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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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クライスラー ベートーヴェンの主題によるロンディーノ:クラシックになるということ

愛の喜び&愛の悲しみ~クライスラー自作自演集愛の喜び&愛の悲しみ~クライスラー自作自演集
(2007/11/07)
クライスラー(フリッツ)

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クライスラー ベートーヴェンの主題によるロンディーノ

以前にクライスラーについて書いたとき、また取り上げたいなどと書いてから、もう3年半近く経ってしまった。
今回取り上げるのは、「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」という、クライスラーの小品を解説する際には極めて中途半端で難しいものなのだが、これはある意味特異な作品であり、またかくのごとき小難しい事情を抜きにしても、美しく魅力的な小品である。
クライスラーのヴァイオリン小品と言えば、かつて紹介したように、今では珠玉の名作として愛されているが、やはりそれはクライスラーの作品が今はもう立派な「クラシック」音楽になった、より厳密に言えば「クラシック」音楽として認められたからである。
“認められない”ならば、それは歴史の中に埋もれてしまうのであり、そういう作曲家は多いし、有名作曲家の曲でもそういうものはある。
クライスラーは、自ら作った曲の幾作品かを、こうした歴史の中に埋もれていた「知られざる名曲」を発掘したという体で発表し、演奏した。彼が自分のオリジナル作品として演奏し、批評家たちから駄作だと言われ、「こうなったらもう……」とクラシックの歴史に名を残す大作曲家たちの名と名声を借りようと思ったのだろう。
事実、そういう大作曲家の音楽スタイルを真似するのは容易い。完璧な再現はできないだろうが、そもそもそうした模倣から芸術は発展していったと考えることもできよう。
クライスラーが大作曲家の知られざる名曲を編曲したと偽って発表した作品は、実は本人が創作したものだと明らかになる。批評家たちからの追及に、真実を語ったクライスラーは、「やはりクライスラーは素晴らしい作曲家だったのだ!」、「いやいや、クライスラーめ、今まで聴衆を小馬鹿にしやがってひどいやつだ」などと、様々に評価された。
そんなクライスラーも、今になってみれば、やはり音楽史に名を残す、偉大な作曲家のひとりとして敬愛されているのだ。

「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」は、その名の通り、ベートーヴェンが書いた作品番号も付かない小ロンド(WoO 41)の旋律を発見し、それを借りて作ったものである。クライスラーの弦楽四重奏曲にも転用されている。
この曲もまた編曲モノとして発表され、(ほぼ)自作曲と明かされたものだが、これが本当にベートーヴェンかどうかという問題は、僕にはどうも非常に小さなことではないかと思われるのだ。
クライスラーが名を借りた作曲家を挙げると、バッハ、ヴィヴァルディ、クープラン、ディッタースドルフ、ルクレールやプニャーニなどで、そうしたスタイルを真似た作品がたくさんある。
そうした、完全オリジナルの曲も、主題を実際に借りた今回のロンディーノも、どちらも等しく素晴らしい曲に思えるのである。
この曲にしても、大半はクライスラーの創作で、彼自身の音楽と、過去の素晴らしい音楽家のエッセンスと、見事に融和されている。
音楽を聴いて「誰々の真似」ではなく、「見事な融和」と感じるというのは、クライスラーが、現代に生きる我々にとって、等しく大作曲家として認識されているということを意味する。ベートーヴェンの方が優れているとかクライスラーは作曲家として劣っているとか、そういう議論はより些細なものだ。
しかし、作曲当時のクライスラーにとって、自分の曲が他の作曲家と比べてどう扱われるかというのは、非常に重要な問題であった。自身の名では批判され、大作曲家の名では称賛される。クライスラーも悩んだことだろう。自分の音楽が正当に評価されているかどうか疑わしく思ったことだろう。
これは、作曲家が生きている間は、常に付きまとう話であり、たとえば職業音楽家ではない、僕のようなアマチュアで作曲やら編曲やらをする人間には、実に身近な話なのだ。
所詮自分は無名な人間であり、過去の大作曲家や、人気や実績のある人物には敵わない、そういう悩みはつきものだ。「誰々の真似」とか「二番煎じだ」とか思われるのはよくある話だ。
それでもクライスラーがこうした音楽を作ったのはなぜか。
クライスラーは評価や称賛というものを捨て、自分の音楽がとにかく世に出て、演奏し、演奏され、音楽の素晴らしさや喜びを共有するために、こうした手段を取ったのだ。
彼がそういう手段に踏み切った当時は、それは賛否両論だっただろう。しかし、年月を経て、今は名曲と認められている。もし彼が、なんとかしてこの曲を世に生み出さなければ、クラシック音楽として存在することはなかったのだ。
現在、様々なスタイルの音楽があり、それを模倣し、進化させていくのは現代に生きる芸術家だ。それはこれからクラシック音楽となるのかどうか。僕はクライスラーのこの手の小品を聴くと、ふとそういうことを思う。

