投稿

ラベル(教育)が付いた投稿を表示しています

変に「役不足」とか慣用句でカッコつけずに「力不足でした」と表現する方がシンプルでいいね(^^);

イメージ
日経13.09.25朝 慣用表現の誤答目立つ 文化庁調査 会話に支障も 文化庁は24日、2012年度の国語に関する世論調査の結果を公表した… 文化庁は慣用句の誤用が目立つことについて「言葉は時代により変化するため、間違いとは言い切れない」としながらも「認識のずれがコミュニケーションに支障をきたす恐れがあり注意が必要だ」と指摘… 正直言って、自分の国語力はあやしい(^^); 日経記事より この表の例の中でも、「流れに棹さす」なんてのは意味も知らないばかりか「棹(さお)」という感じすら読めなかった。それはショックだったよ。。。 文化庁も指摘しているように、「言葉は時代により変化するため、間違いとは言い切れない」というのはその通りだと思う。 しかし、正しい知識を持っている人もいるわけで、自分の意図とは全く逆の意味で伝わってしまう可能性もあるので怖い。 例えば「役不足」は「力不足でした」という感じの謙遜の意味で使われることも多いけれど、本来の意味は全く逆だ。 自分で「役不足でした」ということは「どや!」ということになる。つまり、相手が正しい知識を持っている場合、謙遜のつもりが「何だこいつ」と思われかねない。 まあ大体、正しい知識を持っている人は相手の意図を読み取る能力も高いから、コミュニケーションに支障をきたすことは無いかもしれない。しかし、静かに蔑まれるだろうなと。 安易な慣用句の使用は気をつけないと。変に「役不足」とかカッコつけずに、「力不足でした」と表現する方がシンプルでいいね(^^); ていうか、昔の人に比べて現代人は総じて国語力が落ちているのかも。だとすると、「言葉は時代により変化するから」なんていう言い訳をしないで、もっと国語を勉強しないと、いけないわなあ…

「こども」は単数形?複数形?そしてなぜ、「供」という字が使われるようになったか?

日経13.09.20朝 子供◯ 子ども× 文科省 公用文書、漢字に 文部科学省はこのほど省内の公用文書の「こども」の表記を漢字書きの「子供」に統一することを決めた… 文科省は、子供と表記しても大人の「お供」のような否定的な意味は無いと判断し… 文化庁国語課によると「こども」という言葉は「子」の複数形として古くから使われ、江戸時代に「供」が当て字として使われるようになったという。 確かに、「子供」と「子ども」という表記があって、どっちが正しいのか?と疑問に思っていた。 どうやら「子ども」という表記を使うようになったのは、『大人の「お供」のような否定的な意味』を回避するためだったらしい。くだらない。「障害者」を「障がい者」と表記するのと同じ感覚なんだろう。 ところで、記事の最後の方に興味深い話が載っていた。 「こども」は「子」の複数形なんだと!初めて知った。 で、「供」は当て字なんだそうだ。 へぇ〜

光の波長の仕組みを利用してビニールハウスで発電。すばらしい。

日経13.08.05夕 農地で発電、作物も成長 太陽電池の基礎技術 かずさDNA研 公益財団法人のかずさDNA研究所(千葉県木更津市)は農地の上に設置しても農作物の成長をほとんど妨げない太陽電池の基礎技術を開発… 日光のうち青や緑に相当する波長の短い光で発電し、農作物の成長に必要な波長の長い光は通す… 3年以内にビニールハウスなどで使うフィルム上の電池を開発… 桐蔭横浜大学と組んでビニールハウスに取り付けやすいフィルム状の太陽電池を開発する… 売電収入… 農林水産省の3月末の規制緩和で、農地で太陽光発電ができるようになった… ビニールハウスでソーラー発電できればすばらしい。 しかし、ソーラーパネルは光を使うので、その裏は影になり、光が届かないとばかり思い込んでいたけれど、光の波長の仕組みを利用して解決たか!すばらしいアイディアだ。 物理だよ。物理学だよ。物理学はしばしば魔法のような技術をもたらしてくれる。つまらん勉強もしておくもんだね。願わくば、教師たちにそのすばらしさを伝えてもらいたかったと思うけれど。 あとはコスト次第。期待したい。 また、規制緩和が新たなイノベーションを生むといういい例だとも思う。

