ま・ぬ【真▽似】
まね【真▽似】
真似
真似
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)173「木樵とヘルメス」 正直な木こりが、ヘルメス神から金の斧と銀の斧をもらう。それを聞いた欲深い男が、わざと鉄の斧を川に投げ入れる。ヘルメス神が金の斧を見せると、男は「なくしたのはその斧だ」と嘘を言う。しかしヘルメス神はそれを与えず、鉄の斧も返してやらなかった〔*『パンタグリュエル物語』第四之書(ラブレー)「新序詞」の類話では、近隣の男たちが正直な木こりを真似して、皆「金の斧をなくした」と嘘を言うので、メルクリウス(=ヘルメス)が彼らの首を刎ねる〕。
『小クラウスと大クラウス』(アンデルセン) 小クラウスは、大クラウスによって、ただ1頭の持ち馬を殺され、老母を殺され、川に投げこまれそうになる。そのたびに彼は奇策を用いて金儲けをする。大クラウスは小クラウスの真似をして、4頭の持ち馬を殺し、老母を殺し、川に放りこまれて沈んでいく。
『宝手拭い』(昔話) 女中が乞食坊主に餅を施す。女主人が怒って「取り戻して来い」と命ずる。乞食坊主は餅を返し、手拭いを1枚女中に与える。女中が毎日手拭いで顔をふくと、だんだん美しくなる。女主人が羨み、女中の留守にその手拭いで顔をふく。たちまち女主人は馬面になる。
『時そば』(落語) 男が九つ時(午前0時頃)に、屋台でそばを食う。代金16文を1文銭で「1、2、3、4、5、6、7、8」と数えて払い、「今何時だ?」「へい九つで」「10、11、12・・・・」とやって、1文ごまかす。これを真似する男が、翌晩四つ時(午後10時頃)に出かけ、「1、2、3、4、5、6、7、8、今何時だ?」「へい四つで」「5、6、7・・・・」と、余分に支払う。
*醜女が美女の真似をして、眉をひそめる→〔眉毛・睫毛〕3bの『荘子』「天運篇」第14。
*童子が和尚の真似をして、指を立てる→〔指〕6cの『無門関』(慧開)3「倶胝竪指」。
『かぶら』(グリム)KHM146 金持ちの兄と貧乏な弟がいた。弟は百姓をして、荷車がいっぱいになるほどの巨大なかぶらを収穫し、王様に献上する。王様は「たいへん貴重なものだ」と喜び、金貨・畑・牧場・牛・羊などを百姓(=弟)に与える。兄がうらやみ、金貨と馬を王様に献上して、多くの返礼を期待する。王様は、「このお礼には、あの大かぶらがいちばん珍しくて立派だ」と言い、兄は荷車にかぶらを積んで帰って来た。
『千一夜物語』「アリババと四十人の盗賊の物語」マルドリュス版第854夜 カシムは弟アリババの真似をして、盗賊の洞窟に入りこむが、呪文を忘れてしまう。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第10話 姉老婆が妖精の魔法で若返り、王様と結婚する(*→〔若返り〕2)。妹老婆がうらやみ、「どうやって変身したか」と問う。姉老婆は「一皮むいてもらった」と答える。妹老婆は床屋に「剃刀で全身の皮をむいてくれ」と頼む。だが、途中で妹老婆は息絶える。
『酉陽雑俎』続集巻1-873 貧しい兄が、穀物の穂をくわえて飛ぶ鳥を追って、山へ行く。夜、赤衣の小児たちが現れ、金錐(きんすい=金の槌)で岩を打って酒食を出し、宴会をする。宴会が終わり、彼らが金錐を置いたまま去ったので、兄は金錐を家へ持ち帰る。欲しい物は金錐で打つと何でも得られ、兄は富豪になった。弟が真似をして穀物を植え、鳥を追って山へ行く。鬼たちが「金錐を盗んだ奴だ」と言って、弟の鼻を1丈ほどの長さに伸ばす。弟は象のような鼻になって家へ帰り、恥ずかしさと憤りで死んだ。
『柿山伏』(狂言) 山伏が柿の木に登って柿を食べる。柿の木の主が見回りに来て、山伏を見つける。主は山伏をからかってやろうと、「猿が木の上にいる」と言う。山伏は「きゃきゃ」と、猿の鳴き声を真似る。主は「いや、犬じゃ」と言い、山伏は「びょびょ」と犬の鳴き真似をする。最後に主は、「いや、あれは鳶じゃ。鳶なら飛ぶだろう」と言う。山伏は「飛ばずばなるまい」と思い、木の上から飛んで落ち、腰を抜かす。
