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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」:主人公の存在

ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」
(2004/12/22)
インバル(エリアフ)

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ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」作品16

かつてダンディの「フランス山人の歌による交響曲」を紹介したときにも似たようなことを書いたが、この「イタリアのハロルド」も、やや特殊な音楽構成のために今ひとつ恵まれない作品である。しかし、無名作曲家の作品ではなく、かのベルリオーズの曲であり、埋もれてしまうことはないだけ幸運だ。同じくベルリオーズの名曲「幻想交響曲」と比べるとやや少ないが、演奏機会や録音もある。そして、これは「幻想交響曲」と肩を並べる、真の名曲に違いない。
ヴィオラ独奏付きの交響曲という、極めて珍しい形式を取るこの曲は、ベルリオーズが「幻想交響曲」で成功を収め、オペラの作曲などに手をかけ始めた頃に、あのパガニーニによって依頼されたものと言われている。
パガニーニはヴァイオリニストとして名高いが、彼は素晴らしいストラディバリウスのヴィオラを手に入れたことをきっかけに、ベルリオーズにヴィオラのための曲を作るよう依頼したのだそうだ。
「幻想交響曲」に感動したパガニーニは、ベルリオーズにヴィオラをぶいぶい言わす曲を作ってほしいと思っていたそうだが、ベルリオーズが提出した曲は、パガニーニのヴィルトゥオーゾ的お眼鏡にかなうものではなかった。
結局この話は水に流れたのだが、ベルリオーズは彼のために用意した曲をもう一度作り直し、ヴィオラ付きの交響曲という形で世に送り出した。
後にこの曲を聴いて、やはりベルリオーズの音楽性に感動したパガニーニは、ベルリオーズに大金を送ったという。この曲の成功も含め、ベルリオーズの家計はうるおい、無事に長男も生まれ、順風満帆な芸術人生のまさに始まりといったところだろう。
ヴィオラ――この楽器が日の目を浴びる機会は、他の楽器、主にヴァイオリンとチェロと比較すると、本当に数少ない。
そんな状況で、この「イタリアのハロルド」はヴィオラが活躍する名曲中の名曲。ヴィオラ好きでもそうでなくても、「幻想交響曲」と並んで、ベルリオーズの音楽を堪能することができるだろう。

バイロンの長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」の場面をテーマにして、4楽章それぞれに副題が付いている。
この物語からのインスピレーションや、この物語の人気にあやかろうとしたということもあるだろうが、それ以上にこの曲は、ベルリオーズ自身の訪れたイタリアにて、物語の主人公と同じく、様々なところへ赴き、自然や人々と出会ったベルリオーズ自身の印象を音楽にしたものとして捉えるべきだろう。
ベルリオーズはローマ賞を受賞した際、物語の舞台であるアブルッツィ地方を実際に訪れている。
第1楽章は「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」とある。ヴィオラは息の長いメロディーを奏し、技術的であるというよりは、感情に重きが置かれているようだ。
いわゆる「ハロルドの主題」と呼ばれるテーマがヴィオラによって弾かれ、それは曲全体を通して様々に変化し登場する。「幻想交響曲」と同じ手法だ。この「ハロルドの主題」の美しさ! 伸び伸びと、絶妙な“音域”と“音色”で演奏されるこのテーマに魅了されて、この曲を好きになる人は多いだろう。この主題には、受け取り方は人それぞれだが、確かに魅力的な性格・人格が現れていると思う。
第2楽章「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」は静かな時間、第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」は幾分明るい歌・情感たっぷりな歌の時間。いずれも風景というより、情景と言うべきだ。
第4楽章「山賊の饗宴、前後の追想」、このあたりになると、ヴィオラ単独で活躍するということは少なくなり、合奏が多くなる。ヴィオラ協奏曲とは言えない所以はここらにある。
ハロルドは山賊によって殺されるのだが、それでも聴いていて楽しいのは、ベルリオーズが楽しげに山賊の宴という情景を描いているからだ。ハロルドは死んでも、主人公ベルリオーズは生きている。

