安永2年 (みずのとみ 癸巳)
年(年号) | |
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
・ 与謝 蕪村 | 1716年〜1783年(享保元年〜天明3年) | 57才 |
・ 田沼 意次 | 1720年〜1788年(享保5年〜天明8年) | 53才 |
・ 平賀 源内 | 1728年〜1779年(享保13年〜安永8年) | 45才 |
・ 杉田 玄白 | 1733年〜1817年(享保18年〜文化14年) | 40才 |
・ 中川 淳庵 | 1739年〜1786年(元文4年〜天明6年) | 34才 |
・ 伊能 忠敬 | 1745年〜1818年(延享2年〜文政元年) | 28才 |
・ 長谷川 平蔵 | 1745年〜1795年(延享2年〜寛政7年) | 28才 |
・ 塙 保己一 | 1746年〜1821年(延享3年〜文政4年) | 27才 |
・ 司馬 江漢 | 1747年〜1818年(延享4年〜文政元年) | 26才 |
・ 並木 五瓶 | 1747年〜1808年(延享4年〜文化5年) | 26才 |
・ 大田 南畝 | 1749年〜1823年(寛延2年〜文政6年) | 24才 |
・ 蔦谷 重三郎 | 1750年〜1797年(寛延3年〜寛政9年) | 23才 |
・ 笠森 お仙 | 1751年〜1827年(宝暦元年〜文政10年) | 22才 |
・ 桂川 甫周 | 1751年〜1809年(宝暦元年〜文化6年) | 22才 |
・ 喜多川 歌麿 | 1753年〜1806年(宝暦3年〜文化3年) | 20才 |
・ 鶴屋 南北 | 1755年〜1829年(宝暦5年〜文政12年) | 18才 |
・ 大槻 玄沢 | 1757年〜1827年(宝暦7年〜文政10年) | 16才 |
・ 松平 定信 | 1758年〜1829年(宝暦8年〜文政12年) | 15才 |
・ 葛飾 北斎 | 1760年〜1849年(宝暦10年〜嘉永2年) | 13才 |
・ 山東 京伝 | 1761年〜1816年(宝暦11年〜文化13年) | 12才 |
・ 酒井 抱一 | 1761年〜1828年(宝暦11年〜文政11年) | 12才 |
・ 高橋 至時 | 1764年〜1804年(明和元年〜文化元年) | 9才 |
・ 十返舎 一九 | 1765年〜1839年(明和2年〜天保10年) | 8才 |
・ 滝沢 馬琴 | 1767年〜1848年(明和4年〜嘉永元年) | 6才 |
・ 雷電 為衛門 | 1767年〜1825年(明和4年〜文政8年) | 6才 |
・ 佐藤 信淵 | 1769年〜1850年(明和6年〜嘉永3年) | 4才 |
・ 近藤 重蔵 | 1771年〜1829年(明和8年〜文政12年) | 2才 |
・ 徳川 家斉 | 1773年〜1841年(安永2年〜天保12年) | 0才 |
1773年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 08:14 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1750年代 1760年代 1770年代 1780年代 1790年代 |
年: | 1770年 1771年 1772年 1773年 1774年 1775年 1776年 |
1773年(1773 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
他の紀年法
- 干支 : 癸巳
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2315年 - 2316年
- イスラム暦 : 1186年 - 1187年
- ユダヤ暦 : 5533年 - 5534年
- ユリウス暦 : 1772年12月21日 - 1773年12月20日
カレンダー
できごと
- 7月21日 - ローマ教皇クレメンス14世、イエズス会の解散を命じる[要出典]。
- 10月13日 - シャルル・メシエが子持ち銀河を発見[要出典]。
- 12月16日 - ボストン茶会事件起こる[要出典]。
- アドベンチャー湾が発見される。
- ロシア帝国にてプガチョフの乱起こる(-1775年)。
- イギリスにて茶法制定。
- 新潟焼山が噴火。
誕生
- 2月9日 - ウィリアム・H・ハリソン、第9代アメリカ合衆国大統領(+ 1841年[1])
- 6月13日 - トマス・ヤング、科学者(+ 1829年)
- 6月16日 - ルイジ・ローランド、解剖学者(+ 1831年)
- 7月16日 - ヨセフ・ユングマン、言語学者、詩人(+ 1847年)
- 8月30日 - ポラック・ミハーリ、建築家(+ 1855年)
- 9月25日 - アゴスティーノ・バッシー、昆虫学者(+ 1856年)
- 10月6日 - ルイ・フィリップ、オルレアン朝のフランス国王(+ 1850年)
- 11月18日(安永2年10月5日)- 徳川家斉、江戸幕府第11代将軍(+ 1841年)
- 12月21日 - ロバート・ブラウン、植物学者(+ 1858年)
日付不詳
死去
- 1月3日(安永元年12月11日) - 山路主住、和算家(* 1704年)
- 2月20日 - カルロ・エマヌエーレ3世[2]、サルデーニャ王(* 1701年)
- 4月4日(安永2年3月13日) - 瀬川菊之丞 (2代目)、歌舞伎役者(* 1741年)
- 7月12日 - ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、作曲家・フルート奏者(* 1697年)
- 10月16日 - アフマド・シャー・ドゥッラーニー、アフガニスタン王(* 1723年)
- 10月30日 - ピエール・ゲピエール、建築家(* 1715年頃)
- 11月19日(安永2年9月25日) - 吉益東洞、漢方医(* 1702年)
フィクションのできごと
(ゲーム『メタルギア』)
脚注
注釈
出典
- ^ Freeman Cleaves (1939). Old Tippecanoe: William Henry Harrison and His Time. New York: C. Scribner's Sons. pp. 152
- ^ Charles Emmanuel III king of Sardinia-Piedmont Encyclopædia Britannica
関連項目
1773年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:13 UTC 版)
ニコラ・ベルナール・レピシエは、歴史画家として認められていたが、『ファンションの起床』のような新古典主義に通じる秩序を持った風俗画を描いた。 ニコラ・ベルナール・レピシエ『ファンションの起床』1773年。油彩、キャンバス、74 × 93 cm。オテル・サンドラン美術館。
※この「1773年」の解説は、「サロン・ド・パリ」の解説の一部です。
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「1773年」の例文・使い方・用例・文例
- ボストン港で3台の英国の船を襲撃し、港にお茶の何百もの箱を廃棄した(インディアンに変装した)ボストンの市民によるデモンストレーション(1773年)
- 米国の数学者、天文学者で、航海に関する著作で知られる(1773年−1838年)
- スコットランドの植物学者で、流体中の小粒子の動きを初めて観察し、それは現在ブラウン運動として知られる(1773年−1858年)
- 人当たりのいい機知にとんだ英国の政治家で、大部分は、その息子への手紙で知られる(1694年−1773年)
- 米国の海軍将校で、1812年の戦争の間に『憲法』を駆使して、英国人に対する一連の光り輝く勝利を勝ち取った(1773年−1843年)
- オーストリアの政治家(1773年−1859年)
- この学校は1773年に創立された。
- 1773年のページへのリンク