集は、古萬葉。古今。
予備校倒産
2025年の正月早々に、ニチガクという大学受験予備校が、突然、新宿区の教室を閉鎖しました。倒産したようですが、受験生を大学入試の本番が迫った時期に放り出すとは、呆れた経営者です。給与の支払いも遅延していたようですので、教職員も犠牲者です。本来、年度当初に経営が成り立つほどの数の生徒が集まらなければ、経営が行き詰まるのは目に見えています。資金繰りに奔走していたとのことですが、判断が遅すぎたとの批判は免れないでしょう。大学受験予備校は、いわゆる正規の学校とは異なり、今回のケースのように、いきなり閉鎖、倒産というようなことが起こっても不思議ではありません。しかし、経営者には、受験生たちの人生を預かっているという自覚が求められます。その点で、正月早々の教室の閉鎖は、経営者失格の烙印を押されることになります。私立大学の中にも経営状況が厳しいところが増えていますので、文科省には、不測の事態を招かぬためにも、学生募集の停止の判断に関して、適切な指導が求められます。
論理と鑑賞
佐久間、玄馬「論理的音楽鑑賞2」(YAMAHA)は、ロマン派の音楽を読み解くとして、シューベルトからチャイコフスキーまで11人の教科書に載っているような音楽家を取り上げています。著者が主張する手法は、芸術作品を誰でも読み解けるようにするためのフレームワークを用いた鑑賞法です。この著作で使われている4つのフレームワークは、時代を読み解くA-PEST(芸術音楽、政治、経済、技術)、3K(革新、顧客、競争・共創)及び作品を読み解くストーリー分析及び3P分析(人、時代、場所)です。私のお気に入りのヴェルディを例に取れば、ナポレオン統治下のイタリアでフランス市民として出生、第2の父の支援及びスカラ座支配人との出会い、妻子を全員失い2作目のオペラが初演の1日で打ち切りという苦難、ナブッコがイタリア統一運動の象徴となって大ヒットして人気音楽家に、87歳の長寿を得てオペラの黄金期を築くという人生です。ヴェルディは、椿姫のような現代ものをオペラに導入した革新性でも評価されています。これまで知りませんでしたが、イタリア音楽界で初めて著作権ビジネスを導入して、その収益を引退した音楽家のための「憩の家」という高齢者施設の運営に充当したとのことです。音楽史に残る人ですが、下院議員を務めたり、農場経営をしたり、多彩な面も持っています。この間の16年ほどには、音楽活動は休止状態でした。彼が生まれたのはパルマ郊外の村ですが、パルマには、ヴェルディ愛好家グループ「27人クラブ」があり、NHKBSの「世界ふれあい街歩き」でも紹介されていました。27人は、それぞれヴェルディ作曲のオペラを自分のシンボルとしていました。ヴェルディのオペラの数は28とされていますので、計算が合いませんが、ヴェルディ+27人という意味なのかも知れません。音楽鑑賞に論理を持ち込むことには違和感がありますが、楽曲の背景の知識として持つことで、鑑賞を深めるための助けになると理解しておきましょう。音楽を左脳で聴くのは無理があります。
生成AIによる宗教
円城塔「コード・ブッダ」(文藝春秋)は、機械仏教縁起という副題の通り、東京オリンピックの2021年に、AIがブッダのような教えを説き始めるという小説です。人間、機械の別を問わず、弟子に法を説き、寂滅し、涅槃に入ります。コードのブッダが残した言葉は、捻じ曲げられて解釈されつつ、世界仏教に転じて行きます。終盤、鎌倉仏教らしき異端が登場して、南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に行けると教えます。苦しみのもととなっている輪廻から外れるのではなく、極楽浄土に転生することが大衆の望みであり、南無阿弥陀仏は魔法の言葉になりました。しかし皮肉なことに、戦乱の世は続きます。最後は、機械仏教が、地球から移住する人間や機械とともに宇宙に広がり、機械、情報、記号を含めて、すべてが成仏すると説かれます。最終盤の記述に関しては、どうにも私の理解を超えます。要は、機械仏教では、生命の循環を意味する輪廻からの解脱を超えて、宇宙全体が永遠の平衡状態に至る道を説いているということなのでしょうか?この作品を、ユーモア小説と見るのか、哲学的小説と見るのか、非常に受け止めが難しいと思います。今後、生成AIが宗教を創始するということは、ありうるでしょう。すべての新興宗教は、既存の宗教のパッチワークだから可能なのです。しかし、人間はともかく、機械がその宗教を信じるということはないのではないでしょうか?機械が、老病死のような苦しみを抱えているわけではなく、信仰を必要としないからです。輪廻があるという証拠も見い出せないでしょう。生成AIの専門家はどうお考えでしょうか?
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