
が私には同じようなものに見えるのです。



これで考えると、体にいいもの=健康=善になります。
そうすると偶然にもつい先日、善=全だと思うと書きましたよね。
するとボームの「全体=健康」につながりますね。


直感人間の私にもようやく「善」の意味がくっきりと見えてきたように思います。




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ノート24


15~20年前の閃きノートより
昔のノートって本当は恥ずかしいけれどそれでも載せてます。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201004/27/62/b0086362_12584556.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



論理

理は論じるものではない

論じることによって
真理(神理)から
遠ざかって行く



理窟

理が(真理)
洞窟のような出口のない
狭い場所に
とじ込められている



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ノート23


一昨日からボームの言葉に
「思考」が出てきているのでちょうどいい機会なので載せてみます。
下にボームの記事をアップしてます。

20~15年ほど前のノートから
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思考
 ↓
死考・死向

考えすぎることは
死に向かうこと


思考によって
真の実在・真理を
得ることは出来ない
何故ならば
真の実在・真理は
生きているから
生命そのものだから


http://pds.exblog.jp/pds/1/200906/10/62/b0086362_11253855.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



ボームの本を読んで「思考」の言葉を考えてみたものです。
思考タイプの文学者などが自殺するのは「死考・死向」なんだと思ったのです。
思考=「死考・死向」の循環にはまったんじゃないかと思った。
考えることは悪いことじゃないけれど、考えすぎるのはよくないなと。

できうるなら
思考が至高へとつながればいいなと。

そのあとまた考えて
思考は歯垢でもあるなと。(笑
歯垢が歯石になって歯を駄目にするように
思考も思石になって人間本体を駄目にするんじゃないかと。


私は普段、思考の言葉を使いません。
考えるを使います。
何故だか、思考と考えるは私の中では違うのです。
理由を考えてみました。

考えるは”勘、感が得る”になりました。

いまこれを書いていて気づいたのは
思考は”思い考える”なんだ。
”思い悩む”が浮かんだ。
考えるとはやっぱり少し違うね。

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ノート 22


20~15年ほど前のノートから

http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/22/62/b0086362_15581167.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



私は素粒子
空間は物体

空間にある物体は自我がない!




これは夢で体験したことです。

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ノート 21


20~15年ほど前のノートから
http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/21/62/b0086362_14302898.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



秩序

人間と地球(宇宙)を結ぶ 
連絡通路のようなもの



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ノート 20


20~15年ほど前のノートから

http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/02/62/b0086362_120416.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



透明な球体の
向こう側に
存在する色

その
存在する色の表面を
球体は移動する

あるいは
滑り落ちる



何といっても神秘的なことは
存在するすべてのもの
(もちろん不可視なものも含む)
とものとの間のギャップの上を
透明な球体が立ち止まり
そして滑る落ちる姿


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