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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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シべリウス 組曲「恋人」:静かな恋の情景

Sibelius:Works for String OrchSibelius:Works for String Orch
(1996/02/07)
Jean Sibelius、 他

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シベリウス 組曲「恋人」 作品14

愛の夢に続き、似たようなジャンルで似たような経緯を持つ作品として、シベリウスの組曲「恋人」を取り上げる。
テーマは恋人たち、そしてリストの愛の夢と同じように、歌から器楽へと編曲されて、現在まで愛されている作品だ。
弦楽合奏版(弦楽、ティンパニ、トライアングル)が最もポピュラーな編成である。この曲もまた本当に愛を感じる作品だが、そこはシベリウス、じんわりと染み入る愛が実に彼の音楽らしい。
「恋するもの」「愛するものの小径」「こんばんは、さようなら」の3曲構成で、15分程の組曲。非常に聴き易く、シベリウスの珠玉の名曲というに相応しいだろう。
1893年、シベリウスは20代も終わりに近づいた頃だが、ヘルシンキ大学の男声合唱団のための作曲コンクールに応募した合唱曲が基になっている。
コンクールでは2位入賞、翌年には弦楽伴奏付きの合唱曲へ、1898年にはア・カペラの混声合唱へと編曲されている。
1911年、シベリウスは第4交響曲を作曲中、印象派の影響も強くなっている頃、今最も演奏される弦楽合奏版へと編曲され、翌年完成。シベリウス自身の指揮で初演された。
シベリウスの第4交響曲というと、なかなかに渋い作品だが、この組曲「恋人」はというと、もちろん華美な感じは一切ないが、印象派風の響きと弦楽の優しい旋律とが相まって、歌詞がないにもかかわらずかえって愛を感じうる作品になっていると言える。

あまりロマンチックに愛を押しつけてくるような感じではないところが、シベリウスの感性というか芸術性なのだろう。
第1曲の「恋するもの」、まあ恋人のことだが、心落ち着かないような和音から始まるものの、すぐに落ち着いた息の長い旋律が現れる。この不穏な感じと温かみある感じがどちらも顔を出して音楽が展開する様は、恋人を思う人の心そのものなのかもしれない。
私の恋する人が現れてくれたなら喜びにあふれるのに……という歌詞らしいが、喜びと不安の混在するような心情が、美しく表現されている音楽だ。
第2曲が実にシベリウスらしい、弦楽が小刻みに奏でる愛する者たちの歩み、僕なんかも憧れてしまうような、素敵な「愛するものの小径」の情景が浮かぶ。
シベリウス然りグリーグ然り、北欧の作曲家のこういった弦の扱いには感嘆せざるを得ない。
第3曲は「こんばんは、さようなら」という題名からも何となく予想されるように、少し寂しげな印象も受ける曲だ。しかし僕はこの曲が最も好きで、様々な描写が現れる音楽なのだが、それらひとつひとつの質が非常に高く、聴いていてどんどん場面を想像してしまうのだ。
時に悲しげな低弦や、楽しそうに見せかけつつも哀愁を帯びるヴァイオリンの旋律――これは愛の哀しみの音楽と言える。哀歌を口ずさんで消えるクライマックスからは、長い別れなのか、一晩の別れなのか、永遠の別れなのか、貴方は一体どう感じるだろうか。
これだけさんざん「愛」だの「恋」だの語ってはいるが、実際それが何かと言われると、まあよくわからない。
しかしそれでも「愛」を感じる音楽だと言いきれる。哲学よりも深く、芸術に愛を見出すことができるように思えてならない。

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| シベリウス | 18:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シベリウス 交響曲第3番:内省による純朴さ

Sibelius: Symphonies Nos. 3 & 5Sibelius: Symphonies Nos. 3 & 5
(2004/11/23)
Jean Sibelius、