『盆山(ぼんさん)』(狂言) 男が、ある家の盆山を盗もうと庭へ忍び込むが、家の主人に気づかれて、盆山の陰に隠れる。主人は盗人をからかってやろうと、「盆山の陰に隠れたのは、人かと思ったら犬じゃ」と言う。盗人は「びょうびょう」と、犬の鳴き声を真似る。主人「いや、烏じゃ」。盗人「こかあこかあ」。主人「いや、猿じゃ」。盗人「きゃきゃきゃ」。主人「鳴き真似できない物を言ってやろう。よく見れば、あれは鯛じゃ」。盗人「たいたいたい」。
*都会の歩き方を真似ようとして、もとの歩き方まで忘れてしまう→〔歩行〕3aの『荘子』「秋水篇」第17。
★3b.動物相互の真似。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)371「トカゲと蛇」 あるトカゲが蛇と同じ長さになろうとした。トカゲは背中の真ん中で破裂した。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)396「鳶と白鳥」 昔、鳶は白鳥のように美しい声だった。ある時、鳶は馬のいななく声に感心して真似をしようとした。しかし馬のいななきは覚えられず、本来の声をも失ってしまった。
★4a.共鳴動作。Aの動作を、Bが無意識のうちに真似して、同じように動く。
『蜘蛛』(エーベルス) 医学生の「ぼく」が借りた部屋から、通りの向こうの建物の窓が見える。そこには黒服の若い女がいて、糸を紡いでいる。「ぼく」は挨拶をし、彼女も挨拶を返す。「ぼく」がいろいろな身振り手振りをすると、彼女もまったく同じ身振り手振りをする。何日か過ぎて、「ぼく」は自分が彼女の動作を真似していることに気づく。彼女は紐で輪を作り、窓の桟のかぎにひっかける。「ぼく」も紐で輪を作り、そこに首を入れてぶら下がる〔*女は黒蜘蛛の化身だった〕。
『目羅博士』(江戸川乱歩) ビルの5階にいる男とそっくり同じ服装をさせた蝋人形を、目羅博士が準備する。月夜に(*→〔月〕4a)、目羅博士は蝋人形を細引きでつるして、5階の男に見せる。5階の男は、蝋人形の真似をして自分も細引きで首をくくり、ぶら下がる。目羅博士はこの方法で、3人の男を首吊り自殺させた。後に、ある青年が、目羅博士そっくりの蝋人形をビルの5階から落とす。これを見た目羅博士は、同じように5階から飛び降りて死んだ。
『子不語』巻18-474 私(=『子不語』の著者・袁枚)の知人呉秉中は、汪名天先生を招いて子供や甥の教育を託した。ある月夜、呉は牆壁の上に1人の老人を見た。背丈は1尺ほど、白髪で頭が尖っており、坐したまま、こちらの動作を真似る。呉が煙草を吸えば、老人も煙草を吸う。呉が拱手すれば、老人も拱手するのだ。呉は汪先生と甥の錫九を呼ぶが、彼らには老人の姿が見えなかった。その年の秋、呉秉中と汪先生が死んだ。錫九だけは今も無事である。
『ダイ・ハード』(マクティアナン) 刑事ジョンは、13人のテロリストたちと闘うが(*→〔人質〕4)、生き残った2人のテロリストに銃をつきつけられて、ついに降参する。ジョンが自分の負けを認めたので、テロリストの1人が勝ち誇って、つまらぬ冗談を言う。その冗談を聞いて、ジョンは大声で笑う。笑い続けるジョンにつられて、テロリストたちも笑い出す。テロリストたちの気のゆるみに乗じて、ジョンは隠し持った拳銃で彼らを撃つ。
*→〔扉〕1の『古事記』上巻で、神々が口を大きく開けて笑ったのに応じて、アマテラスが岩屋戸を少し開けるのも、共鳴動作の一種と見ることができるであろう。
★5.知らず知らず仲間の口真似をしてしまい、自分が誰だかわからなくなる。