キングカズ曰く「ピッチ=仕事の世界では年齢も上下関係も関係ない」。「年功序列」が日本をダメにしていったのかもね。

日経13.05.21朝 サッカー人として 三浦知良 ブラジルの強さの源 ブラジルの人々には「これじゃ、できない」という発想がないと思うんだ。サッカーでの話だけどね… 「無理だ」など言わず、考え方の目先を変えて、頭を使い、楽しむ。だから、うまくなるんだ… ピッチ=仕事の世界では年齢も上下関係も関係ない… 年や属性が身を守ってくれない世界で生き残るには、口だけじゃあだめ。自分の力を見せるしかない… 日本代表を3−0で打ちのめしたセレソンの源には、文化の強みがあるんだ… 「ピッチ=仕事の世界では年齢も上下関係も関係ない」か。。。 明治以前の日本の教育では学年がなく、同じ部屋に様々な年齢の生徒たちがいたそうだ。 つまり、年齢が上でも能力が無ければそれまで。年齢が下の子から教えられるということもあっただろう。 「年功序列」というのはその頃から始まり、そして日本をダメにしていったのかもしれないね。

キングカズが体罰問題に言及。『線を引く基準の一つは「愛」』。だと思うな。

日経13.02.15朝 サッカー人として 三浦知良 拳の指導、本音話そう … 体罰による高校生の自殺と、柔道界における暴力による指導の問題は、分けて議論したほうがいいと思う。 前者は許されないこと。試験が30点でもスポーツで技術が劣っているからといっても、それを理由に暴力が使われるべきではない。 後者では、柔道界は建前を捨てた方がいいのかもしれない。「自分の世代は、できなかたらぶっ飛ばされて教わった。それで強くなったと信じ、自分もそういう教え方をしてしまった。それも含めて、信じてやってきた」という本音はないだろうか。力によって指導した時代があり、許されていたことを、まず認めないと議論は深まらない。そこを出発点に「これから」を考えていくことでは。 この問題に正解はないのだろう。線を引く基準の一つは「愛」かもしれないね。教える側が、教えられる相手をどれだけ大切に思えているか。たとえ愛が理由でも、拳を上げてはいけない時がある。大切に思うがゆえに、上げずにとどめる拳もあるはずだよ。 (元日本代表、横浜FC) 体罰といっても色々なケースがあって、正解はないだろうけど、線を引く基準の一つは「愛」かもしれない・・・と。全く同意見。 だから、「体罰」なら何でもかんでも即アウト!というのは違うと思うんだ。してはならない体罰もあるし、しなきゃならない体罰もある。その大きな判断基準の一つは、そこに愛があるかどうかじゃないか?と。 キングカズは指導者が「本音」を言っていないんじゃないかとおっしゃっている。確かにそうかも。世論は「体罰ダメ!絶対!」の方に動いているし、ここで反論して責任問題に発展するのは面倒だから、「はい、そうですね」ってうやむやにしてしまっている所があるんじゃないだろうか。 それこそ愛がある行為だとは思えないし、生徒もそれを見透かすだろう。すると生徒はますます指導者のいうことを聞かなくなり、「体罰」という言葉の武器をもって指導者を侮り、封じ込めるのでは。まあ自業自得だ。そんな指導者はいても意味が無いし、そうなるくらいなら自ら辞めるべきではないだろうか。 「体罰」の問題は、実は指導者の「覚悟」の問題なんじゃないだろうか。本当は生徒も、断固とした愛情と信念、そして覚悟もった指導者を求めているのでは? ああ、これって、仲間由紀恵さんの「ごくせん...

