肥後国とは? わかりやすく解説

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ひご‐の‐くに【肥後国】

読み方:ひごのくに

肥後


肥後国

読み方:ヒゴノクニ(higonokuni)

旧国名現在の熊本県

別名 火国肥国


肥後国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 05:16 UTC 版)

肥後国

-肥後国
-西海道
別称 肥州(ひしゅう)[注釈 1]
所属 西海道
相当領域 熊本県
諸元
国力 大国
距離 遠国
14郡99郷
国内主要施設
肥後国府 1.(推定)熊本県熊本市南区
2.熊本県熊本市中央区
3.(推定)熊本県熊本市西区
肥後国分寺 熊本県熊本市
肥後国分尼寺 熊本県熊本市
一宮 阿蘇神社(熊本県阿蘇市
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肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、熊本県に属する。

沿革

元来は肥前国と合わせて火国・肥国(ひのくに)であった。「肥後国」として初めて文献に現れるのは持統天皇10年(696年)頃であり、7世紀中に肥国を分割して肥前国と肥後国が成立したと推定される。

近世以降の沿革

領域

明治維新直前の領域は、現在の熊本県全域に宮崎県の一部(下記)を加えた区域に相当する。ただし、宮崎県内の区域は1872年明治5年)に日向国に移管されている。

肥後国から薩摩国へ移った地域

室町時代の後期まで長島伊唐島諸浦島獅子島(現在の鹿児島県出水郡長島町)は、肥後国天草郡に属していたが、1565年永禄8年)から1581年天正9年)にかけて島津氏から幾度かの侵攻を受けて勢力下となり、薩摩国出水郡の所属となった。

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

国府所在地を記した文献は次の通り。

国府は託麻郡、益城郡、飽田郡と変遷したとされる[4]。それぞれ託麻国府は熊本市中央区国府(北緯32度47分14.25秒 東経130度43分22.66秒 / 北緯32.7872917度 東経130.7229611度 / 32.7872917; 130.7229611 (第一次肥後国府(託麻国府)))、益城国府は未詳(諸説)、熊本市西区二本木の二本木遺跡と推定されている[4]

国分寺・国分尼寺

国分寺七重塔心礎

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、次に示す大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている(肥後国の式内社一覧参照)。大社1社は次に示すもので、名神大社である。

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく総社・一宮以下の一覧[5]

以上のほか、郡浦神社宇城市三角町郡浦)が三宮を称する[7]

安国寺利生塔

  • 安国寺 - 熊本県熊本市西区横手。
  • 安國寺 - 熊本県宇土市花園町佐野。
  • 安国寺 - 熊本県菊池市豊水。
  • 利生塔 - 如来寺(熊本県宇土市岩古曽町)内に設置。

地域

江戸時代の藩

人物

国司

※日付=旧暦

肥後守

肥後介

  • 豊宗広人809年(大同4年)1月23日 - 812年(弘仁3年)4月19日)従五位下
  • 菅原清人(812年(弘仁3年)4月19日 - )従五位下
  • 橘真直842年(承和9年)頃)従五位下
  • 菅原梶吉(843年(承和9年)8月11日 - )外従五位下
  • 山池作(848年(嘉祥2年)1月13日 - 2月27日)外従五位下
  • 高丘貞雄(848年(嘉祥2年)2月27日 - )外従五位下
  • (権介)県犬養氏河(853年(仁寿3年)8月8日 - )従五位下
  • 橘仲宗(854年(斉衡元年)5月11日 - )従五位下
  • 大原真室(855年(斉衡2年)1月15日 - )従五位下
  • 藤原正峯(858年(天安元年)1月16日 - )従五位下
  • (権介)大原真室(859年(貞観元年)1月13日 - )従五位下
  • 橘朝雄(864年(貞観6年)1月16日 - )従五位下
  • 平住世(866年(貞観8年)1月13日 - )従五位下
  • 橘子善(869年(貞観11年)1月13日 - )従五位下
  • 藤原智泉(877年(元慶元年)頃)従五位下
  • 大神良臣(886年(仁和2年)1月16日 - 2月21日)外従五位下
  • 三善清行891年(寛平3年)1月30日 - 893年(寛平5年)1月11日)従五位下
  • 藤原令門(925年(延長3年)頃)
  • (権介)藤原遠美( - 978年(天元元年)秋)
  • (権介)藤原頼兼(978年(天元元年)秋 - )正六位上
  • 源家基

守護

鎌倉幕府

(安達泰盛と竹崎季長蒙古襲来絵詞』前巻、絵九)

室町幕府

戦国時代

戦国大名

  • 菊池氏:肥後国守護。1504年、22代菊池能運が没すると、急速に没落
  • 阿蘇氏:阿蘇神社大宮司家で鎌倉以来の名門だが、1585年島津氏に降伏
  • 相良氏:最盛期には球磨・八代・葦北を領するが、1581年島津氏に降伏。後に豊臣政権の小大名として復活

豊臣政権の大名

  • 佐々成政:肥後一国、1587年 - 1588年(肥後国人一揆の鎮圧に失敗し、改易・死罪)
  • 加藤清正:肥後北半国19万5千石(熊本城)、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、肥後一国52万石の熊本藩に)
  • 小西行長:肥後南半国20万石(宇土城)、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易・死罪)
  • 相良頼房:人吉2万石、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦い後も本領安堵、人吉藩に)

武家官位としての肥後守

江戸時代以前

江戸時代

肥後国の合戦

脚注

注釈

  1. ^ 別称「肥州」は、肥前国とあわせて、または単独での呼称。

出典

  1. ^ 『和名類聚抄 20巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)29コマ参照。
  2. ^ 『拾芥抄 3巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)59コマ参照。
  3. ^ 『節用集 易林本』(国立国会図書館デジタルコレクション)144コマ。
  4. ^ a b 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 621.
  5. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 618-621。
  6. ^ a b 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 620.
  7. ^ 三角町史編纂委員会編纂 『三角町史』 三角町役場、1987年。

参考文献

関連項目


肥後国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:28 UTC 版)

旗本札」の記事における「肥後国」の解説

米良氏は、南北朝時代には南朝方につき、敗れた後、九州山地の肥後国米良米良山中逃れた名族菊池氏末裔である。徳川家康より米良山が鷹巣山指定されたことが縁で召し出され交代寄合衆(四衆準ずる家)となった米良氏江戸中期以降は肥後国米良中心地小川(現・宮崎県児湯郡西米良村小川)に館を構えた領地山中のため米はほとんど収穫できず、石高無高とされたが、材木椎茸などを金穀換え収入としていた。米良氏発行した旗本札には、文久2年1862年)頃発行推定される五百文、百文、四十八文額面御勝手発行の銭預札がある。米良氏軍事的政治的経済的に肥後国人吉藩日向国諸藩薩摩藩など領境を接す諸藩と強いつながり持っていたが、これら3地域は、藩札額面表記(銀建て、銭建てなど)や様式についてそれぞれ異なった特徴有する米良氏旗本札は、銭額面表記面の様式などから日向国諸藩藩札影響が強い。

※この「肥後国」の解説は、「旗本札」の解説の一部です。
「肥後国」を含む「旗本札」の記事については、「旗本札」の概要を参照ください。

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肥後国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 10:12 UTC 版)

固有名詞

ひごのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。現在熊本県にあたる。


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