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シベリウス 交響曲第3番 ハ長調 作品52

フィンランディア、交響曲第1番、第2番で成功を収めたシベリウスは、ヘルシンキで豪奢な生活を送っていた。
彼は酒とタバコに浸り、その生活は享楽を極め、徐々に健康を害し、家計も圧迫し、ついには彼の創作活動にまで影響を及ぼしだした。
そこで彼は一念発起し、ヘルシンキ郊外の自然に囲まれたヤルヴェンパーという地に家を建て、そこで暮らすようになる。
創作意欲を取り戻したシベリウスは、この交響曲の作曲に取りかかった。
この第3交響曲から、彼の作風は大きく変化することとなる。
北欧の美しい自然に囲まれた生活が、その作風に大いに影響を与えていることは言うまでもない。
また、形式の面でも、彼の他の交響曲との比較することで、シベリウスの音楽的な深まりを見ることが出来る。
3楽章構成の作品だが、それは第2交響曲での3楽章と4楽章が切れ目無く繋がることの発展型である。
第5交響曲でも同様の手法が取られ、第7交響曲では遂に単一楽章となる。

以前は、僕にはもうシベリウスと言ったらフィンランディアしか頭になかったのだけど、後期作品の魅力に触れてから、かなり見方が変わった。
大地を震撼させるような魅力が、第2交響曲やフィンランディアにはあって、それがシベリウスを聴くときの醍醐味だった。
だから高校生の頃とかは、他の交響曲はちょっと退屈だった。
しかし、シベリウスの晩年のピアノ作品を聴いて、「あれ、シベリウスってこんな感じだっけ?」と不思議な感覚を持って以来、少し考えるようになった。
それらについてもまた語りたいとは思うが、この第3交響曲は、シベリウスが音楽を外部へではなく、自己の内へと向ける転換期の作品である。
煌びやかな音楽は姿を消し、澄んだ空気の中に静かにそびえる木々のような、或いは朝霧の漂う湖畔のような、素朴な旋律が現れる。
第2交響曲とのギャップに驚くほどの慎ましい佇まいを見せるが、第4番ほど渋くもない。
彼の境遇と才能が生んだ、実にいいシンフォニーだと思う。

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| シベリウス | 19:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シベリウス 交響詩「フィンランディア」:限りなく非芸術に近い完全な芸術

シベリウス:交響曲第2番&フィンランディアシベリウス:交響曲第2番&フィンランディア
(1994/06/22)
フィンランド放送交響楽団

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シベリウス 交響詩「フィンランディア」 作品26

故郷フィンランドがロシアによって弾圧されていた時代、この曲はフィンランドの人々を励まし、奮い立たせた。
この曲のおかげで今のフィンランドがある、といったら言い過ぎだろうか。
それほどに影響力があり、今なおフィンランドの人々、そして世界中の人々に愛されている、シベリウスの中で最も知名度の高い曲である。
重厚な金管から始まるのはロシアの圧政、それに苦しむ人々を表し、弦楽器によるフィンランド人の悲哀のこもった祈りの旋律が流れる。
やがて明るく、フィンランドの希望と自由を表すような旋律に変わり、フィンランドの美しく、強く、優しく、どこまでも広がるような大地を讃える歌へと曲はうつっていく。最後は人々を奮い立たせるff。力強く終わる。

国民楽派とも言われるシベリウスだが、「フィンランディア」が強烈な北欧要素を持っているかと言われたら、どうもそうは思えない。
他の交響詩のほうがよりフィンランドの民族風を感じることができる。
国名を呈した交響詩として必要なものは、必ずしも民族音楽ではないのだろう。

ちなみに僕は、ユッカ=ペッカ・サラステ指揮のフィンランド放送交響楽団の演奏に最も感銘を受けた。
これに勝る演奏はないと思う。むろんアシュケナージもカラヤンも素晴らしい。
作品の芸術性を追求すれば、美しい音楽になることは間違いない。
しかし、完全な芸術作品といえども、芸術性だけでは表現されないものもあるのだ。
芸術性だけではない「何か」を、フィンランディアは持っている。
なぜ国民に愛されるのか。なぜこの曲が「フィンランディア」なのか。
僕はそこに惹かれるし、その答えこそ僕が音楽を続ける原動力なのだ。

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