「褒められると伸びる」が科学的に証明されたそうだ

日経12.11.08夕 褒められると伸びます 生理学研、米科学誌に発表 「褒められると伸びる」は本当…自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)の定藤規宏教授(神経科学)らの研究グループが明らかに…グループの田中悟志名古屋工業大准教授(神経工学)は「褒めて伸ばすという言葉が科学的に証明された。教育やリハビリテーションの現場で応用できる」としている…これまでの研究で、うれしいことがあると、脳内で記憶の定着に重要な役割を果たすドーパミンが分泌されると判明しており… 「褒められると伸びる」は本当かぁ。実感としてはあったけれど、改めて科学的にも証明されたと。 教育やリハビリはもちろん、心が弱った人のケア、自己トレーニングにも応用できそうだ。アプリ開発で言ったら「ゲーミフィケーション」という形ですでに応用されているのかもしれない。 褒めるって重要だね。一方で褒めるって難しい。自分に余裕が無いとできないことだから。でも、これからはできるだけ人の良い所を見つけて褒めるようにしていこう。 ところで、ドーパミンが記憶の定着に関係しているというのは初めて知った。 「好きこそものの上手なれ」って言葉もあるけれど、あれは好きな事をやってるとドーパミンが出るのでパフォーマンスが向上するということなんだろうな。 やっぱり人間、嫌なことは極力やらないことだね。

中高生が開発するソフトの発表の場は、昔ベーマガ、今AppStore。いいね。

日経12.11.02夕 部活・授業でアプリ開発 …岐阜県…ソフトピアジャパン…県立大垣商業高校…今年6月から米アップル社のスマホ「iPhone」用のアプリ開発に取り組んでいる…「簡単小遣い帳」を開発…佐賀県立鳥栖商業高校(鳥栖市)の情報処理部…「クレイドル」など…「おじぎ道」を開発…コミュニケーションに積極的になり、行動力が増した… 何だか、さも新しいことのように書かれているけど、昔からこういった連中はいたよね。パソコン部とかあって、そこでゲーム作ったり、ベーマガにプログラムを投稿したり。 ただ、今と昔で違うのは、発表の場が専門誌ではなく一般の人々が利用するAppStoreだということ。しかも、開発が授業の一環として行われているケースがあること。さらに、開発ソフトはゲームではなく日常で役立つものが多いこと。 いいね。ビシバシやるべき。 しかし残念だよ。自分が今学生なら、単位ガンガンとれたろうに(^^);

「転んでもタダでは起きない」小名浜の人々

イメージ
「アクアマリンふくしま」の外は公園のようになっているのだけど、津波のせいで一部はまだ壊れたままだった。 その一角に、津波で破損した水槽のアクリル版とがれきとなったアスファルトを使って舞台が作られていた。 がれき座 地元のタクシーの運転手さんが言っていた。 「転んでもタダでは起きない。あそこの館長さんは立派だよ。」 そう思う。旅行者にメッセージを送るだけでなく、地元の人々にもメッセージを送っているんだから。

硫黄島の地下壕の詳細地図が見つかったらしい

日経12.05.04朝 硫黄島 詳細な地下壕地図 政府、遺骨収容進展も 政府は硫黄島・・・に張り巡らされていた旧日本軍の詳細な地下壕(ごう)の地図を発見した。自衛隊基地の滑走路などがあり現地調査が進まなかった内陸部が中心で、政府は中に多くの遺骨が残されているとみて近く発掘調査に乗り出す。遺骨収集が大きく進展する可能性がある。政府関係者が4日、明らかにした。硫黄島では旧日本兵約2万1900人が死亡したとされるが、収容された遺骨は約9900柱にとどまっている。地下壕の詳細な地図が見つかったのは初めて。政府は遺骨収容を集中的に実施する2013年度までに島内全域の調査を終了させる考えだ。地図は、政府の特命チームが4月上旬に米国国立公文書館の市両から確認した。 硫黄島の戦い から67年も経つというのに、亡くなった方々の遺骨がまだ半分も帰還できていないなんて・・・これは一体どういうことなんだろう。 そう思いたくはないけど、日本人はむしろ硫黄島を忘れたかったのだろうか。 正直、自分が硫黄島の戦いというものを知ったのはクリント・イーストウッドの「 硫黄島からの手紙 」という映画がはじめてだった。2006年のことだ。それまで自分は硫黄島の戦いがあったことすら知らずに生きてきた。 硫黄島の戦いで亡くなった方々には大変申し訳なかったと思う一方、これは自分が悪かったのか?とも思う。だって、親からも、祖父母からも、学校からも、誰からも教えられてこなかったのだから、自分が生まれる前のことなど知るわけがないじゃないか。 とはいえ、自分の無知を人のせいにして自分だけいい子になるつもりは毛頭ない。しかし、ハッキリ言って日本の学校教育は悪かったと思う。こういうことは学校で教えて欲しかった。 こんなことでは日本人として国際社会で恥をかく。硫黄島の映画を作ったのは誰か?硫黄島の話をはじめに聞いたのは誰からか?自分の場合、それは何とアメリカ人だったのだから。この無知さ加減は、ひとりの日本人として本当に恥と思わなければならないと思っている。 こんなんだから、アメリカ人が映画のタイトルで「硫黄島」を「Iwo Jima」と読むと、本来日本語では「いおうとう」と読むべきところを「いおうじま」と読む政治家だって出てくる。これって恥ずかしくないか?ただその政治家だけを責められない。その政治家...

