守備隊
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ナビゲーションに移動 検索に移動守備隊(しゅびたい、英:Garrison)とは、ある特定の地点を防衛する部隊の事である。駐屯軍(ちゅうとんぐん)とも。語源は、フランス語のgarnir garnison(防衛の意)とされている。
概要
守備隊は、主に要塞や軍事基地などの主要地点がある場所に駐屯する部隊であり、加えて基地がある街についても防衛する事例もある。
好例と言えるものに、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウェストポイントがある。ウェストポイントは、現在はアメリカ陸軍士官学校の通称として知られ、現在では軍人とその家族が住む街として有名であるが、元々はジョージ・ワシントンによって、1778年に建設された要塞があり、その基地を守衛するため、守備隊である第1歩兵大隊が設置されていた。
イギリス軍においては、軍本部、ロンドン、コルチェスターを始めとする軍事基地及びバラック、軍キャンプを守備する為に、少将または大佐の指揮の下、守備曹長(en:Garrison Sergeant Major)を隊長とする守備隊が設置されている。
日本における事例として、旧大日本帝国時代の海軍根拠地隊、陸軍の近衛隊、衛戍部隊、及び離島を警備している守備隊が挙げられる。自衛隊においては、陸上自衛隊の駐屯地警衛隊、航空自衛隊の基地警備隊及び基地防衛教導隊がこれにあたる。
関連項目
守備隊
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「第二次チャールストン港の戦い」の記事における「守備隊」の解説
北軍は「グランドガード」の塹壕前線に入る兵士を常にローテーションしていた。8月16日夜、南軍の破裂弾が、その日グランドガードの指揮官だったジョシュア・B・ハウェル大佐の本部にしていた防空壕を突き破って破裂した。砲弾の破片がハウェル大佐の頭に当たり、重傷を負わせた。ハウェルは直ぐに快復したものの、この事件により北軍指揮層は塹壕前線に専ら古参兵を使うようにした。南軍もワグナー砦とグレッグ砲台の間で常に兵士のローテーションを行っていた。夜の間にボートで本土から新しい兵士を運んで守備兵と入れ替えていた。南軍はワグナー砦でそこそこの勝利を得ていたが、この作戦が続くものと予測していた。作戦を継続するためにP・G・T・ボーリガード将軍から大勢の守備隊を引き出して備えていた。チャールストン周りの南軍を直接指揮するのは、元職業軍人であり、サウスカロライナ州の実業家でもあったロスウェル・S・リプリーだった。リプリーの軍はチャールストン港を取り巻く陣地に広がっており、地元サウスカロライナ州の民兵隊師団が含まれていた。北軍のギルモアとジョン・A・ダールグレン提督は北軍総司令官であるヘンリー・ハレックに援軍を要請した。ハレックは躊躇したが、それでもポトマック軍から1個師団をジョージ・H・ゴードンの下につけて派遣してきた。北軍ノースカロライナ方面軍指揮官のジョン・G・フォスター将軍が援軍の1個師団を熱狂的に派遣し、ギルモアに「チャールストンは大変重要なので、勝てそうなときは失敗してはならない」と告げた。
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