楽器のテクニック云々ではなく、人間が、ベルリオーズ自身が存在する音楽に、かのヴィルトゥオーソ、パガニーニさえも賛辞を送らざるを得なかったこと、これは興味深いことだ。
それほどに、この曲は深みがある、ヴィオラにとってもすべての音楽ファンにとっても良曲なのだ。

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| ベルリオーズ | 15:05 | comments:0 | trackbacks:2 | TOP↑

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ベルリオーズ 序曲「海賊」:少年は心躍らせた

ベルリオーズ:幻想交響曲、ほかベルリオーズ:幻想交響曲、ほか
(2006/01/13)
デュトワ(シャルル)

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ベルリオーズ 序曲「海賊」 作品21

久しぶりの更新なので、少し軽めの文章で行こうと思う。ベルリオーズの序曲「海賊」。こちらは軽い曲というか、軽快な曲だ。
さて突然ですが、海賊というと何を思い浮かべますか? 某少年誌で連載している大人気海賊マンガか、今年のスーパー戦隊も海賊だし、ジョニー・デップのファンはあれしか思い浮かばないだろう。
最初から脱線だが、序曲「海賊」という名になる前は、序曲「赤髪の海賊」という曲名だったそうだ。
ONE PIECEで一番格好良いキャラと言ったら赤髪のシャンクスだが(異論は認めない)、ゴーカイジャーのキャプテン・マーベラスも赤だし、海賊と赤というのは縁があるようだ。
とまれ、海賊を取り上げるにはいい時期かもしれない。
序曲「海賊」は、ベルリオーズが地中海沿岸の保養地ニースに滞在しているとき、ジョージ・ゴードン・バイロンの物語詩『海賊』に触発されて、1844年に作曲された演奏会用序曲である。
中学生の頃の僕はクラシックのCDなのに“海賊”という言葉が付いている! というだけでワクワクしたものだが、この曲名は最初、序曲「ニースの塔」とされ、次に序曲「赤毛の海賊」と改題し、1852年の出版時に序曲「海賊」となった。
8分ほどの短い曲だが、ベルリオーズの卓越性がうかがえると思う。

曲が始まった途端、弾けるように旋律が繰り出され、俊敏な運動感が心地よい。
しかし、「海賊」と聞いて思い浮かぶ暴れ荒れ狂う様子というよりは、明朗快活なエネルギーの発散の様子に感じる。
また、そこからすぐにゆったりと聞かせる美しい部分へと移り変わるところも、安易な海賊というモチーフの音楽にとどまらない、ベルリオーズの卓越性と考えるべきだろう。
そう、この作品は「海賊」と名が付く割には、それほど激しい曲ではないのだ。まったく、そういうところに素晴らしさを感じるようになると、この世で楽しめない音楽などなくなってしまうだろうが、まあそういうことでもなくて、確かにこれはベルリオーズの芸術としてひとつ完成したものに違いない。
イメージとしてはジャック・スパロウのような筋骨たくましい感じでもないし、いわゆる現代の治安の悪い海に行くと遭遇するような彼らでもない。その点、今年のスーパー戦隊は近いものがある。まあ、この辺は話半分に読んでいただければ、と思う。
それでもクライマックスはやはり派手だ。これでなくては海賊は務まらない。
僕はローマの謝肉祭よりもむしろこちらが好みだし、それこそ中学生の頃から聴いているので親しみもある。
もしこの序曲「海賊」という曲名や、「ばらの騎士」「炎の天使」「恋は魔術師」などに心躍り、クラシックのCDを漁るようになった中学生がいたら、僕は温かい目で見守りたいと思っている。

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| ベルリオーズ | 23:15 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」:整った芸術

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」&序曲集ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」&序曲集
(2009/08/26)
セル(ジョージ)

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ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」 作品9