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| クライスラー | 19:42 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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クライスラー ウィーン綺想曲、ほか:小品について

ヴァイオリン名曲集ア・ラ・カルトヴァイオリン名曲集ア・ラ・カルト
(2007/08/22)
ギトリス(イヴリー)

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クライスラー ウィーン綺想曲、愛の喜び、愛の悲しみ、美しきロスマリン

ついこの間、千住真理子氏のヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。
実に充実のプログラム、前評判通り力強く、かつ繊細な演奏で満足だったのだが、クライスラーの楽曲はなかった。少し残念。
数あるヴァイオリン愛奏曲において、もちろんピアノ作品や宗教曲の編曲も良いが、クライスラーのオリジナル作品もやはり醍醐味の一つだ。
クライスラーの小品は、旋律が聴きやすく、感動的である。
クライスラーはもちろん演奏家としても一流だが、彼の演奏で「名盤」として取り上げられるものを考えると、協奏曲における彼の奏するカデンツァの魅力も大きかったりして、結局作曲家としての才能のすごさを感じてしまう。
彼の小品の中でも有名な曲4曲を挙げてみた。

ウィーン綺想曲は、僕の最も好きなクライスラー作品で、4分程の中にウィーンの優雅な雰囲気と自由気ままなカプリチオの魅力が詰まっている。
愛の喜び、愛の悲しみは、よく対にして演奏される。どちらもテレビなどでもよく耳にする曲である。爽やかな愛の喜びと、悲哀な感情豊かな愛の悲しみ。
どちらも名曲だが、「愛の悲しみ」の方がより深い、というか、構成も情感もより複雑さがある。もちろん、両方とも文句なしに美しい。
そのあたり、愛についての真理と言ったことろか。
美しきロスマリンも有名な曲の1つだ。愛の~2曲と、この曲はよくアンコールで演奏される。
ロスマリンとは花の名前(ローズマリーのこと)であり、花言葉は「追憶」とか「思い出」「私を思って」。
美しい女性の象徴でもあるそうだ。美しい花、美しい女性、短い曲だがまさにそんな曲である。

小品、というのを考えたとき、その魅力は、演奏するのも聴くのも容易いということだ。
ちょっと空いた時間に楽譜を広げ演奏する楽しみ、短い休憩時間にさらっと聴ける楽しみ、それらはオーケストラの大曲などにはない魅力である。
そして、本当に良くできた小品というのは、容易く演奏しても、容易く聴いても楽しめるが、弾くのも聴くのもどこまでも極められるような、奥深い作品だろう。
その点クライスラーの小品はどうか。是非とも聴いて頂きたい。
僕は残念なことにヴァイオリンは弾けないのだが、ピアノ独奏用の愛の喜びもなかなか良いものだ。
機会があれば、もう1度か2度、クライスラーについて書きたいと思う。

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