1720年代
1720年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:41 UTC 版)
詳細は「1720年代」を参照 1720年江戸の町火消(町人による消防組織)の「いろは組」が設置される。 日本でキリスト教以外の漢訳洋書輸入の禁が緩められる。 ハーグ条約。サヴォイア領シチリア島とオーストリア領サルデーニャ島の領有が交換される。 サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世がサルデーニャ王の称号を獲得。 イギリスで南海泡沫事件が起こる。フランスでも同年ミシシッピ計画のバブルが崩壊する。 イギリスでキャラコ使用禁止法が出される。 マルセイユのペスト大流行(ヨーロッパで最後のペスト大流行)。 ハサンプルの戦いで、ムガル皇帝ムハンマド・シャーがサイイド兄弟を倒す。 1721年ロバート・ウォルポールがイギリス最初の首相となる(責任内閣制の始まり)。20年以上にわたる安定政権を築き、戦争回避に努めたのでこの時期を「パクス・ウォルポリアナ(Pax Walpoleana)」と呼ぶ。 ニスタット条約により大北方戦争が終結( - 1700年)。ロシアの勝利による「バルト帝国」スウェーデンの没落。 ロシアはスウェーデンからカレリア・エストニア・リヴォニア・イングリアを獲得。 ピョートル1世が元老院からツァーリ(ロシア皇帝)に戴冠される(ロシア帝国の始まり)。同年にピョートル1世はモスクワ総主教庁を廃止し、聖務会院を設置。 デンマークの宣教師ハンス・エデゲがグリーンランドに上陸し先住民イヌイットに宣教する。 吉宗の命令で全国人口調査が初めて行われる(「子午改め」)。この頃、江戸の人口は100万人を超える。 小石川養生所完成。 1722年オランダ海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーンが南太平洋のイースター島(ラパ・ヌイ島)を発見。 イギリスでアタベリー陰謀事件。 オスマン皇帝アフメト3世によりサーダバード宮殿(英語版)が建設される。 アフガン系ギルザイ部ホタキ朝のミール・マフムードがサファヴィー朝の都イスファハーンを制圧。ナーディル・シャーがサファヴィー朝のタフマースブ2世を擁立し、実権を握る。 清の雍正帝が第5代皇帝に即位。 1723年ジュンガルのカザフ地方侵攻(大いなる災厄(アクタバン・シュブルンドゥ))。 清で改土帰流が行われる。清でキリスト教布教が全面的に禁止される。 足高の制。 1724年神聖ローマ皇帝カール6世が国事詔書で領土の分割禁止に加え女子相続の承認を決定。 シャカル・ケーダーの戦いで、カマルッディーン・ハーンがムガル朝に勝利しニザーム王国を独立させる。 五同志が大坂船場に懐徳堂を創設。 1725年雍正のチベット分割。 ロシア皇帝ピョートル1世死去、その皇后が女帝エカチェリーナ1世として即位。 ローマ市内の「スペイン階段(スパーニャ階段)」が完成する。 1726年『古今図書集成』の刊行。 スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を出版する。 1727年キャフタ条約。 イギリス国王ジョージ1世が死去、ジョージ2世(ジョージ・オーガスタス)が即位。王の名にちなみこの時代をオーガスタン時代またはジョージアン時代と呼ぶ。 モラヴィア兄弟団が結成される。 イブラヒム・ミュテフェッリカによりイスラム教徒最初の活版印刷所がイスタンブルに創設される。 ラージャスターン地方のアンベール王国の君主ジャイ・シング2世が、首都をアンベールからジャイプルへと遷都。 1728年文字の獄で曾静(中国語版)が逮捕され、影響を与えた呂留良の著作が処分される。 徳川吉宗の命でベトナムから象が輸入される。京都で中御門天皇の上覧があり(広南従四位白象)、江戸では将軍吉宗も見物するなど、各地で象ブームが起こる。 天一坊事件。 オヨ王国がダホメ王国を服属させる。 イーフレイム・チェンバーズが『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』を刊行。 1729年清で軍機処の前身である軍機房が設置される。 清の雍正帝により編纂された『大義覚迷録』が刊行される。 コルシカ独立戦争( - 1769年)。
※この「1720年代」の解説は、「18世紀」の解説の一部です。
「1720年代」を含む「18世紀」の記事については、「18世紀」の概要を参照ください。
- 1720年代のページへのリンク