肥後国の井手氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:37 UTC 版)
肥後国の井手氏は、阿蘇家家臣。 井手長門入道道清 : 1424年(応永30年)5月26日、阿蘇惟郷の要求した家臣団への忠誠を誓わせる連署起請文に、「井手長門入道道清」の名がみえる(阿蘇家文書写第14)。本貫地は一の宮町中通。 井手清右衛門尉豊宣 : 1536年、阿蘇惟将の出陣に際し、千寿丸初陣の祝いとして、赤飯と小一領神社絵巻物を献上。甲斐親直は、「いでやいで御船の城の敵の首わが手の内に握飯かな」と歌を詠んだ。 井手玄蕃允豊治(げんばのじょうとよはる) : 1612年、矢部城(矢部愛藤寺)を宮原に移し、宮原町を起こす(『井手文書』「宗門史」)。 井手玄蕃允政次 : 1613年、初代矢部郷大庄屋。 井手三郎 : 1863年出生。元衆議院議員(中央倶楽部)。 井手宣通 : 1912年出生。洋画家。
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