要塞
「要塞」とは、軍事的防衛拠点・軍事的防衛施設のことを意味する表現である。
「要塞」の基本的な意味
「要塞」とは、軍事的防衛拠点や、その拠点で防衛に使用された施設を指す言葉である。敵からの攻撃に対抗するために、砲台などの設備、兵が暮らす環境などが設置された。また、軍事的な司令部が置かれた要塞も少なくない。要塞にはいくつもの形があるが、防衛のための拠点であり、ある程度の規模があれば、ひと通り要塞と呼べる。野戦では、臨時的な陣地が作られることが多い。その陣地を発展させ、防衛環境を充実させたものは、要塞の一種である。要塞は、壁で囲まれ、堅固な建物があるというイメージを持たれやすい。そのような要塞は、永久要塞と呼ばれる。野戦における陣地が発展した要塞とは異なり、永続的に使用することを想定して作られた要塞である。軍事拠点として、永久要塞の機能を維持するには、物資の補給や人員の確保が重要だ。そのため、平常時は人が暮らす都市を、要塞として使用した例が多い。そういった都市は、要塞都市と呼ばれ、有事になると軍事的拠点となった。そして、既存の都市を、有事の際に要塞にできるよう、作り変えられた例もある。そういった、都市に要塞の機能を持たせることは、要塞化と呼ばれる
要塞は原則として、移動することができない。そのため、防衛に使用されるものがほとんどだ。そして、攻撃に使用する場合は、新しい拠点として要塞を作る必要がある。ただ、一から要塞を作ることはもちろん、既存の都市を要塞化するのでさえ、膨大な費用を必要とする。また、近代の戦争においては、飛行機や自動車など、機動力の高い兵器が大量に使用される。その兵器を使用すると、要塞から離れた場所で戦端を開いたり、要塞の攻撃を受けないように迂回したりすることが可能だ。したがって、近代の軍事的戦略では、要塞の重要度はそれほど高くはなく、過去の遺物として扱われる要塞が多い。
日本にも数多くの要塞があり、代表的なものとしては北海道函館にある五稜郭が挙げられる。戊辰戦争の際に、旧幕府軍に占領され、実際に要塞として使用された。また、大阪城も有名な要塞である。堅牢な城に複数の堀があり、攻め込むのが難しい要塞とされた。しかし、豊臣と徳川が戦った大阪の陣では、和平会議により堀が埋められ、要塞としての機能が弱まった。その結果、徳川方に攻め込まれた豊臣方は敗北することとなった。
要塞という言葉は、比喩としても使用される。拠点になり得る軍事力を持った兵器に対する比喩である。かつて戦車が登場した際には、移動する要塞と呼ばれた。また、第二次世界大戦で使用された、アメリカ軍のB-17には、空を飛ぶ要塞という別名がある。しかし、要塞は、移動しない拠点を指す場合がほとんどであるため、移動するものを要塞と呼ぶことはまずない。ただ、創作においては、巨大な生物の背中に作り上げた城郭やキャタピラによって移動できるようにした要塞都市などを、移動要塞と呼ぶ場合がある。
「要塞」の発音・読み方
「要塞」の読みは、「ようさい」である。「要塞」を含む様々な用語の解説
「ネクロスの要塞」とは
「ネクロスの要塞」は、昭和の時代に、菓子メーカーであるロッテが展開していた食玩シリーズである。大魔神ネクラーガの復活を企てる魔術師ネクロスに、ナイトやエルフなどの主人公が立ち向かうというストーリーが軸となっている。食玩の中身は、暗闇で光る蓄光フィギュアと、カードである。その2つを集めると、テーブルトークRPGとして遊べるようになっている。また、食玩のストーリーを元にして、PCエンジンに向けたRPGゲームも作られた。
「要塞」の英訳
「要塞」を英訳すると、「fort」や「fortress」となる。「fortress」の略称として、「fort」が使用されることが多い。いずれも、要塞の中でも、堅固な構造物や充実した設備がある、永久要塞という意味合いが強い。戦場における、構造物や設備が充実していない要塞は、「stronghold」と訳すのが望ましい。【要塞】(ようさい)
Fortress.