やっぱり、次の次にくるサービスは「自己実現欲求」を満たすサービスではないだろうか・・・

イメージ
クリエイティビティを満たすためのサービスは作ることができるのか(coconutsfine) - BLOGOS(ブロゴス) ・・・クリエイティビティな欲求を満たすサービスは作ることはできるのかなということを最近考えていた・・・マズローの欲求階層というものがあって、下のピラミッド図で人間の欲求を理論化している・・・ピラミッドの下のものほど基本的な欲求・・・social needを狙っていけば良いのかとも思うのだが、実は今まさに世界で起こっているのが、このsocial needの奪い合い・・・その勝者はfacebookとtwitter・・・esteem(承認欲求)を満たすサービスを狙っていくべきではないのか・・・「なにもコンテンツをもっていない人たちからどうやってコンテンツを引き出すのか」・・・一つの答えがinstagram・・・Tumblrやpinterestもコレ系・・・もう一つの答えが「ユーザーに個人情報の切り売りをさせる」・・・クリエイティビティはその上のself actualization(自己実現欲求)に含まれ・・・self actualizationを求めるまでesteemを満たしている人たちがどれくらいいるのかというと、それは明らかに少なくなる。つまり、コストが高い・・・kiva、TED、Quora、Kickstarter・・・僕がいまおすすめなのは「クリエイティビティを満たすサービス」よりも「承認欲求を満たすサービスで、その結果としてクリエイティブっぽいものが残る」みたいな路線・・・ ふーむ。非常に興味深い記事だと思う。 まず、 マズローの欲求階層 というのがあるのね。 Wikipedia より 下の方ほど基本的な欲求、つまりニーズが高い。上の方ほど高度な欲求、つまりニーズは低いけど、より人間的な欲求ということだろう。 coconutsfine氏は、この図でいくと第3層の「所属と愛の欲求」を満たすサービスはFacebookやTwitterであり、第4層の「承認欲求」を満たすサービスはInstagramやTumblrやPinterestであるとおっしゃっている。自分もそう思う。 要するにそれぞれの階層は、そこに属するサービスが世の中に広まる時の爆発力や影響力の強さと言い換えることができるのかなとも思った。 で、最上位に属する...

レイ・ハラカミ音楽・クラムボン語りのプラネタリウム@日本未来科学館へ行く

イメージ
昨日12.01.21、妻が「この日しかない!」というので、去年急逝された レイ・ハラカミ 氏の音楽と クラムボン の原田郁子氏語りによるプラネタリウムを観にお台場の日本未来科学館へ行った。 お台場は寒かった。行くたびに思うけど、だだっ広くてスカスカな感じ。人が住むところではないね。ガンダムが遠くに見えた。あれ、本物? プラネタリウムは夜からで、昼と別料金になるとのことだけど、せっかくだから朝から行って常設展も観ることにした。 未来科学館は「ムダ」か?「科学コミュニケーター」の方々は素晴らしいけど? 未来科学館といえば、例の「事業仕分け」で槍玉にあげられていた事業のひとつだ。 行政刷新会議ワーキンググループ「事業仕分け」の結果について | 日本科学未来館 元宇宙飛行士で館長の毛利衛氏も激論したようだ。 はたして、未来科学館はムダなのか?自分にはそうは思えなかった。 パッと見た感じは、確かに来場者数少なめ。職員の方の話でも「今日は多い方」とおっしゃっていたので、普段の閑散さ加減は想像できる。 しかしね、その展示のクオリティーと、何よりそこで活躍しておられる「科学コミュニケーター」と呼ばれる人々の語りは素晴らしいと思った。 「科学コミュニケーター」の方々がそれぞれの展示に張り付いていて、ちょっとしたきっかけで様々な話をしてくれる。これまでこういった博物館に行って、ここまで満足感を得られたのは初めてだ。マジで勉強になった。 それぞれの展示ごとに話し込んでしまったおかげで相当時間がかかり、ついに全ての展示をみることはできなかった(^^); あとで知ったことだけど、彼らの多くは修士や博士の学位をお持ちで、相当な方々とお話できたのだなと思った。どおりで詳しいわけだ。 執筆スタッフ紹介 | BLOG 未来館のひと 「科学コミュニケーター」の中にはボランティアの方々も結構いらっしゃった。中には高齢者と見受けられる方も。しかし、まったく問題ない。高齢者が活躍する方法のひとつのモデルだと思った。 トークやワークショップもあって、展示よりもオススメ。トークが終わったら、質問をふっかけに行く! あとは、宣伝と国民の意識かな。要するに、もっと人が入ればいいだけ。そう思った。 ASIMOがいた! ASIMO@充電中(...

