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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番:協奏曲の伝統

バルトーク:VN協奏曲第2番バルトーク:VN協奏曲第2番
(1999/08/22)
シェリング(ヘンリック)

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バルトーク ヴァイオリン協奏曲 第2番 Sz.112

バルトークは学問分野の功績も大きい。民俗音楽学の祖として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析。彼の作品は、その民族音楽研究が大いに活かされているといえる。
ヴァイオリン協奏曲第2番は、長い間彼の唯一のヴァイオリン協奏曲だと思われてきた作品だ。後に第1番が発見され改名されたが、第2番はやはり名曲として名高い。
ヴェルブンコシュ(verbunkos)というハンガリーの民族舞曲が基になっている。
そういった民族色もあり、調性感が強かったり弱かったり、かなり忙しく色が変わる曲で、あまり飽きることはないだろう。
また、黄金比率の使用がわかりやすい曲でもある。明らかな盛り上がりどころに注意すると、黄金比率が巧みに用いられていることに気づくのは容易だろう。
ただ、この曲をつまらないと感じてしまう人もいるとは思う。それは、一見理解しがたい不可解な旋律や和声やリズムがみちみちているからだ。
そこがバルトークの魅力なのだが、合わない人は合わない。
ということで、一応こうやって紹介してみて、少しでもこの曲の魅力を広めようとしているのだ。
ハンガリー人ヴァイオリニスト、ゾルターン・セーケイの依頼によって書かれ、彼に献呈されている。
セーケイの依頼にバルトークは巨大な変奏曲形式を提案したが、セーケイは伝統的な3楽章形式の協奏曲を所望した。
2楽章を変奏曲形式にして折り合いを付けているが、この曲はやはり歴とした伝統的協奏曲なのである。

バルトークの第2協奏曲は、バルトークの中でも割と人気のある曲であり、たくさんの録音がある。そして、民族風を生かした土着な・粗野な雰囲気を強く表現するもの、歌を美しく表現するもの、鋭さや緊張感をフルに活かしたものなど、その方向性は様々だ。
僕のような素人でも、普通に考えると、この曲はやはり、ベートーヴェンやメンデルスゾーンではないのだから、先鋭的な演奏をするのが、演奏効果としてはベストであるような気がっする。そういう意味での名演は、パールマンやシャハムかもしれない。
バルトークの意向と異なり、セーケイは本格的な3楽章の伝統的協奏曲スタイルを望んだが、やはりこれは伝統的なヴァイオリン協奏曲として音楽を提示して欲しいものだ。
というのも、いわゆるキワモノ作曲家としてバルトークは見られるべきではないと思うからであり、それは弦楽四重奏などでもそうだ。
もちろん、緊張感と鋭さが光るバルトークは、特にバルトークの熱心なファンにとっては最高にシビレるものだろう。確かに、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」などは本当にシビレる!
話は少し変わるが、この曲の作曲された時代とバルトークの作風の変化というものを見てみよう。
初期はブラームスやR・シュトラウスの影響が強く、後期ロマン派的な作風。ハンガリーへの意識は多少あったが、それが強くなったのは、コダーイとともにハンガリーの民族音楽を研究しだしてから。それと同時に、民謡のイディオム抽出や、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、新ウィーン楽派らの影響も受け始める。
そういったバルトーク独自の語法が確立し出し、非常に荒々しい音楽を作るようになる一方、新古典的な傾向も見られるようになる。和声も明快になり、古典と前衛的技法の融和を得た名曲を生み出すようになるのだ。後期はさらに旋律を重視するようになり、一層古典寄りになっていく。
ヴァイオリン協奏曲第2番が作曲された時代は、バルトークが自身の民謡的イディオムを完全に消化し巧みに操るようになりつつも、バロックや古典の影響を受け、新古典的なスタイルを打ち出していった時代だ。バルトークの弦楽四重奏曲がベートーヴェン以来の快挙と言われるように、やはりこの協奏曲も、ベトコン・メンコンの系譜に位置する作品なのだ。
その証拠に、非常に美しい歌が、この作品には散りばめられている。うかうかしていると聞き逃してしまうかもしれないが、鋭い緊張感の中にも(もちろんそうでないところにも)、聴き惚れるような歌がある。キョンファやズッカーマンなどの演奏は、そこもよく聞かせてくれます。
僕の好きなシェリングの演奏は、冒頭で語った通り古典的で、妙に奇をてらって無茶苦茶にパワフルなこともせず、また当然あやふやな解釈やあやふやな演奏になる部分もなく、全体を見渡して一貫した解釈を見せる演奏。となれば自然と、歌の美しさも他に引けを取らないものとなる。
狂信的なバルトーク・ファンの間では、もしかすると、ちょっと生ぬるくて箸にも棒にもかからない演奏とされてしまうかもしれない。
しかしシェリングのような演奏を聴くと、この曲の、クラシック音楽史に歴然と輝くヴァイオリン協奏曲としての価値を真の意味で見出すことができるだろう。

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バルトーク 弦楽四重奏曲第5番:その瞬間を見つけて

バルトーク:弦楽四重奏曲第5番&第6番バルトーク:弦楽四重奏曲第5番&第6番
(2002/10/25)
アルバン・ベルク四重奏団

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バルトーク 弦楽四重奏曲第5番 Sz.102

なかなかバルトークの音楽の良さというのはわからない。
というのは、何も考えないで聴くとちっとも面白くないし、何か考えながら聴いてもちっとも面白くないからだ。
それに、こんな短い文章でバルトーク先生の魅力を伝えることはできそうにない。
まああまり急がず、少しずつその魅力を伝えるように努力してみよう。

弦楽四重奏曲は「ベートーヴェン以来の偉業」と言われるように、バルトークの重要な功績の1つである。
第5番は1934年8月から9月にかけて、ほぼ1ヶ月の間で作られた。
3楽章を中心として1,5楽章、2,4楽章の対応というアーチ型関係であり、3楽章ではブルガリアの民族舞曲のリズムが用いられている。
第5番は、バルトークの弦楽四重奏のなかでは、まだ聴きやすい方だと思う。
と言っても実際そんなに聴きやすさに差はないし、3番も4番も6番も好きなんだが。
バルトークの生きた時代は、まさに伝統的なクラシック音楽と所謂現代音楽のちょうど中間というか、前衛的手法が現れだしたような頃である。
この弦楽四重奏曲も、クラシックか現代音楽かと言われると、簡単には答えられない。
クラシック音楽でいう「普通にいい旋律」かというと決してそうではないし、むしろ「意味がわからない」のはもっともだ。
しかしどういう訳か、ふとした瞬間に、聴く者の心の琴線というか、敏感なところに触れてくるような、そういう音楽である。
特に僕は5番の3楽章、5楽章で、体が腹の底から疼くような感覚を覚えた。

バルトークは、自身の研究した民族音楽、そのリズム・イディオムの抽出、ドミナントの効果、数学的・神秘思想的な要素、それらの融合を目指した作曲家だと僕は思っている。
そのどれかに特化したような作品、例えば「ルーマニア民族舞曲」や「中国の不思議な役人」も名曲だと思うし、その分魅力は語りやすい。
だが、そういった曲の魅力ばかり雄弁に語るのは、ちょっと浅はかに思えて仕方ないのだ。
そういう意味で弦楽四重奏曲第5番からは、バルトークの目指した新しいクラシック音楽の形を感じる。
僕らがいくら考えても及ばない程に考え尽くされた彼の音楽を聴くには、考えることも考えないことも求められていないようだ。

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