攻撃を受ける事、そして長期にわたって撤退不可能になる事を想定して建造された軍事施設。
類義語に「砦」「城砦」「城塞」「城」「堡塁」など。
関連:橋頭堡 軍事革命 松代大本営
要塞の設計・建造意図
戦略的に考えた場合、要塞は以下の三つの意図をもって設計・建造される。
そのどちらの意図を重視するかは場合によるが、ほぼ全ての要塞はそれら三つの機能を兼ね備える。
兼ね備えていなければ、敵側の決断次第で容易に無力化されてしまう。
守勢防御
要塞の第一の意図は、敵が仕掛ける攻撃に耐え、反撃を行い、増援が到着するまでの時間を稼ぐ事である。
通常、固定された要塞に立て籠もるよりも野外で機動力を活かしてヒットアンドアウェイに徹した方が最終的な損耗は少ない。
よって、あえて要塞に立て籠もるのは機敏に撤退する事が許されない場合のみに限られる。
すなわち、撤退する事で甚大な戦略的不利を被る場所を死守する事が守勢防御の目的である。
守勢防御を重視して建造された要塞の最たるものは、国境線である。
当然の事だが、領土の奪い合いはまず最初に国境で始まる。そして何事も最初が重要である。
侵攻側・防御側のいずれにせよ、撤退すれば追撃を受けて蹂躙され、勝てば要塞の中で悠々と増援を待つ事ができる。
ひとたび国境を突破された軍隊は、相手が攻勢限界点に達するまで耐え凌ぐ事を余儀なくされ、その間、領内は甚大な戦災に見舞われる羽目となる。
翻って、攻撃側から見た場合、最初の要塞を突破できなければ開戦直後に攻勢限界点へ達し、敵の逆侵攻を受ける事となる。
また、戦争が想定されない場合でも、密輸業者・スパイ・亡命者の眼前に壁となって立ち塞がる事には大きな意味がある。
攻勢防御
要塞の第二の意図は、敵が要塞を回避し、無視し、奥に浸透しようとする時にこれを阻止する事である。
とはいえ、国境線の全域を分厚い壁や頑丈な柵で覆うのは非現実的であるし、国境線上の全域にわたって兵力を分散させるのはさらに非現実的である。
よって、要塞を回避し、または無視して先に進むのはそれほど難しい事ではない。
そのような場合、要塞に駐留している部隊が出撃し、通り過ぎようとする敵に背後からの奇襲を仕掛けるのが常道である。
また実際、ほとんどの指揮官は要塞からの奇襲を予期してその前で踏みとどまる。
しかしその場合でも、防御側の増援が到着する前に急いで要塞を陥落させなければならない。
戦っている最中に新たな敵が出現すれば挟み撃ちを受ける事になるからだ。
兵站拠点
要塞の第三の意図は、上記二つの意図による作戦が終了するまで兵站を維持する事である。
守勢防御にせよ攻勢防御にせよ、それを実施するためには一定数の兵員が必要不可欠である。
よって必然的に、要塞は部隊を滞在させ、生活させ、平時には訓練させなければならない。
また、攻勢防御に際しては指揮統制や火砲による火力支援、前線で消耗して後送されてきた部隊の休養・再編成の拠点ともなる。
いざ戦闘となれば周辺道路を敵軍に封鎖される事態が予想されるため、要塞には大量の物資を蓄える必要がある。
武器類はもちろん照明や衣服などの生活必需品、食糧、そして何より水を確保しなければならない。
防御戦闘中にそれらの備蓄が尽きれば、残された決断はただ降伏のみである。
よって一般に、増援の見込みがない籠城は、ただ降伏を先延ばしにするだけの時間稼ぎに過ぎないとされる。
中世以前の要塞
中世以前の土木技術と経済規模では、要塞を建造してこれを維持管理するのは甚大な負担であった。
このため、中世以前の為政者は、たいてい自ら治める都市の近隣にひとつの要塞(城)を建設した。
当初の城は、敵側傭兵・民兵の略奪に際して領民と共に立て籠もるための避難所であった。
しかし、時代が下るにつれて裁判所などの平時の行政拠点とも一体化され、為政者自身の邸宅を兼ねるようになった。
そして最終的には、都市全体を要塞とする「城塞都市」へと発展していった。
古代、中世、あるいは近代にあっても兵站が十分でない時、要塞は丸太を組み上げて作るものだった。
しかしそのような木製の柵でも、人が狙撃を掻い潜りながら突き崩すのは容易な事ではない。
また、比較的に裕福な王侯貴族は石材を積み上げて堅固な城塞を構築した。
そうした本格的な城塞は、野戦砲が登場するまで事実上破壊できない無敵の要塞であった。
そうした時代の要塞を攻略するにあたっては、弱点に対する集中攻撃が行われた。
人が出入りする門扉は必ず存在するもので、城の陥落とは即ち門を破って雪崩込んだ敵兵との白兵戦であった。
また「内通者が勝手に門を開ける」「増援部隊や避難民を装って堂々と入城」などの策略に陥れられて占領された例もある。
しかし、そうした城壁に頼る戦術は、野戦砲が実用レベルで投入されると共に廃れていった。
近代要塞
近代以降の要塞は、中世までの要塞とは微妙に異なる思想で構築されている。
まず第一に、近代要塞は野戦砲による集中砲火をなんとしても回避しなければならない。
現代に至るまで、これに対する手段はアウトレンジから敵の野戦砲とそれを操る砲兵を始末する以外にない。
近代の要塞は、巨大で有効射程の長い要塞砲を筆頭とする各種の火砲を備え、それによって敵を迎撃していた。