ベルリオーズの序曲で最も人気のあるものといえば、序曲「ローマの謝肉祭」である。
1838年に初演されたオペラ「ベンヴェヌート・チェルッリーニ」を元に作られた曲だ。
同オペラは失敗に終わったのだが、第2幕の前に大きな序曲を置くという珍しいものだった。
ベルリオーズはその主題から、この序曲「ローマの謝肉祭」を生み出したのだ。
華麗な序奏に続くのは、なんとも優雅なコール・アングレのソロによる主題。
それを転調して受け継ぐのがヴィオラ、とベルリオーズお得意のコースである。
曲が徐々に盛り上がり、オペラでは駆け落ちの愛情劇を繰り広げる旋律が終わると、いよいよ謝肉祭に入る。
本祭(?)に入る前にこういう旋律を持ってくる辺り、まったくベルリオーズらしいと思うのだが、いかがだろうか。
打楽器も加わり、管楽器の唸りと共に、イタリア舞踊サルタレロが始まれば、メインの陽気な祭である。
プレストで陽気に激しく踊る様子が醍醐味だが、僕個人として思うのは、この曲のフィニッシュに装飾音符で顔を出す管楽器、これが実に味わい深い印象を与えてくれる。

レスピーギのローマの祭(ことに主顕祭)でも、祭の喧噪・狂歌乱舞が表されているし、詩人のゲーテは「ローマの謝肉祭を見物するなら、もう1度見たいという気は起こさないだろう」と語っている。
一体ローマの謝肉祭はどれほど騒がしいものなのか。
ローマの謝肉祭の激しさは異常なほどで、それもどちらかというと下品な感じであり、法皇たちが何度にも渡って鎮めようとしたものの、結局その熱狂は収まらないほどだそうだ。
この作品では、元のオペラがあるせいもあるが、そういった祭の様子も非常に美しく描かれている。
ベルリオーズはフランス人だが、1830年にローマ大賞を受賞し、そのとき実際にこの祭を見物している。
さぞうんざりするような光景だったろうが、この曲はそういうタイプのものではない。
急な転調や変化に富んだ主題を上手く用いて、聴いていて楽しく、そして美しい曲に仕上げている。
ただ激しいだけでなく、また単に綺麗なだけでもない。
激しさと美しさを本当にバランスよく併せ持っているところが人気の由縁だろうし、それでこそロマン派の芸術だという気もする。

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| ベルリオーズ | 14:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ベルリオーズ 幻想交響曲:最狂の恋心

ベルリオーズ:幻想交響曲ベルリオーズ:幻想交響曲
(2006/11/08)
アバド(クラウディオ)

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ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14

1830年に作曲された「幻想交響曲」は、その後の交響曲に最も影響を与えたと言っても過言ではないだろう。
ベートーヴェンの第九が作曲されたのが1824年だということを考えると、ベルリオーズの才能がうかがわれる。
「ある芸術家の生涯の挿話」という副題の付いているこの曲は、あくまで古典的な交響曲の形式を生かした上で、固定楽想(idée fixe)という主題をもとに、標題的意味のある交響曲として創り上げられたものである。
もっとわかりやすく言うと、熱烈な片思いをしているベルリオーズが、恋の相手のフレーズ(固定楽想)っていうのを作って、それを色んな楽章で色んな風に登場させ、恋する芸術家の空想エピソードを交響曲にしている、ということだ。
第1楽章「夢・情熱」、第2楽章「舞踏会」、第3楽章「野の風景」
第4楽章「断頭台への行進」、第5楽章「サバトの夜の夢」という標題がある。
異常に敏感で、豊かな空想力に恵まれた若い芸術家が恋に破れ、深い絶望に陥り、阿片を飲む。しかし、毒薬は彼を殺すには弱すぎた。彼は奇怪な幻想を伴う夢に投げ込まれ、その中で彼の感覚や情緒や記憶が、彼の心を通過していくとき、それは音楽に変えられる。彼女(=恋の相手)はある旋律、固定楽想となって、繰り返し繰り返し、いつまでも彼につきまとう。
といったことが、冒頭に書いてある。これは筋書きではないが、ある芸術家(ベルリオーズ自身)の、あまりに深すぎた片思いによる幻想の情景を、劇的に描き出した、壮大なスケールの交響曲なのだ。

管弦楽法から言っても、イングリッシュ・ホルン、ヴィオラなどが上手く生かされた響きを持ち、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイドなどの新しい管楽器を用いたり、ハープが複数台、4本のファゴット、4人のティンパニ奏者、鐘の使用、コル・レーニョ奏法など、今までの交響曲とは全く異なるスタイルである。
また、「固定楽想」という手段も、リストの交響詩や、ワーグナーの歌劇の指導動機などの先例である。