『ダス・ゲマイネ』(太宰治) 帝大生の「私」は友人たちから、「佐野次郎左衛門(*→〔顔〕2の『籠釣瓶花街酔醒』の主人公の名前)」と呼ばれている。「私」は、音楽学校生の馬場、美術学校生の佐竹、小説家の太宰治と知り合い、「同人誌を作ろう」と話し合う。彼らと議論して別れた後、「私」は自分の独り言や舌打ちが、太宰や佐竹や馬場の口真似になっているのに気づき、「私はいったい誰だろう」と考えて慄然とする。「私」は電車にはねられて死に、翌日、馬場と佐竹が「私」の死を話題にする。
『日本書紀』巻2神代下・第10段一書第4 兄ホノスセリは水に溺れて、弟ヒコホホデミ(=ホノヲリ)に降参した(*→〔風〕2a)。兄は「私の子々孫々にいたるまで、俳優(わざをき)の民となってお仕えします」と弟に誓い、溺れ苦しむありさまを真似て、足を上げ、跳びはね、手を挙げてひらひらさせるなど、さまざまな所作をした。それ以後現在にいたるまで、兄ホノスセリの子孫である隼人(はやと。はやひと)たちは、服従のしるしにこの所作を演じている。
*隼人(はいと)→〔蝿〕10の『大菩薩峠』(中里介山)第6巻「間(あい)の山の巻」。
模倣
模倣(もほう)とは、
学習、さまざまな技能の習得、社会的流行など、多くのことが基本的にこのかたちをとる。 対義語は創造。
言語と模倣
語の中には模倣される傾向が強いものがあり(特に、子供が新しく接した語などは特にそうで)、それが何回か繰り返し模倣されるうちに、次第に自発的に使われるようになる。このことから、模倣は、言語獲得のいくつかある道筋のうちのひとつであるということが言える[2]。
芸術と模倣
芸術は、一般的に前時代の巨匠たちが確立した様式の模倣・習得から始められる。
プラトン・アリストテレス
プラトンとアリストテレスは、古代ギリシャの「詩作」(今日で言うところの歌謡や演劇も含む「創作芸術」全般)の本質が、「模倣(真似)」(ミメーシス)であると主張し、後世の芸術論・文芸論・演劇論に大きな影響を与えた。
プラトンは『国家』第10巻でそのことを論じているが、詩人たちは対象についての知識・技術を持ち合わせないまま、大衆の感覚・感情・快楽に訴えかけるようにそれを誇張的・歪曲的に「模倣(真似)」し、人々を真実から遠ざけてしまう存在として批判的に論じており、あるべき国家からは追放すべきだといういわゆる「詩人追放論」を展開している。『ソクラテスの弁明』『イオン』等でも述べられているように、プラトンは詩人を(弁論術・詭弁術を操る)弁論家やソフィスト、あるいは民主政治家などと同じように、大衆を誤った方向へと扇動する危険かつ傲慢な存在であり、国家に必要な哲学者・真の政治家とは対極の存在であることを論じている。
アリストテレスは『詩学』において、創作芸術(詩作)と「模倣」の関係について論じているが、(絵画なども含め)人間が人・物事を「模倣」したり、それによって学習したり、他者の「模倣」を見て悦ぶのは、人間の本性に根ざした自然な傾向である[3]として、プラトンと違ってこれを肯定的に評価している。そしてアリストテレスは、「人間の営為」の「模倣」(再現)としての「詩作(歌謡・演劇含む)」の発展に着目し、その最も成熟した形態としての「悲劇」を詳細に論じている。
マニエリスム
美術の領域ではルネサンス時代、ラファエロなどが活躍し、「巨匠」と位置づけられ、さかんに模倣されていた。
ところが、16世紀後半、後期ルネサンスの芸術家たちの考え方に変化が生じ、独創性にこだわりはじめた。「単なる模倣ではダメだ」と、考えるようになり、芸術の領域で、作家ひとりひとりが(積極的に)「新しい何か」を加えてゆく、ということを行うようになった。彼らは、もともと単に「方法」「手法」「様式」などという意味であった「マニエラ」という言葉を「高度な芸術的手法」意味を込めて使うようになった。彼らは、自分たちの手法を「マニエリスム」という表現で呼んでいたが、これは当時「優美で洗練された」といったような意味を持っていた。いわゆる「古典主義」の時代の芸術は、「均整」や「調和(ハルモニア、ハーモニー)」などが重視されていたが、マニエリスムの画家たちは、たとえば人体を描く場合は、わざと蛇みたいに曲がりくねった身体として描いてみせたり、古典主義で使われた均整のとれた構図をわざと歪めてみたり、色彩は実際の色や中間色を良しとしていたのをあえて原色を使ってみる、といったことをするなど、彼らなりの工夫を凝らした。
