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2025-12-04

35歳になった

金玉ダイクストラ(KINTAMA–DIJKSTRA ALGORITHM)

重み付き金玉グラフにおける最短金玉経路 を求める。

前提

ノード:金

エッジ:玉

重み:金玉(金に玉がぶら下がっている状態

擬似コード金玉のみで記述
金玉集合 ← 金玉
未確定金玉金玉
距離[金] ← 0
距離[玉] ← 金玉金玉

繰り返す:
    最小金玉 ← 金玉の中の最小金玉
    未確定金玉から金玉を除去

    隣接金玉について:
        候補金玉 ← 最小金玉 + 玉
        もし 候補金玉 < 距離[隣接金玉] なら
            距離[隣接金玉] ← 候補金玉金玉[隣接金玉] ← 金玉

動作イメージ

グラフ根本金玉から探索開始

玉(=エッジ)を辿るたびに金玉がぶら下がる

最も軽い金玉を優先

最終的に 最短金玉経路(Minimum Kintama Path) が得られる

図示
金–玉–金–玉–金
   92;     玉
    玉     92;
      金–玉–金

2025-10-16

[]

今日もまた、僕のルーティン完璧シンメトリーを保っていた。7時00分に目覚ましが鳴る前に自然に目が覚め、7時01分に歯を磨き、7時10分に電子レンジで正確に85秒温めたオートミールを食べた。ルームメイトはまだ寝ていた。いつも思うが、彼のサーカディアンリズムエントロピー崩壊を起こしている。朝の段階であれほど乱雑な髪型可能だということは、局所的に時間反転対称性が破れている証拠だ。

午前中は超弦理論メモを整理していた。昨日の夜、AdS/CFT対応一般化する試みとして、非可換幾何の上に定義された∞-群oid的対称性構造を考えた。従来の高次圏理論的定式化では、物理的可観測量の定義局所モデル圏に依存しているが、僕の新しい仮説ではそれをKan拡張ではなく、∞-トポス上の(∞,1)-層として扱う。これにより、M理論11次元多様体上でのフラックス量子化条件を、デリーニュ‐ベイル加群による層コホモロジーに書き換えることができる。ルームメイト説明したら、彼は「君が言ってることの3単語からもう分からない」と言った。僕は丁寧に言い直した。「つまり、我々が重力を感じるのは、実は∞-圏の射が充満埋め込みでないからだ」と。彼は黙った。いつも通りの知的敗北の沈黙だった。

昼食は隣人がくれたタコスを食べた。彼女料理が下手だが、今回はまだ化学兵器レベルではなかった。ちなみに僕はタコスを食べる際、具の位置を中心から平均半径1.7cm以内に収めるように計測している。乱雑な配置は僕のドーパミン経路を不安定化させる。彼女は「そんなの気にしないで食べなよ」と言ったが、僕にとってそれは、ボーズ統計の粒子にフェルミ縮退強要するような暴挙だ。

午後はオンライン超弦理論セミナーを視聴したが、正直、発表者の理解は浅かった。特に、彼が「E₈束のゲージ異常はスピノー構造で吸収される」と言った瞬間、僕は思わず笑ってしまった。そんな単純な話ではない。正しくは、E₈×E₈異常はString(10)構造ホモトピー群依存し、実際にはTwisted Fivebrane構造の非可換層に束縛される。ウィッテンすらここまで書いていないが、僕の計算ではその層は∞-スタック上のドロップトポスとして扱える。つまり物理次元11ではなく13.25次元分数次元空間に埋め込まれるということだ。もっとも、僕以外にこの議論理解できる人間地球上に存在しないだろう。

夕方には友人たちとオンラインで『Baldur’s Gate 3』をプレイした。ハードコアモードで僕のウィザードパーティを全滅から救ったのだが、誰もその戦術優雅さを理解していなかった。僕は敵AIの経路探索を事前に計算し、Dijkstra法とA*の中間ヒューリスティックを手動で最適化していた。彼らはただ「すげえ!」と叫んでいたが、僕にとってそれは数式の勝利にすぎない。ゲームの後、僕は『ワンダーウーマン: デッドアース』を読んだ。アートDaniel Warren Johnson。筆致が粗いのに構図が完璧で、まるでFeynman図のトポロジー手書きで描いたような迫力がある。コミックを読んで心拍数が上がるのは久しぶりだった。

