1740年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 05:47 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1710年代 1720年代 1730年代 - 1740年代 - 1750年代 1760年代 1770年代 |
年: | 1740年 1741年 1742年 1743年 1744年 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年 |
1740年代(せんななひゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1740年から1749年までの10年間を指す十年紀。
ヨーロッパではオーストリア継承戦争が勃発し、ほぼ8年近くに渡って続いた。この戦争は、ヨーロッパの主要国だけでなく、北アメリカやカリブ海、インドまでも戦禍に巻き込んだものになった。
西アジアでは、アフシャール朝(ペルシア)のナーディル・シャーが中央アジアやデリーの占領に成功した後、ペルシア湾沿岸諸国やオスマン帝国と干戈を交えた。一大帝国を作り上げたナーディル・シャーだったが1747年に暗殺される。彼の帝国はガージャール朝やザンド朝の自立により崩壊した。
東アジアは比較的平和な時期であった。清では、乾隆帝のもと、王朝の絶頂期とも言える時代を謳歌していた。1740年代の末頃には十全武功のうちのひとつ、大小金川の戦いが起こり、清はいよいよ最大版図までの拡大を辿っていく。日本の江戸幕府では、将軍徳川吉宗が晩年に至るまで政治に影響力を及ぼしていたが、この時代の終わりには各地で一揆が頻発するようになっていた。
できごと
1740年
- 5月31日 - フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が崩御し、フリードリヒ2世がプロイセン王に即位。
- マリア・テレジアがハプスブルク家を相続、オーストリア継承戦争が勃発。
- ベネディクトゥス14世、ローマ教皇に選出される。
- 乾隆帝、「満洲根本の地」である山海関外への入植を禁ずる。
1741年
1742年
1743年
- フランス国王ルイ15世が親政を開始。
- クリンケンベルグ彗星が翌年にかけて観測される。
1744年
1745年
1746年
- カロデンの戦い。1745年ジャコバイト蜂起の終結。
- スペイン国王フェルナンド6世即位。
- 『菅原伝授手習鑑』初演。
1747年
1748年
1749年
- オーストリア継承戦争の終結を祝い、ヘンデルが『王宮の花火の音楽』を作曲。
- 試合記録が残っているゲームとしては最古の野球の試合が王太子フレデリック・ルイスらによって行われる[1]。
世相
社会
文化
脚注
注釈
出典
- ^ Whitehall Evening Post 1749-09-19. “Baseball: Prince of Wales played 'first' game in Surrey”. BBC News. (2013年6月10日) 2019年6月26日閲覧。
- ^ 山本 2007, pp. 122–123.
参考文献
- 山本博文, ed (2007-10-10). 見る、読む、調べる 江戸時代年表. 小学館. ISBN 978-4-09-626606-9
関連項目
外部リンク
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1740年代
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詳細は「1740年代」を参照 1740年プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世死去、その息子フリードリヒ2世が即位。この年にフリードリヒ2世はヴォルテールに依頼し、オランダで『反マキャヴェリ論』を出版。 神聖ローマ皇帝カール6世死去、その長女マリア・テレジアがハプスブルク家家督を継承。 オーストリア継承戦争( - 1748年)。 オランダ領東インドでバタヴィア華僑虐殺事件。 清朝が漢人の満洲への移住を禁止する封禁令を出す。 1741年ロシアでイヴァン6世が政変で廃位され摂政アンナ・レオポルドヴナが追放される。女帝エリザヴェータが即位。 ジョナサン・エドワーズの説教「怒れる神の御手の中にある罪人」がコネチカット州エンフィールドで行われる。1730年代から1740年代にかけての植民地アメリカにおける「第一次大覚醒」(信仰復活運動)に大きな影響を与える。 1742年松平乗邑らにより公事方御定書が制定される。 教皇ベネディクトゥス14世が教皇勅書「エクス・クオ・シングラリ」にて典礼論争におけるイエズス会の宣教方法を改めて禁止とする。 ロシア人探検家セミョン・チェリュスキンがユーラシア大陸最北端のチェリュスキン岬に到達。 ヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝カール7世が即位(1437年以来のハプスブルク家出身でない皇帝)。 1743年メーワール国王のジャガト・シング2世がウダイプルのピチョーラ湖の小島にジャグニワース宮殿を建設( - 1746年)。 1744年クリンケンベルグ彗星の最接近(「1744年の大彗星」)。 第一次カーナティック戦争。 1745年徳川家重が江戸幕府第9代将軍となる。老中松平乗邑が解任される。 アラビアのサウード家がイスラーム教ワッハーブ派に帰依し同派の守護者となる。 神聖ローマ皇帝カール7世死去、マリア・テレジアの夫君フランツ1世が即位。 1746年ペルーのリマ・カヤオ沖地震(M8.6〜8.8)。 乾隆帝が紫禁城乾清宮養心殿に三希堂を設置する。 カロデンの戦いでチャールズ若僭王の反乱が失敗し、ジャコバイト運動は壊滅。反乱を支持したスコットランドの氏族制度(クラン)を解体するため「1746年の衣装法(英語版)」などの法令が制定される。 1747年桜町天皇が譲位し、第116代桃園天皇が即位。 ディドロとダランベールが『百科全書』の共同編集者となる。 ナーディル・シャーが暗殺され、アフシャール朝から各地に独立勢力が生まれる。カブールを中心にアフマド・シャー・ドゥッラーニーがドゥッラーニー朝(サドーザイ朝)を興す。 ジュゼッペ・カスティリオーネらにより円明園付属の西洋楼海晏堂の建設が始まる。 1748年モンテスキューの『法の精神』が刊行される。 スペインのバレンシア地方のシャティバを中心に大地震が発生。 加賀騒動。 1749年第二次カーナティック戦争。 シェーンブルン宮殿が完成する。 ノバスコシア植民地の新総督府としてハリファックス市が建設される。
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