ところが、これが後の時代になって、「(マニエリスムというのは)単に奇をてらったものだ」として軽蔑されるようになった。17~18世紀には、「マニエリスムというのは、単に前の世代を真似しているだけで、たとえ技巧的には新しいものがあったにしても、(本質的には)何も新しいものはなかった」と否定的な評価が主流になった。
関連用語
生物学における模倣
例えば、マウスがT字路を右折して餌を採ると、そのマウスを手本として、他のマウスも何度かくり返すうちにT字路を右折して餌を採るようになる。これが模倣である。これは人間でも見られる対人行動の一種[4]である。
サル類の場合も、子が親の行動を模倣することで、様々な行動が伝承されている。
- 生物学関連
社会学における模倣
社会学における模倣概念は、必ずしも主体の自覚的・意識的な行為を指すものではない。フランスの社会学者ガブリエル・タルドは、社会実在論を否定し、個体の(無意識的)模倣とその反復過程から全体社会の現象を説明した(模倣説)。ただ、長らくこうしたタルド流の発想は、非主流派の位置にあった。
しかし、近年、ジル・ドゥルーズの「差異と反復」の哲学(生気論の再評価、ラッツァラート)、カオスと複雑性の理論の社会学的展開(ジョン・アーリら)、アクターネットワーク理論(ブルーノ・ラトゥールら)やグローバル・ネットワーク論(マニュエル・カステルやボブ・ジェソップら)における「感染」概念への注目などを背景にして、主体/客体、構造/主体図式を超えるエージェンシー論のキー概念として再評価が進んでいる。
法学における模倣
日本の著作権法には模倣の語は登場しない。不正競争防止法において、他人の商品の形態を模倣した商品の譲渡等は不正競争行為として規制されている(ただし日本国内において最初に販売された日から起算して三年を経過した商品は除外)(第2条1項3号、19号1項5号)。
判例上、この法律でいう「模倣」とは、「他人の商品形態を知り、これと同一と評価される商品をつくり出すことを認識していること」(主観的な模倣の意図があること)と、「商品同士を観察した場合に、形態が同一か実質的に同一といえるほどに酷似していること」(客観的な同一性)が必要であるとされている[5]。ただし、これ以降の裁判例上は、客観的な同一性が認められた事件において、主観的な模倣の意図がないことを理由に模倣を否定した事例は存在しないことが指摘されている[6]。
工学や製品開発 における模倣
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- 工学や製品開発の関連項目
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b 大辞泉
- ^ 『言語発達研究: その歴史と現代の動向』p.228
- ^ 『詩学』第4章
- ^ 大藪泰、「赤ちゃんの模倣行動の発達-形態から意図の模倣へ-」 『バイオメカニズム学会誌』 2005年 29巻 1号 p.3-8, doi:10.3951/sobim.29.3
- ^ ドラゴンソードキーホルダー事件 東京高裁 H10.2.26 平成8年(ネ)6162号事件
- ^ 竹田稔、服部誠「知的財産権訴訟要論(不正競業・商標編)」発明推進協会、 p.109
参考文献
- 言語発達研究 一その歴史と現代の動向一 培風館 (1978)村田孝次著
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