また同時に、古来より用いられてきた歩兵の浸透戦術を防ぐ策も必須であった。
これに対する近代の解答も、古来の城壁を効率的に進歩させた障害システムであった。
塹壕などの新発想で作られた障害物が敵の歩兵を足止めし、混乱したところに要塞砲が砲弾の雨を降らせ、逃げ惑う敗残兵を守備隊や増援部隊の歩兵・騎兵、あるいは狙撃手が仕留めるのが常套戦術であった。
一方、要塞の設計思想が進化するのと同様、攻撃側の攻略法も徐々に進化していった。
地下トンネル工事や爆薬・化学兵器・生物兵器・火炎放射器など、中世までには存在しなかった新たな戦術も編み出されている。
要塞に浸透して道を切り拓く戦闘工兵も高度に専門化され、洗練されていった。
とはいえ、これらも航空機が発達した第二次世界大戦を境に急激に衰微していく。
艦船への対応
近代になって艦船の技術が進化し、外洋航行が可能になってくると、敵国艦隊による海上侵攻への対処も要塞に求められるようになった。
そのため、軍事・交易上重要な港を擁する湾や入り江の近辺、あるいは内海の小島に要塞が築かれることも多かった。
この目的のために作られた要塞は、魚雷堡や機雷堰・防潜網などの障害システムで艦船の通航を阻み、要塞砲の砲撃で艦隊が被害を受けたところを海防艦や駆逐艦・フリゲート、その他の小型艦艇で掃討するのが普通であった。
一方、艦船から要塞への砲撃は危険が大きく、大損害を覚悟する必要があった。
現代の要塞
このように発達を遂げた要塞であるが、第二次世界大戦を契機とした第六・第七の軍事革命により、急激に衰退する。
航空機の急速な発達により「いかにして航空優勢を相手より先に奪取するか」が戦争の勝敗を左右する要素となった。
ひとたび攻撃側が航空優勢を掌握すれば、動けない要塞はマルチロールファイターによる空爆の的でしかなくなるし、空挺降下で交通路を速やかに封鎖されればたちまち備蓄物資の欠乏に悩まされる。
そしてその間に、機械化された部隊は障害システムを排除しつつ要塞を素通りし、電撃戦により戦果を拡大するであろう。
また、NBC兵器はひとたび使用されれば数万~数十万人の人間を短時間のうちに殺傷し、周辺にも甚大な環境汚染をもたらすことから、皮肉にも国家総力戦を未然に防ぐ抑止力として機能することになった。
こうしたことから、現代の国家・軍隊は要塞を必要としなくなり、構築された要塞の大部分は破壊・放棄されて遊休国有財産となるか、部外者に譲渡されて史跡公園などに変わっていった。
要塞の施設として構築された建物や掩蔽壕が軍事施設(指揮統制や兵站の拠点など)として活用されている事例も多々あるが、これは、不要となった施設(要塞砲の砲台や弾薬庫、守備隊兵員の居住区など)が撤去された跡の空きスペースを利用しているだけのことであり、べつだん要塞でなくても構わない。
一方で、独裁国家では権力を握った為政者が「暗殺の恐怖からの逃避」と「領民への権勢の誇示」を兼ねて、自らの居宅(兼執務場)に、かつての王宮のような偏執的な外観と物理的な障害システムを備えて要塞のようにしてしまうこともままあるし、非対称戦争などの小規模な紛争では、政治的都合によってかなり話が違ってくる。
要塞
要塞(ようさい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 00:20 UTC 版)
「螺旋のプリンセス」の記事における「要塞(ようさい)」の解説
派遣騎士の詰め所兼、取り調べ室兼、仮住まいといった感じの場所。正式名称ではないようだが、派遣騎士の多くが天箱園にいた頃の習慣で「要塞」と呼んでいるらしい。次元の道が通る場所にはよく建てられている。風戸里「要塞」は駅近くの3階建て雑居ビルの2階にあり、見た目は小さな会社か事務所のような雰囲気。
※この「要塞(ようさい)」の解説は、「螺旋のプリンセス」の解説の一部です。
「要塞(ようさい)」を含む「螺旋のプリンセス」の記事については、「螺旋のプリンセス」の概要を参照ください。
要塞
「要塞」の例文・使い方・用例・文例
- 要塞を強襲して占領する
- 徴募兵たちが要塞に到着した。
- 要塞をざんごうで囲む
- 要塞は敵の手にあった。
- 彼らはセメントを全然使わないで要塞の壁を築いた。
- そこでまだ要塞都市の遺跡をみることができる。
- 彼らはその要塞(ようさい)を激しく攻めたてた.
- わが軍は敵の要塞を攻略することができなかった.
- 何度攻撃してもその要塞は落ちなかった.
- 要塞(ようさい)を敵に明け渡す.
- 要塞(ようさい)を守る.
- 軍隊はその要塞を占領し(てい)た.
- 野戦砲兵隊は要塞(ようさい)に向けて続けざまに猛撃を浴びせた.
- 将軍はその要塞(ようさい)が不落であると断言した.
- 援軍が来て要塞(ようさい)の包囲を打ち破った.
- 要塞(ようさい)に降服を勧告する.
- 彼らは要塞(ようさい)を敵に明け渡した.
- 要塞を攻撃するぞという脅し.
- その要塞は空からの攻撃に対してすきだらけだった.
- 要塞(ようさい)を攻略する.
要塞と同じ種類の言葉
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