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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲:奇妙な協奏曲

Great Recordings Of The Century - Beethoven: Triple Concerto; Brahms: Double Concerto / Oistrakh, Rostropovich, RichterGreat Recordings Of The Century - Beethoven: Triple Concerto; Brahms: Double Concerto / Oistrakh, Rostropovich, Richter
(1998/09/30)
Beethoven、Brahms 他

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ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102

かなり変わった編成の協奏曲である。ブラームスはちょうどこの曲を作曲する前に、バロック音楽について勉強をしたらしい。バロックでは「合奏協奏曲」というジャンルがあるが、複数のソロ楽器と伴奏という組み合わせは、そこから着想を得たようである。
しかしまあ、ヴァイオリンもチェロも楽器としてはかなり有名どころであり、またブラームスも一流作曲家であるので、演奏機会も録音も多い。
特殊な構成ながらも、ブラームスの魅力である骨格のしっかりした骨太で重厚な音楽を楽しむことができる。交響曲ほど演奏時間も長くないが、交響曲さながらの力強く迫力あるオーケストラ音楽が展開される。
それでいて、ヴァイオリンとチェロのそれぞれの技を楽しめるという、通常の協奏曲の2倍も3倍も美味しい曲なのだ。ちなみにベートーヴェンには三重協奏曲という曲があり、こっちの方がより美味しいじゃないかと言われたらまあそれまでなのだが。
さんざん褒めてから言うのも難だが、中途半端な感じもしなくはない。ピアノ協奏曲ならひとまずピアノに注目するだろうし、交響曲と思って聴くにはヴァイオリンやチェロが目立つ。
もちろん、この曲の魅力として先に挙げた要素を、耳と頭をフルに活動させて聴くのが音楽に対する礼儀には違いない。そうやって全身全霊をかけて音楽に対するという姿勢が、特にベートーヴェンやブラームスの「魂の音楽」には求められると言えるだろう。
と、そんなことはわかっていても、やはり取っ掛かりは欲しいもの。どこか一つでもいいので、興味を持てるところから、そこに注意して聴き始めるのがいいと思う。木を見てから森を見ようが逆だろうがなんでもいいのだ。
最初はヴァイオリンに注目するもよし、自分の好きなソリスト、指揮者、オーケストラからこの曲に入るのもよし、何か小さなきっかけで良いので、そこからブラームスの重厚で深い音楽へ切り込んで行ってもらいたい。
ちなみに僕がこの曲を好きになったきっかけは、3楽章のメロディの格好良さからだった。そこ以外はむしろほとんど興味がなかったのだが、聴き込めば聴き込むほど、この作品の素晴らしさを実感している。

ブラームスがこの曲に着手したのは、1887年の夏。スイスのトゥーン湖畔にあるホーフシュテッターにて。このアルペンの湖畔の素晴らしいロケーションが創作意欲を掻き立てないわけがない。ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタもこの時に作られた。
交響曲第4番を作り、第5番を作ろうとしていたブラームスは、その着想をこの協奏曲に転用しなければならない事態に陥っていた。交響曲をやめて協奏曲にした理由は、長年の親友であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとの不仲である。若くして作曲家・演奏家として名声を得ていたヨアヒムは、ブラームスの兄貴分のような存在。ブラームスをシューマン夫妻のもとに預けたのも彼である。
そんなヨアヒムは、自身の妻アマーリエに対して常軌を逸した嫉妬心を抱いていた。ヨアヒムはアマーリエの浮気を疑い、結局二人は離婚する。ブラームスはアマーリエの潔白を擁護し、慰めの手紙を書いたのだが、それが法廷に出たものだからヨアヒムは激怒。ブラームスまでも俺を裏切ったのかと思いこんでさあ大変。
ヨアヒムは変わらずブラームスの作った曲を演奏し続けたが、二人の間はぎくしゃくしたままだった。そこでブラームスは、ヨアヒムと仲直りするために、名ヴァイオリニストである彼の助言を得ながら協奏曲を作ろうと試みたのだ。それがこの二重協奏曲である。
なぜチェロが出てきたのか理由は定かではないが、まあヴァイオリン協奏曲の作曲にはすでに満足していたのかもしれない。
結局初演はヨアヒムのソロで行い(チェロはブラームスの友人ハウスマン)、そのときはヨアヒムとブラームスは久しぶりに色々と入念に打ち合わせをしていたらしい。クララ・シューマンはそれをみて驚いたとのことだ。後にこれはクララをして「和解の協奏曲」だったと言わしめたが、あくまで和解であり、その後彼らの仲が以前のような親友に戻ることはなかった。
そんな「和解」という言葉と、ヴァイオリンとチェロという2つの楽器がソロを担当するという事情と相まって、ヴァイオリンとチェロが寄り添うような友情の調べを奏でる……などという解釈もあるが、あまりふさわしいとは思えない。
2つの楽器の噛み合い方は重要な問題だが、どうにも調和が求められるようにも思えない。むしろ両ソロ楽器が個性を十分に発揮した演奏の方が、聴いていて楽しい。せっかく二重の協奏曲なのに、なんだか変わった曲である。
初演でも賛否両論だった。それが今やブラームスの代表曲のひとつとなっている。やはりこれは、初めて聴くとちょっとわかりにくいのかもしれない。しかし、長年かけて愛されてきたように、何度も聴けば、その変わった魅力の虜になるだろう。

