1730年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1700年代 1710年代 1720年代 - 1730年代 - 1740年代 1750年代 1760年代 |
年: | 1730年 1731年 1732年 1733年 1734年 1735年 1736年 1737年 1738年 1739年 |
1730年代(せんななひゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1730年から1739年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1732年
1733年
1735年
1736年
1739年
- ジェンキンスの耳の戦争勃発。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1730年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:41 UTC 版)
詳細は「1730年代」を参照 1730年オスマン帝国でパトロナ・ハリル(英語版)の反乱、チューリップ時代終わる。大宰相ネヴシェヒルリ・イブラヒム・パシャ(英語版)が殺害され、皇帝アフメト3世が退位させられる。 プロイセンのフリードリヒ王子が逃亡に失敗し捕えられる。 大坂の堂島で世界初の先物取引がおこなわれる。 1731年徳川幕府からの招聘により清の画家沈南蘋が来日する( - 1733年)。 山井鼎・荻生北渓『七経孟子攷文』刊行。 パルマ公国のファルネーゼ家男系が断絶する。 1732年享保の大飢饉。林鳳岡による『華夷変態』が編纂される。 教皇クレメンス12世の命でトレヴィの泉の建設が始まる( - 1762年)。 マラータ同盟の宰相バージー・ラーオによるプネーのシャニワール・ワーダー宮殿が完成する。 1733年ポーランド継承戦争( - 1735年)。 プロイセンでカントン制度(選抜徴兵制)を導入。 ヴォルテールの『哲学書簡』がイギリスで出版される。 ジョージア植民地が設立される(イギリス系アメリカ13植民地の最後)。 1734年ビトントの戦いで、スペイン軍がオーストリア軍に勝利。スペイン王子のパルマ公ドン・カルロスが南イタリアを征服し、ナポリ・シチリア国王カルロ7世として即位。 1735年中御門天皇が譲位し、第115代桜町天皇が即位。 清の雍正帝が死去、最初の太子密建により乾隆帝が第6代皇帝に即位。 1736年イランのサファヴィー朝を滅ぼし、ナーディル・シャーがアフシャール朝を開く。 元文の改鋳。 1737年マラーター王国がムガル帝国の首都デリーを攻撃(デリーの戦い)。 トスカーナ大公ジャン・ガストーネの死去に伴いメディチ家が断絶。 ハノーファー選帝侯国にゲッティンゲン大学が創設される。 1738年教皇クレメンス12世が教皇勅書「イン・エミネンティ」で初めてフリーメイソンを排斥する。 アフシャール朝のナーディル・シャーがギルザイ族を倒しカンダハール・カーブルなど全アフガニスタンを占領。 1739年ジェンキンスの耳の戦争。 ナーディル・シャーのムガル帝国侵攻。ナーディル・シャーが北西インドのラホールを占領。カルナールの戦い。 ムガル帝国の首都デリーを占領、デリー大虐殺、「孔雀の玉座」他の宝物を略奪。 イギリスでジョン・ウェスレーがメソジスト運動を始める。 デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』が刊行される。 ロシア船籍の船が太平洋側にたびたび出没する(元文の黒船)。
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