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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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サン=サーンス 組曲「動物の謝肉祭」:楽しい皮肉の時間

プロコフィエフ:ピーターと狼、サン=サーンス:動物の謝肉祭プロコフィエフ:ピーターと狼、サン=サーンス:動物の謝肉祭
(1996/10/21)
ニューヨーク・フィルハーモニックバーンスタイン(レナード)

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サン=サーンス 組曲「動物の謝肉祭」

なぜこの曲を取り上げたかと言うと、最近シェルヘン指揮の音源を聴いて、本当に動物の声が入っていてビックリ仰天したからだ(理由になっていないか)。
大変有名な作品なので、こういうのを取り上げる際ちょっと捻ったことでも書かないとなあ、なんて思うのだが、大したことは書けないものだ。
まあそれだけこの曲が素晴らしいということでどうかご勘弁を。
全曲を通してはもちろんだし、組曲のうちそれぞれ単独で演奏されたり、編曲版で演奏されたりと、非常に愛されているが、それはサン=サーンスの死後の話であって、彼が生きているときは2度演奏されただけで、彼自身この曲の再演を許さなかった。
サン=サーンスの他の曲を聴けばわかるが、基本的に彼の作風は深みがないというか、「さらさら」としている(僕は当然褒めているつもりである)。そんな中でも、この作品は特にパロディ風で風刺的で、あんまり軽い音楽を作るやつだと思われたくなかったのかもしれない。
この曲がサン=サーンスの音楽がどんなものかを端的に示している、という指摘はよく言われるところだ。
それが本当だからだろうか、かえってこの曲が広く世に出るのを、サン=サーンスは少し気恥ずかしく思っていたのだろう。少なくとも、サン=サーンスの音楽はともかく、サン=サーンスという人物を知るにはもってこいだ。

序奏と獅子王の行進、雌鶏と雄鶏、驢馬、亀、象、カンガルー、水族館、耳の長い登場人物、森の奥のカッコウ、大きな鳥かご、ピアニスト、化石、白鳥、フィナーレ、という構成。
「亀」でゆっくりと演奏される『天国と地獄』、「象」ではベルリオーズとメンデルスゾーンの曲が用いられ、「化石」では自身の『死の舞踏』に加えフランス民謡とロッシーニの『セビリヤの理髪師』、フィナーレにまたしても『天国と地獄』、とパロディ天国である。
僕はピアノと打楽器を演奏するが、そういう者の立場から言うと、シロフォンが活躍する二大クラシックと言ったら、「剣の舞」と「化石」と相場が決まっているし、初めて「ピアニスト」を聴いたときはやはり衝撃だった。
「ピアニスト」はいかにもつまらなそうな練習曲を再現した、一流気取りの下手くそピアニストたちにたっぷり皮肉を込めた曲である。実はこの曲には、減衰楽器であるピアノに対する皮肉も込められているのではないかと思う。ピアノ弾きとして、スラーを上手く弾くのに苦労した者なら、この曲を聴いたときなんとなくその気持ちを分かってもらえると思うのだが。
「ピアニスト」と「耳の長い登場人物」は、当時の音楽評論家たちを風刺したもので、彼らがいかに形骸的で、ただわめいているだけかということを言いたかったようだ。
本来動物園にいないであろうこういう人物たちが、檻の中で見世物になっているということ自体が皮肉だし、音楽を聴けばなおさら彼の考えに触れることができる。
「化石」では『死の舞踏』の骸骨の踊りが登場する。自分の曲に目を向けてくれず、昔の音楽の化石たちや骸骨たちが踊り続けている当時の音楽界に一言物申すといったところ。
さんざん皮肉っておいて、最後の方に「白鳥」で純粋なフランス音楽の美しさを見せつけてくるところが、まあサン=サーンスらしいし、実際この美しさは彼の天分なのだろう。
彼の音楽は大体あんまり深みがないというのは、僕は当たっていると思う。彼はベートーヴェンを尊敬してはいたが、自分と共鳴するものは見出さなかった。
まさにそういう彼の真実の姿が見える音楽だし、何より楽しい音楽だ。
例えば人の悪口はこっそり言うから楽しいのであって、こういうのはモーツァルトのように、内輪でやってゲラゲラ笑うのがぴったりなのかもしれない。

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サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」:余韻という響き

Saint-Saens: Symphony No. 3; Piano Concerto No. 4; Introduction & Rondo CapricciosoSaint-Saens: Symphony No. 3; Piano Concerto No. 4; Introduction & Rondo Capriccioso
(1993/06/22)
Camille Saint-Saens、

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サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」

フランス後期ロマン派の作曲家、サン=サーンスの作品のうちで、最高の作品と言ってもよいだろう。
サン=サーンスはいわゆる神童・エリート・天才肌で、フランスの音楽家の中で、唯一国葬で送られた作曲家である。
彼が一番芸術的に円熟していたであろう時期の作品で、彼自身この作品に「私の全てを注ぎ込んだ」としている。
最大の特徴はなんといっても「オルガン」であり、パイプオルガンが非常に重要な役割を担い、壮大な雰囲気を持つ。
通常の1、2楽章を第1部、3、4楽章を第2部とした2部構成の曲で、「循環形式」(ある主題が曲全体に渡り登場すること)を用い、統一感を持たせている。
リズム・和音が様々に変化しつつも、ある決まった印象を与え続けるのは、サン=サーンスの見事な手腕。
そういった綿密さとスケールの大きさの共存が、この曲を誰もがうなずく傑作たらしめているのだろう。

以前吹奏楽に編曲された、世にも珍しいオルガンなしの「オルガン付き」を聴いたことがある。
聴く前は友人と「オルガンなしで…?」と残念というか全く期待していなかったのだが、聴き終わったら「案外良かったね…」と二人で驚いた。
もちろん演奏そのものが上手かったというのもあるが、編曲してもしっかり良さは残る、これはやはり名曲と言わずにはいられない。

サン=サーンスらしさというべきか、オルガンだけでなく、ピアノの使い方も実に憎い。
第2部プレストのハープのような音階、マエストーソのこそばゆい程のアルペジオ伴奏はそれだけでも鳥肌ものだ。
オルガンが圧倒的なのはハ長調主和音の強奏。
いざフィナーレへと向かう鬨の声のごとく、或いは天の裂け目から光が麗々と降ってくるかのように鳴り響く。
後半、マエストーソ以降のオルガンで僕が特に感激する点は2つ。
まずffで弦五部とオルガンが循環主題を奏でるところ、ここのオルガンが4分音符、弦が8分音符という長さの違いが、非常に美しいハーモニーになる。
そしてはずせないのは、一番最後のフェルマータ。
曲の終わり、興奮も極まった最後の和音が、指揮者によって切られた瞬間、その余韻である。
管弦とオルガンの異なる余韻は、筆舌に尽くせない絶妙な感覚だ。

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