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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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シューマン 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック:演奏にシビアになる

バレンボイム/ベルリン・フィル イン・ベルリン国立歌劇場 [DVD]バレンボイム/ベルリン・フィル イン・ベルリン国立歌劇場 [DVD]
(2007/10/24)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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シューマン 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック ヘ長調 作品86

コンツェルトシュテュック、つまり小協奏曲という名ではあるが、4本のホルンをフィーチャーした、スケールの大きな作品。
ドレスデン在住時代の1849年に作曲された。この2年前、シューマンはバッハの「4台のハープシコードとオーケストラのための協奏曲」の研究を行っており、影響を受けたとも考えられる。
よく管弦楽法の未熟さが指摘されるシューマンだが、交響曲第2番と交響曲第3番の間の時期に書かれたものであり、少しは自信も付いていた頃であろう。また、ホルンとピアノのための「アダージョとアレグロ」(作品70)という曲も先に作っており、ホルンの扱いにも自信があったと思われる。
これだけ名曲になりうる要因が揃っていれば自ずと素晴らしい作品が出来上がるものだ。本当に卓越した、素晴らしいシューマン作品の傑作と言えよう。
それにしても、ホルンが相当難しい。僕はホルン奏者ではないが、それでも十分わかるほど難しい。まず音域が高い高い。それゆえに演奏効果が低いと批判する者もいたほどだ。
しかし、世の中にはどんな悪魔のような技巧的な作品でも演奏してしまう魔王のような化け物プレイヤーはいる訳で、我々リスナーはこの曲の音域の高さも魅力と捉えるべきだ。
終楽章前半、楽器の最高音を響かせる瞬間のホルンは鳥肌モノである。

4本のホルンのファンファーレから始まる1楽章、いきなり心を掴まれること間違いない。伝統的な協奏曲らしく、2楽章は緩徐楽章。3楽章はリズミカルで、シューマン自身の第4交響曲の終楽章のような雰囲気。
シューマンのような名の知れた作曲家による、このような形式の協奏曲というだけで価値がある(そもそも管楽器の協奏曲はピアノやヴァイオリンに比べて数少ない)というのに、それがまた圧倒的な名曲なのだ。
ホルン奏者にとっては重要なレパートリーであり続け、難曲であるが録音も多くされてきた。これは幸運なことだと思う。しかし、そこにあぐらをかいていてはいけない。こういう曲こそ、一層シビアな耳で評価していかなければならない。
まず、最高音が出てない録音がざらにある。まあ、偉大な演奏家でもミスタッチをしている録音などはあるし、全体的に出来が良ければそれもいいのだろうが、やはり聴く分には決めどころで外されると残念。
また、ホルンが良いのにオケが残念なパターン。ややマイナーな曲なぶん、マイナーなオケが取り上げることも多いが、せっかくホルンの響きが美しくても、オケの響きが中途半端では、やはり満足できないものだ。
そして、全体として良い感じだなあと思っていたら、4人じゃなくて5人だった、というオチのこともある。特に1番パートの負担は尋常ではない。僕の大好きなホルン奏者バウマンも、1番を別の奏者と分担して録音しているものもある(勿論バウマンのことだから、1人でやっているものもある)。まあ、やはりこういうのはずるっこだろう。
バレンボイム指揮ベルリン・フィル、デイル・クレヴェンジャーとベルリン・フィルのホルンセクションという豪華なメンバーで構成された演奏のDVDは素晴らしいものだった。この演奏会はこの曲も良かったのだが、それ以上にアンコールでワルキューレの騎行をやったとき、ホルンのソリストがスタンドプレーでバリバリ吹きまくっていたのが圧巻だったが。
たまには演奏にシビアになった方が生きる曲もあるだろう。これはそういう名曲だと思う。

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| シューマン | 21:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シューマン アラベスク:愛らしい模様

Pletnev Plays SchumannPletnev Plays Schumann
(2004/03/09)
不明

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シューマン アラベスク ハ長調 作品18

ショパン・イヤーということでショパンについて書いたが、同時にシューマン・イヤーでもあった2010年。
もし一番好きな作曲家を一人挙げろと言われたら、相当悩むのだが、僕はシューマンと答えると思う。ということで、シューマンについても新しい記事を書こう。
「アラベスク(Arabeske)」つまり“アラビア風”という題名を音楽に用いたのは、シューマンが初めてだったようだ。
イスラムの唐草模様を表す言葉でもあるアラベスクは、聴けばやはりそういった綺麗な模様を思い浮かべてしまう。それはきっとシューマン自身もそうだったのだろう。
このブログのプロフィール欄でシューマンの「森の情景」が特に好きと書いているのだが、シューマンのピアノ曲にはやはり思い入れがある。
僕の好きなシューマンのピアノ曲は、組曲形式のものがたくさんあるのだが、そうではなく単一の小品として、とりわけ多くの人から愛されているのが、このアラベスクだ。
ピアノを弾く人にとっても、リスナーにとっても、これほど愛らしい小品はないと言っても良いだろう。

