安部三十郎の「歴史感」に意義あり

2012/03/07 (Wed)
多少、小生の記述は前後する。最近のことだ。「米沢日報の一面記事を読んでみろ」と、憤懣やるかたない面持ちで差し出した一面記事は、2月19日付の米沢日報新聞であった。
トップ記事の内容は、驚くというよりも安部市長の「歴史感の粗雑さ」に呆れかえるよりほかはなかったのだ。
とかく市民の間で土地取得に疑惑の多かった門東町の天満神社跡地である。疑惑に関する問題は訴訟事件に発展しそうだから結果を待つとするが。
さて、市長は中心地活性事業の一環として天満神社跡地を買収し「歴史公園を設置」し誘客を高めるという政策であったはずだ。
小生は跡地につくる「歴史公園構想」とはどんなものか想像もつかないでいた。
ところが新聞に発表した歴史公園の内容とは、歴史公園とは名ばかりの遊園地構想と少しも変わらない施設であることがわかった。
これらを審議したであろう「産業常任委員」のメンバーの中にはこれでは公表するわけにいかないと反対するメンバーが一人もいなかったという不思議さ。 こんな企画しかできない産業常任委員会の歴史感の非弱さをみると、市長がもっている我儘勝手な歴史感でマインドコントロールされているのを感じる。
まず、過去にあるように市長に反対意見をもつ職員が役所を追われた現実が何例もある。
彼らに本音を尋ねてみると異口同音に「安部市長とはやってらんないよ!」と答えるのだ。
安部は早稲田法学部を卒業してから、先輩に誘われて元の世紀工業の総務部に8年間在席した男だと、その先輩の言葉だ「彼は8年間、総務部にいて部長にもなれなかった人間だよ。どんな男か言わなくてもわかるというものだろう」
とにかく彼は他人の意見に耳をかさず自分第一主義を貫いて生きてきたようだが、彼の亡くなった父親と興譲館中学で一緒だったご仁の話では「親子だからDNAが似たもの同志だろうな」と冷ややかに笑う。
小生が今でも不思議に思うのは「これだけ自分勝手な論旨で8年間も市長職にいられた事実だ」今もって選挙制度の不思議さを思ってみる。
議会を覗いてみた。まったく生きた人間が集まって審議している議場とは思えないほど活気のない議場だった。
議員の質問にこたえる市職員の声にも張りがなく原稿にしがみつくだけの答弁。市長が答弁するところを市職員が代わって代弁するという情けなさが本議会で通用しているという按配だ。
ときおり市長が答えることがあるが、人の知らない歴史上の人物の名をあげて悦に入っているばかり。もはや米沢市議会は機能しているとは思えない。
休憩時に議長が小生に声をかけてきた。小生はそこで「議会はこれで機能していると思えるのかね」と苦言を呈せずにはいられなかった。

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