第1楽章「夢・情熱」、ある音楽家が、恋人と出会う以前の茫然たる渇き・憂鬱・憧れ・あてのない喜びを思い出す。そして彼女から受けた爆発的な恋愛、激しい恋の熱情がよみがえる。悩み、苦しみ、燃えるような嫉妬、狂うような心、やさしさへの復帰、宗教的な慰め。
フルートと第1ヴァイオリンが恋人の姿を表す固定楽想を奏でる。
第2楽章「舞踏会」、華やかな宴のどよめきの中、彼は再び恋人に出会う。
中間部は恋人の姿(固定楽想)をはっきりととらえられる。
第3楽章「野の風景」、ある夏の夕、彼はふたりの牧人が角笛で羊飼いの歌を奏でるのを聴く。美しいデュエット、風景、そよ風、梢、ようやく感じられる希望、それら全てが彼の心を安らがせる。だが突然、彼女のことが思い返される。「もし彼女がそむき去ったら?」暗い予感が彼に満ちていく。牧人がひとりで角笛を吹く…その答えは……落陽………遠雷…………孤独……………静寂。
イングリッシュ・ホルン、オーボエの掛け合い、角笛(ホルン)の響き。固定楽想が現れると、風と共に激しい心の乱れ。
第4楽章「断頭台への行進」、彼は恋人を殺す夢を見る。死刑を宣告され、刑場へひかれる。その行進は、あるときは陰鬱に、あるときは荒々しく、あるときは厳粛に、あるときは華々しく、重い足音が続く。最後に固定楽想が現れるが、一瞬で消える。最後の愛の思いは、生命を絶つ斧の一閃に断ち切られる。
独特なリズムのティンパニ、ミュートホルンが陰鬱な気分を出す。金管楽器のグロテスクで華やかな行進、クラリネットが固定楽想を奏で、トゥッティで一斉に断頭。恋人の幻は太鼓の音と共に消えていく。
第5楽章「サバトの夜の夢」、彼は悪夢の饗宴にて、彼を葬る悪魔や魔法使いに囲まれる。うなり声、叫び声、不気味な笑い声がこだまする中、彼は恋人の旋律を聴く。しかし、そこにはかつての高貴さ、優雅さ、つつましさはない。俗悪で奇怪ないやらしい魔女の舞踏になっている。魔女の饗宴に彼女が現れ、サバトのオルギアに加わる彼女は魔女たちに歓喜の挨拶と共に受け入れられる。弔いの鐘、「怒りの日」を擬した滑稽な旋律。それは魔女のロンドと入り交じる。
サバトの夜、固定楽想を基にした、クラリネットの奇妙な和音の舞曲。悪魔の歓声、鐘の音。木管の奇声、不気味なコル・レーニョ、踊りはますます激しくなっていく。

どこをとっても、美しい音楽。だがそこから感じるベルリオーズの精神は尋常ではない。
かなわない恋の想い、それは憎しみに変わる。情熱は燃え上がり、狂気に変わる。
恋うている相手を旋律化するところなどはかわいらしくもあるが、幻想ならなんだってできてしまう。
彼女を殺して、自分も死刑。ありがちな狂気、しかしそれにとどまらない彼は、魔女の饗宴に彼女(の旋律)を登場させる。
恐ろしい程の憎しみと陵辱。自らを弔う鐘の音。全ては「ある芸術家」の幻想である。
恋愛感情はこれ程にも人間を狂わせられるのか。

ちなみに、ベルリオーズはスミンソンという女性に熱烈な恋をして、それに破れてこの曲を作曲した。
その後違う女性と結婚目前まで行き、またも恋破れる。
しかし、その翌年、幻想交響曲の再演を聴きに来たスミンソンと再会。今度は彼女も受け入れ、結婚。
なんだ、結局うまくいってるじゃないか!!
つまりは、それほどの名曲だということです。

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| ベルリオーズ | 19:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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