5分から7分程度の短い曲だが、短い動機ひとつにしても、また全体の曲の構成にしても、ある規則性を感じる幾何学模様を思わせる。
つまり、この曲を聴いた瞬間から、また何度も聴けば聴く程、シューマンがアラビア風の模様から得たアイディアを形式的な面で巧みに取り入れたことがわかる。
こういう巧みさだけでは、こうも愛される小品として世に残らなかっただろう。もちろん、この作品には、シューマンのもう一つの天性があふれている。
それはどんなものか。ショパンのピアノ曲に「詩情」があると前の記事で書いたが、シューマンのピアノ曲には「うた」があるように思う。
この曲は1839年の作品であり、クララと結婚してから4年程経った頃である。翌年にはシューマンは「詩人の恋」や「リーダークライス」など歌曲を多く生み出し、いわゆる「歌曲の年」に入るのだ。
彼のピアノ曲に、ひときわ愛の「うた」が込められるような条件は、もう十分満たされていると見ていいだろう。
それは優しさやちょっとした憂鬱さが代わる代わる顔を出す様子として描かれ、最後のコーダでは愛にあふれた歌がひとつの極まりを見せる。あまり特記されることがないのだが、このコーダの美しさがこの作品の大きなポイントだ。
込められた愛のうたが、あらゆる人に伝わってくる。そんな曲である。
だからこそ、ピアノ教室の発表会で、プロのピアニストのコンサートで、それはメインでもアンコールでも、ずっと演奏されてきた。
演奏する方も聴く方も誰もが、このエキゾティックでロマンティックな音楽から、愛らしい模様を見て感じることだろう。

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| シューマン | 21:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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シューマン 交響曲第3番「ライン」:川の情景としての交響曲

Schumann: Symphony No. 3 Schumann: Symphony No. 3
(1996/05/28)
Ludwig van Beethoven、

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シューマン 交響曲第3番変ホ長調,op.97「ライン」

4曲ある交響曲のうち最後に書かれたものがこの「ライン」である。N響アワーでもおなじみのこの曲は1850年の作で、現在の第4番は1841年に作られた曲の改訂版である。
シューマンはこのとき40歳で、ちょうどデュッセルドルフに引っ越してきたところだ。
精神疾患持ちのシューマンは、この新しいライン川沿いの環境で気分を新たにし、創作意欲も沸いたという。
川の音楽が好きだ好きだと言い続けている僕にとって、この曲も愛すべき「河川音楽」のひとつだ。
「ライン」というのはシューマン自身の命名ではないが、ライン川周辺の散策からインスピレーションを得た作品である。
いくつかの作品で見せるような彼の「病的な精神」を比較的感じない曲であり、爽やかな印象すらある。
だがあまりそういう点に囚われないで聴くのが良いようにも思う。純粋に彼の音楽の才能が最高の形で発揮されたことに喜ぶべきかもしれない。
当時には珍しい5楽章構成で、演奏時間は約30分前後。

管弦楽法が常に指摘され続けるかわいそうなシューマンだが、この曲も例外ではなく、マーラーをはじめ多くの指揮者が自身の演奏の際にオーケストレーションを手直ししている。
まあ直さない方がかえってシューマンらしくて良いという評価もあるのだが、シューマン贔屓の僕としては、管弦楽法を直してでも皆こぞってやりたい曲なのだ!という風に解釈にしている。駄作なら捨てれば良いものだが、そうもいかないのだからね。
1楽章はローレライがモチーフとされる。序奏なしでいきなり現れる川の動きを思わすようなシンコペーションは、聴いた瞬間から心を掴んで離さない。
緩やかな流れになった2楽章はコブレンツからボン、3楽章ボンからケルンであると言われる。ここは落ち着いた川のような弦楽の美しさを堪能しよう。
4楽章はケルン大聖堂。チャイコフスキーもこの楽章は高く評価したようだ。荘厳な雰囲気は大聖堂そのものである。神々しい金管のコラールにも注目したい。
5楽章はデュッセルドルフのカーニバルを意識しているようだ。次々に現れてくる管楽器には思わず惹きつけられるし、陽気な雰囲気は第1交響曲「春」を思わせる。
何より僕はこの5楽章の冒頭の主題がいかにもシューマンらしくて大好きだ。これだけで鳥肌が立つ。流れるような演奏よりは、特にゆっくりと和音をかみしめるような演奏をされるともうたまらない。そういう意味ではワルター指揮ニューヨーク・フィルの演奏は素晴らしい。
こんな風に情景を思い描いて「ライン」を聴くと、交響曲というよりは5つの連作交響詩のような感じかもしれない。
だがこの曲はそうやって聴くのがちょうど良いようにも思う。全体的な明るさや優雅なライン川の美しさを前にしては、シューマンの深い精神の森に入り込むなんてことは場違いのように感じてしまうのだ。

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| シューマン | 16:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シューマン ピアノ五重奏曲:彩られた夢と少しのノスタルジー

シューマン:ピアノ五重奏曲シューマン:ピアノ五重奏曲
(2000/12/20)
バリリ四重奏団

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シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