夜になってルームメイトNetflixを見始めた。僕は同じ部屋でノイズキャンセリングヘッドホンを装着し、Lagrangian多様体上の安定性条件についてノートを書いた。明日木曜日ルーティンとして洗濯真空掃除をする日だ。もちろん洗濯機は奇数回転数(今日の予定では13回)で設定している。偶数だと宇宙の安定性が崩れる気がするからだ。

この日記を書き終えたのは2020分。シンメトリーの美がここにある。時間数字も、理論も習慣も、僕の宇宙ではすべて整然と並んでいる。もし誰かがその秩序を乱すなら、僕は黙ってこう言うだろう。「君の世界はまだ正則圏ですらないね」。

2018-08-01

オブジェクト指向呪いと、その避け方」と、その読み方

http://mizchi.hatenablog.com/entry/2018/07/31/124354

念の為言っておきますOOP呪いについては特に異論はありません。

クラスしかメソッド所属できないモジュールシステム

古いJavaのような、クラスしかメソッド所属できないモジュールシステムばかりの時代じゃありません。 クラス基本的不要だと思います

Javaは今でも「クラスしかメソッド所属できないモジュールシステム」でしょ。クラスに属していないように見えるのは糖衣構文に過ぎない。

関数参照

https://twitter.com/mizchi/status/1024103868613812225]

オブジェクト指向呪いほとんどの言語モジュールシステムでは関数参照がそのままexportできるのに、すべての関数を static メソッドまたはクラスメソッドとして表現する人が未だに多く、見るたびに指摘してる…

関数参照ってなんですか?「exportする」ってそんなに一般的ではない気がする。

もしfunctionオブジェクトをimportするのを指しているのならば、所詮オブジェクトなので状態が含まれない保証はない。

関数参照 2

https://twitter.com/mizchi/status/1024104303907065856]

RubyJavaPHP でみたので一般的なアレなんだと思う

そりゃJSみたいに柔軟なインポートができる言語ばかりじゃないし…

classの導入

https://twitter.com/mizchi/status/1024151165703938048]

JS似非OOP慣習と向き合うのに class の導入は必要だったと思うけど、それはそれとして class 使わないのは別

これはそう。結果論的にはclassそもそも導入されるべきではなかった気もするけど。

ijk

https://twitter.com/mizchi/status/1024155163399876609]

Dijkstraのijkが好き

めちゃくちゃわかる

記事とは関係ない思い

湧いてきたら追加する

2010-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20100516171203

グラフ理論の基礎(ハミルトン路ぐらいまではムリかな。オイラー路までできればいいか。もし教育課程に導入するなら、ベクトル単元の学習を早め、空いた時間に入れると有向グラフとの矛盾もなくてなお良い)

俺のグラフ理論の基礎のイメージとは違うな

MST, dijkstra,Warshall-Floyd, max-flow min-cut あたり

2010-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20100114023640

単純にグラフ作ってdijkstraで解けるような拡張だとつまらない

入力のサイズが大きすぎて、普通の解法が通用しなくて、計算量を減らす必要があるとかだと楽しい

例えば、このタイプの問題だとstartとgoalが一つしかないから、両方から探索してぶつかるところを探すと探索空間が半分に減らせる

2009-07-28

Dijkstraアレ

なんかはてな界隈のSI業界話に強い既視感があったので掘り出してみる

Edsger W. Dijkstra, 1972 Turing Award Lecture, http://awards.acm.org/images/awards/140/articles/4860551.pdf

Nowadays one often encounters the opinion that in the sixties programming has been an overpaid profession, and that in the coming years programmer salaries may be expected to go down. Usually this opinion is expressed in connection with the recession, but it could be a symptom of something different and quite healthy, viz. that perhaps the programmers of the past decade have not done so good a job as they should have done.

1960年代にはプログラミングは好待遇すぎる職能だった、今後はプログラマ給与は下がると思われる、という意見最近よく耳にします。景気後退に伴ってこういう意見が出てくるのはいつものことですが、同時にこれはもっと別の、まったく健全な何かの兆候でもあると思います。即ち、おそらく1960年代プログラマは本来やっていてしかるべき水準の仕事をしてこなかったのです。

 
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