読みかけ途中で放りっぱなしの情報科学(理論)の本を開いている。
数日前からブラックホールのページを読んでいるんだけど、
私が以前考えた「最終覚醒」にチラッと似ているような気がしたので
今日はそれを書いてみようかな。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200902/21/62/b0086362_1330954.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>「最終覚醒」の言葉を聞いたのはもう5年以上前になるかな。
インドのある聖人?のお弟子さんという人が一週間の予定で
わざわざ沖縄まで私に会いにこられその席で聞いた言葉。
仮にその人をAさんとしましょう。
覚醒の言葉自体、興味もないのにそこにいきなり
「私は最終覚醒をした者です」といわれてもなんのことやら。
Aさんによると、覚醒にも段階があるそうなんです。
このAさんに私はヴィシュヌだと言われたんですね。
「まゆみさんは最終覚醒をしましたか」とも尋ねられました。
Aさんを観察して思ったのが
上級クラスの瞑想者だというある人とタイプが似ているなということ。
上から目線はいいとしても
そういう人が覚醒した人だったら嫌だなっていうこと。
傲慢の人だらけのそんな世の中おかしいと思った。
ある夜、友人ともども集まって「最終覚醒」についての話し合いの場を持ちました。
その席でいきなり私はAさんに向かってこう言いました。
「私の考えが合ってるなら、あなたは最終覚醒をしていませんよ。」
いきなりのまゆみストレートパンチ。
私って本当に嫌われることを言うんです。
でもAさんは面白い人だし個性的だから嫌いじゃないのに
これで私に嫌われたと思ったのかAさんは来なくなってしまった。
これくらいで懲りないで欲しいな。
さて私が考える「最終覚醒」です。
当時、Aさんに伝えたものをそのまま、少し丁寧に、
童話っぽく書いていきますから想像しながら読んでみてください。
でも相変わらずぶっ飛びですよ。
私は何か分からないことがあるときは
大きなことを小さなことに、小さなことを大きなことに、
置き換えて考える癖があります。
そこで人間の身体を宇宙として考えました。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200902/21/62/b0086362_1331149.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>私たちの身体の内側を全宇宙としましょう。
身体の中にしか存在できない細菌やウイルスのような生きものを人間としましょう。
細菌やウイルス(人間)たちはみな、自分たちが生きやすい場所で生きています。
しかし彼らは、この身体の内側でしか
生きることができないのです、存在できないのです。
物理的に外に出ることは一切できないのです。
だから身体の外見、外側の世界を知ることは一切できないのです。
完璧にノー。
外の情報も一切入ってきません。
しかし、身体の外側の世界があることを何となく感じ取っています。
僕たちがいるこの身体の外見はどんなだろう、と想像するものもいます。
ある日、Bという名のチャレンジャー君が
身体内の脳や臓器や血管や骨や筋肉を隅から隅まで旅しながら、
ついに身体のおおよその外郭(全宇宙の)を認識したとしましょう。
これを仮に覚醒とします。
そんなある日、
宇宙開闢以来の一大事が起きてBが身体から外に出ることになったのです。
身体から外に出る途中でBが体験することは言葉に出来ないほどでしょう。
ます出る途中で生命が消えるでしょう。
仮にBが一瞬、身体の外面や世界をみたとしても
それを内側にいるものに伝えることは一切できない。
「アッ」です。
これが「最終覚醒」なんじゃないかと思ったのです。
どうですか、伝わりましたか?
最後のほうが、ちょっとブラックホールに似てませんか?
LHC実験もある意味、この外部の世界をみるために行われているものでしょうね。
「悟り」についてどう思うかとAさんに質問されて答えましたが、
Aさんには言わなかった「悟り」の一つは前にも書いたように
「悟り」とは「我は小さきなり」です。
どんなに知ることが出来ても成長しても進化しても
「我は小さきなり」と思い生きることが「悟り」だと思ってます。
悟りの漢字にそう書いてあるでしょ。
でも「覚醒」という言葉、やっぱり昔も今も全く興味ないな。
覚醒を目標にして生きるなんて、私にはつまらない。
「我は小さきなり」で生きるほうがどんなにかいいか。
追伸
Bはもちろん外側では生きていけないけれど
でも案外生きているかもしれません。(これは私の希望)
でも内側では一切知ることはできない。
万が一、生き延びて身体の外見をみたら驚くだろうな。
顕微鏡でしかみえないちっちゃな生きものが
人間の足元に立って人間を見上げてみてください。
そして周囲を見渡したら…
ね、凄くない!?
うう~ん、凄いけれどね、でも、でも、これだけなんだよ。
そのうち、見飽きない?
だったらまた別の人間や世界を探索すれば?
うう~ん、また同じじゃないかな。
やっぱり神は退屈なんだろな。