この曲も、いわゆるシューマンの「室内楽の年」、つまり1842年に書かれたものだ。
シューマン32歳の秋である。彼はわずか数週間でこの曲を書き上げた。
現代でも室内楽の重要なレパートリーの1つだが、作曲当時の評価は様々だったようである。
ライプツィヒのケヴァントハウスで初演された際、聴衆の中にいたフランス・ロマン派の作曲家ベルリオーズは、ドイツ・ロマン派に批判的であったのだが、この作品を聴いて非常に感激したと伝えられている。
また、シューマンの家でこの曲を聴いた作曲家リストはちっとも気に入らなかったようで、その後2人の間が疎遠になったようだ。
当時ではまだ珍しかった、弦楽四重奏とピアノという編成は、珠玉のピアノ作品の多い彼にとっては、必然だったのかもしれない。
やや古典的な香りの中に、シューマンらしい濃厚なロマン派の色気が織り込まれているが、ロマン的な趣を担うのは主にピアノの役目である。
それはピアノ五重奏のスタンダードとも言えるが、シューマンの場合は一層、ピアノが入ると入らないとでは、その魅力に激しく差があるように思う。
シューマンの良さの1つはそこだとも言える。

力強く、活力みなぎる1楽章、葬送行進曲風の2楽章、3楽章は勢いのあるスケルツォ、それらを纏め上げるソナタ風の4楽章。
全体的にシューマンにしては自由さに欠ける、やや形式ばったような雰囲気だが、その古典的手法が、シューマンのロマン主義をより充実させている。
僕には、シューマンが鍛えたこの古典的な技法が、彼の見る大きな1つの夢に、はっきりとした輪郭を与えているように思えるのだ。
憧れのような輝かしさ、哀しみと慈しみ、青春のような快活さ、それらを色鮮やかに映し出す、シューマンのロマン主義的な精神に溶け込んだドイツ古典的な技法。
それがこの曲の魅力を引き出しているのだが、この曲の素晴らしさはそこだけに止まらない。
白眉は4楽章のクライマックス。荘厳な二重フーガで再び1楽章の第1主題が現れると、今までの夢は一体何だったのか、その答えが現れてくる。
彩られた夢に少しのノスタルジーが重なり、時間を越えた希望と豊かな響きを残して、幕を閉じる。

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| シューマン | 17:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シューマン 交響曲第1番「春」:春のうたとしての交響曲

Symphonies 1 - 4Symphonies 1 - 4
(2004/04/06)
Robert Schumann、

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シューマン 交響曲第1番変ロ長調 作品38「春」

シューマンの交響曲というと、そのオーケストレーションの弱さが常に指摘され続けてきたことは周知の事実である。
昔はシューマンの交響曲をいかに指揮者が改めるか、という点に注目がいったのだが、最近は楽譜通りに演奏するようにはなっている。
しかし、結局は良い演奏をするためにパート間のバランスやハーモニーを整える努力を要するわけで、彼の「管弦楽法の弱さ」は現代でもほぼ変わらないだろう。
それでも当時、「交響曲を書く」というのは、一流の作曲家としてのステータスでもあった。
妻クララの薦めもあり、シューマンは交響曲を作ることになる。
クララとの結婚の翌年である1841年、シューマンは初めての交響曲「春」を完成させる。
初演のリハーサルの際、指揮者のメンデルスゾーンから非常に初歩的な管弦楽法のミスを指摘され、シューマンが赤面するということもあったようだ。
しかし、初演は成功で好評を博し、シューマンは管弦楽曲への自信を徐々に付けていくことになる。

第1番「春」は、その名の通り春の始まりとその様子が描かれているような印象である。
シューマンの躁鬱が作品に現れる曲は数多くあるが、あまり強くそれを感じることもなく、シューマンにしては非常に爽やかな作品である。
ファンファーレに導かれ、「春」が地の底から湧き上がるようなような1楽章の第一主題は、最も季節を感じるところである。
2楽章の弦による旋律も、哀愁を帯びつつもぬくもりを感じる、シューマンお得意のロマンチックな魅力がある。
3楽章に現れる、喜びに体がうずくような、でもまだ我慢しているような、そんな雰囲気が僕はたまらなく好きである。
そして4楽章で春はたけなわを迎え、その喜びは美しく開花するのだ。
僕はこの曲をよく好んで聴くのだが、時々思うことは、これは交響曲である必要があったのだろうか、ということだ。
管弦楽法の弱さは確かにある、しかし、うららかな春の様子や、我々の心を揺さぶる美しい「うた」がこの曲の最大の魅力なのだ。
彼の音楽のアイデンティティは、旋律(もっと言えば音と音の繋がり)にどこまでも深い「ひとの心」があるところに思う。
それが我々の心に情感を与えるのが、たまたま管弦楽だっただけの話である。
もちろんシューマンに限った話だが、彼の交響曲が愛されてきた理由もこれとそう遠いものではないだろう。
彼は作曲家としてはそういう意味での天才であり、まただからこそ僕の最も好きな作曲家なのである。

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