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| ブラームス | 00:44 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」:音楽のあるところ

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集
(2007/11/07)
ルービンシュタイン(アルトゥール) シェリング(ヘンリク)

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ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 作品78「雨の歌」

この曲の録音を雨の日に聴く、という人は多いようだ。かく言う僕もその一人で、静かに雨が降る日に部屋でこの曲を聴く時間というのは、晴れの日には味わえないなんともしみじみとした魅力的な時間である。もちろん、土砂降りの日には避けたい。そんな曲じゃない。
「雨の歌」という題名はブラームスが付けたものではなく、この曲の3楽章の旋律がブラームスの歌曲「雨の歌」から取られているからそう呼ばれている。
こちらの歌曲の方も素晴らしいのだが、このヴァイオリン・ソナタの方が、本家の歌曲よりもずっと雨に相応しい音楽として認められているのは否定できない事実である。
1879年に完成した作品。ブラームスが初めてイタリアを訪れたのが1878年、イタリアで本当に楽しい時間を過ごしたようで、そういった明るさがこの曲の親しみやすさの所以だろう。
そしてただ親しみやすいだけでなく、この曲から感じられる孤独感や抒情性の深さは、円熟期を迎え始めたブラームス自身の思いや感情から来るものであろうし、親しみやすさと内省的な深さの併存が、この作品の特徴でありまた名曲と呼ぶに値する理由だ。
生演奏を聴ければもちろん最高だけれど、この曲では録音を聴くなら案外モノラル録音も良いものだ。
ステレオならシェリングとルービンシュタインのものが大好きだが、ドイツ屈指の名ヴァイオリニスト、ゲオルク・クーレンカンプとショルティの共演(1947年)や、世界最高峰のヴァイオリニスト、シモン・ゴールドベルクの録音(1953年)などの古いものでも、非常に味わい深い。
モノラルはちょっと苦手という人がいたら、上のような演奏を部屋でかけてみて欲しい。

親しみやすい訳は、この曲が非常にメロディックであるからというのもある。1楽章冒頭からのヴァイオリンのメロディーは、優しく温かく、身体を包み込むような旋律だ。
2楽章はぐっと抒情的になる。「ブラームスらしい渋み」を感じることが出来るのはこの楽章だろう。
3楽章で1,2楽章との関連付けが見られ、ひとつの作品として上手くまとめられている。ブラームスはこういうところで手を抜かない。彼の芸術家としての卓越性の一つであり、こじんまりとしているようで、実は内部にどこまでも続く広がりを持っている。
冷たい雨がしとしとと降っているとき、この音楽が部屋にあると、さっきまで嫌な気分だったのが途端に良い感じになる。
決して「雨の音楽」ではないのだ。優しく温かくと書いたが、むしろ雨とは相反するところにこの音楽はある。降りしきる雨の中、傘を差して歩くときの音楽としてはちょっと向いていないような。
部屋の中に優しい光と温もりを与える、暖炉の火のような音楽。

