1770年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 08:44 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1740年代 1750年代 1760年代 - 1770年代 - 1780年代 1790年代 1800年代 |
年: | 1770年 1771年 1772年 1773年 1774年 1775年 1776年 1777年 1778年 1779年 |
1770年代(せんななひゃくななじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1770年から1779年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1770年
1771年
1772年
- 2月29日 - 江戸で明和の大火が発生。
- 8月19日 - スウェーデンでクーデター、グスタフ3世の王権確立。
- 第一次ポーランド分割。
- 12月10日(明和9年11月16日) - 日本、改元して安永元年。
1773年
1774年
1775年
1776年
1778年
1779年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1770年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:41 UTC 版)
詳細は「1770年代」を参照 1770年後桜町天皇が譲位し、第118代後桃園天皇が即位。 ジェームズ・クックがイギリスによるオーストラリア東南部の領有を宣言。 フランス王太子ルイ(ルイ16世)とオーストリア王女マリー・アントワネットの結婚。 デンマークでストルーエンセが請願審議官(メートル・デ・ルケット)に就任(「ストルーエンセ時代」 - 1772年) 1771年ベトナムで西山党の乱起こる( - 1802年)。 ヴォルガ川周辺のカルムイク人が東トルキスタンのイリ地方へ移動(トルグート部)。カルムイク人の一部はこの地に残留。 フランスで大法官モプー(英語版)の司法改革によるパリと地方の高等法院の解体。 教皇クレメンス14世がヴァティカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)を公開する。 ロシア支配下のカムチャッカ半島から脱出したモーリツ・ベニョヴスキーが日本に来航するも入国拒否される。 1772年第一次ポーランド分割。 明和の大火(行人坂の火事)。 田沼意次が老中となる。南鐐二朱銀を発行。 1773年教皇クレメンス14世の回勅「ドミヌス・アク・レデンプトール(英語版)」が出される。これによりイエズス会が解散(英語版)となる(- 1814年)。 ボストン茶会事件。 ロシアでプガチョフの乱( - 1775年)。 ウォーレン・ヘースティングズが最初のベンガル総督(のちのインド総督)となる。 1774年キュチュク・カイナルジ条約によりロシアは黒海北岸を獲得。 フランス国王ルイ15世死去、孫のルイ16世が即位。宰相モールパ伯の進言により高等法院が復活。 イギリスでキャラコ禁止法が廃止され、機械輸出禁止法が制定される。 杉田玄白らによる『解体新書』が出版される。 山東省で白蓮教系清水教徒による王倫 (清)(中国語版)の乱が起こる。 1775年スウェーデン人植物学者カール・ツンベルクが長崎に来航。翌年には江戸で将軍家治に謁見。 アメリカ独立戦争( - 1783年)。レキシントン・コンコードの戦い、ボストン包囲戦、ジョージ・ワシントンが最高司令官となる。 アワド太守アーサフ・ウッダウラがファイザーバードからラクナウに遷都。 1776年7月4日、アメリカ独立宣言が採択される。 スペインがリオ・デ・ラ・プラタ副王領を設置。 フランスで財務総監ジャック・テュルゴーが失脚。後任にジャック・ネッケルが就任。 アダム・スミスによる『国富論』が出版される。 エドワード・ギボンによる『ローマ帝国衰亡史』第1巻が出版される。 1777年サラトガの戦い。 バイエルン系ヴィッテルスバッハ家が断絶。プファルツ選帝侯がバイエルン選帝侯位を継承しヴィッテルスバッハ家が統合される。 1778年バイエルン継承戦争( - 1779年)。 ミラノのスカラ座が完成する。 仏米同盟条約の締結。 1779年イランでアーガー・モハンマド・シャーがカージャール朝を開く( - 1925年)。 ハワイ島のケアラケクア湾でイギリス人探検家ジェームズ・クックが現地住民に殺害される。 後桃園天皇が死去する。
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