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| ブラームス | 12:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブラームス 弦楽四重奏曲第3番:楽聖への挑戦

ブラームス:弦楽四重奏曲全集ブラームス:弦楽四重奏曲全集
(2006/12/20)
プラハ弦楽四重奏団

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ブラームス 弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 作品67

ブラームスがベートーヴェンを敬愛していたことは有名な事実だし、実際交響曲のエピソードはよく知られている。
「ベートーヴェンを越えなければ、交響曲を作る意味がない」と意気込んで作ったブラームスの交響曲第1番は、実に完成まで22年の歳月が費やされた。
ベートーヴェンの交響曲は、ハイドンやモーツァルトと異なり、交響曲という形式の音楽に、ある完成形を提出した。
どう異なるかというのはまあベートーヴェンのときに話題にするとして、ベートーヴェンがもう1つ、ハイドンやモーツァルトと異なり、その分野の音楽のある完成形を示した音楽形態が、弦楽四重奏である。
バルトークの弦楽四重奏曲が「ベートーヴェン以来の業績」などと言われるように、それまでの作曲家は、室内楽という音楽ジャンルの1つとして、弦楽四重奏曲を作曲したという捉え方もある。
ベートーヴェンは弦楽四重奏曲を16曲作り、これに比類するのはドヴォルザークの14曲、ヴィラ=ロボスの17曲、ミヨーの18曲、ショスタコーヴィチの15曲、など、弦楽四重奏は長い間(特にロマン派の時代)、そう量産されるものではなかった。
ブラームスはというと、実は20曲ほど書いてはいるのだが、結局完成されて世に出たものは3曲しかない。
これは、ブラームスが、交響曲のときと同じく、ベートーヴェンが残した偉大な弦楽四重奏曲を前にして、自分の作品が果たしてそれに並ぶものであるか、苦悩した結果なのである。

1875年の春から夏に作曲され、翌年初演された。ハイデルベルク近くのツィーゲルハウゼンで、友人たちとの交流を楽しみながら作ったからだろうか、3曲中最も快活で明るく、朗らかで牧歌的な雰囲気も漂う曲となった。
1楽章の活き活きとした感じは、旋律や拍子、強弱の変化の大きさに依るものだ。この楽章をどれほど元気よく演奏するかで、そのカルテットの性格がわかると言っても良いかもしれない。
2楽章はヴァイオリンが、3楽章はヴィオラ、チェロが、それぞれ活躍する。そのバランスも、ブラームスによって入念に考えつくされたものであることは言うまでも無い。
白眉は4楽章の変奏曲である。主題の圧倒的美しさは勿論、各変奏曲の面白み、最後の方の感情的な起伏のコントロールや壮大さ、これら全て、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に負けない、最高の出来栄えと言える。さすがは変奏曲の名手と言ったところだ。
ブラームスが悩みに悩み、選りすぐって世に出した作品が、全て偉大なるベートーヴェンに対抗できるものかどうかは、ちょっと怪しいところだが、少なくとも弦楽四重奏曲については、特にこの第3番については、楽聖と比肩すると言って問題ない傑作であろう。
じっくりと時間をかけて聴きこめば、古典派の威光に喘ぎながらも、自身の芸術を突き進むロマン派音楽の素晴らしさがぎゅっと濃縮されていることに気が付くはずである。
ブラームスらしさが本当によく感じられる珠玉の名曲だ。

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ブラームス ハイドンの主題による変奏曲:変奏曲の命

Symphony 2 / Haydn VariationsSymphony 2 / Haydn Variations
(1990/10/25)
Johannes Brahms、

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ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

管弦楽版と2台のピアノのためのものがあるが、56aは管弦楽であり、こちらが一般的。
1873年、おそらく両版ともほぼ同時に作曲されたのだろう。
ブラームスは多くの変奏曲を作っている。
ピアノ曲だが、ヘンデルの主題、ハンガリーの歌の主題など、名曲が残っている。
中でもとりわけて素晴らしいと僕が思うのはパガニーニの主題だが、まあそれはまたの機会に語ることにしよう。
ブラームスがウィーンに移住してから10年ほど後、彼はウィーン楽友協会の芸術監督に就任した。
そのとき、附属図書館の司書から、ハイドンの楽譜を見せられる。
「聖アントニウスのコラール」と書かれた、合奏用のディベルティメントであった。

ブラームスはこれをいたく気に入って、変奏曲を作ることにした。
主題と8つの変奏、そしてフィナーレ、その全て気品ある、格調高い曲になっている。
この主題が、ブラームスがすぐさま気に入った理由もわかるくらい、耳に残る、本当に素晴らしい旋律である。
ハイドンが作曲したものではない、と言われてもいるが、そうだとしたらハイドンとブラームス、この2人を虜にした旋律ということになる。
変奏曲の善し悪しを決めるのはもちろんその作曲家が提示するバリエーションではある。
そのバリエーションで作品の評価をしたり、批判し合ったりするのは、昔からあったし、当然である。
しかし、この優しく朗らかな旋律を聴くと、それ以上に「主題」の重要性を思い知らされる。
ブラームスらしい厳格なオーケストレーションが、柔らかな主題を一層引き立て、絶妙に気高い変奏曲をなしている。
ブラームスは聴くと疲れる、という曲も多い。
だが、この小さくも完璧な変奏曲の世界は、いつまでも聴いていられる。
これもブラームスの才能だし、またこの主題「聖アントニウスのコラール」の魅力によるものだ。

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| ブラームス | 22:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブラームス 2つのラプソディ:三大Bは嘘ではない

ブラームス:ロマンティック・ピアノ小品集ブラームス:ロマンティック・ピアノ小品集
(2007/11/07)
ルービンシュタイン(アルトゥール)

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ブラームス 2つのラプソディ 作品79

なぜあえてこの曲をブラームスの最初の記事にしたかというと、思い入れがあるからというのと、交響曲にすると文章が長くなって、これを書いてい今では時間が足りないんじゃないかなあと思ったからです…
交響曲については色々と書きたいことが多くてまとめるのが大変そうなので。
本題に戻ると、この曲はブラームスのピアノ小品で、第1番がロ短調、第2番がト短調、晩年の作品である。
高校生の頃この曲に出会って、2回本番で弾いたことがある。
「ピアノって深い!」と思うようになったのも、この曲に出会ってからだ。
ラプソディと名付けられているだけあって、狂詩曲、狂わんばかりの情熱を感じる曲である。
1番の方が情熱的で激烈な感情、2番の方が暗鬱で不安定な狂心、という感じの曲だ。

ブラームスが何を思ってこの曲を作ったのかはわからないが、まあどうしても知る必要はないだろう。
僕はこの曲を演奏するに当たって、自分の中に何か狂いそうになる心境が必要だと感じた。
そのような熱狂的な、クレイジーな情熱を込めて演奏するというのはそうそうできない。
そもそもそのような曲はそう多くあるものではない。
自分が狂えば狂うほど、このラプソディはそれを受け入れてくれる。
その熱狂的情熱を無限に広げてくれる、そんな曲だろう。
この曲を弾くと、自分の感情が体からあふれそうになってしまう。
そのあふれそうな情熱を全てこぼさず音にするというのは、大変難儀なことだ。
相当な精神力と体力が要される。
その点がベートーヴェンと近いものを感じるのである。
魂のこもった音楽、といえば、やはりベートーヴェンとブラームスだろう。
魂を感じる音楽をする、それは全ての音楽で大切なことだが、直接的に感じる圧倒的な魂は、なんといってもベートーヴェンである。
それに引けを取らないのがブラームスである。だてにベートーヴェンを尊敬している訳ではない。
ベートーヴェンのソナタ、ブラームスのラプソディ、こういった曲はプロ・アマチュア問わず、人間が本気を出せば簡単に本当に魂を持って行かれそうになる類の曲だろう。

ちなみに作品番号でいうと、この次は大学祝典序曲になる。
ちょっと面白い。

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| ブラームス | 23:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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