ソフトウェアと教育。やっぱりこれは、日本の将来を左右する問題なのかもしれない。とおもた。

日経11.01.20朝 受験勉強 スマホ使い追い込み ・・・英単語や歴史の暗記に役立つアプリケーションをダウンロードし、かさばる参考書に代わって、野外でも空き時間を有効活用してこまめに学ぶ姿が目立つ・・・今後はスマホを子どもに積極的に買い与える動きも出そう・・・旺文社・・・「スマホの普及で学習スタイルが変わってきており、紙以外の学習サービスの提供も必要」(同社)・・・2011å¹´10月時点のスマホ利用者のうち高校生の割合は4.6%・・・ 「空き時間を有効活用してこまめに学ぶ」 これ、受験勉強テクニックとしても超重要だと思うけど、受験勉強のためだけでなく、生涯にわたって役に立つライフハックのひとつだと思う。 昔はこれをやりたくても、なかなかしづらかった。本重いし。腕疲れるし。そんなにいっぱい持てないし。しかし、今はモバイルデバイスがそれを可能にしてくれている。 今の高校生たちはデジタルネイティブ。彼らは、モバイルデバイスの利用が受験勉強に与える効果に「気づいた」というより自然とそうなったのだろうと思う。 ある意味、これまでで最高の学習環境が揃いつつあるということだと思う。 ソフトウェアと教育。やっぱりこれは、日本の将来を左右する問題なのかもしれない。 日本の学生たちは世界でも先進的だとは思うけど、さらに政府の後押し、ソフトウェア開発者のガンバリがあれば、よりよい日本になっていくのじゃなかろか。

教育とソフトウェアについて考えさせられる記事さらに2つ

テクノロジーは手遅れになる前に教育の危機を救えるか? - Tech Crunch Japan ・・・エデュケーション“とエンターテイメントを合成してエデュテイメントと呼ばれる分野・・・「教室で生徒の学習意欲を持続させるのは困難な仕事だ。しかしiPadを生徒の前に置いてみたまえ。子供たちはたちまち夢中になって使い始める。これこそ教育の未来形だと私は思う」・・・Connollyによれば、iPadを利用した授業では文章読解、数学、科学の成績が50から60%も向上したという・・・David Vincaは「ソフトウェアは教育にとって魔法の箱だ。生徒のレベルを1.4学年分も上昇させる効果があった」と話す・・・ 適切なデジタルデバイスとソフトウェアがあれば、子供たちは相当ヤル気になる、ということ? 教えるのは教師かアルゴリズムか?–教育の高度コンピュータ化はますます人間的な人間教師を必要とする - Tech Crunch Japan ・・・つまりコンピュータのソフトウェアは、教師を解放してより人間的な関係を持てるようにし、教師は教壇から子どもたちに講義するのではなく、彼らに対する指導相談役(guidance counselor)や、彼らの友だちとして振る舞えるようになる・・・教師も、授業を教えるだけではない人間的な存在となる・・・子どもたちが自分で自分をモチベートできたときの学習能力は、信じられないほどに強力だ・・・ 先生たちも色々と忙しいと聞く。 もし適切なデジタルデバイスとソフトウェアがそんな先生たちの支援をできれば、生徒と先生がより人間的なつながりを強めることができるかもしれない、ということか? つい先日も教育とソフトウェアについて考えさせられる記事があった。 琴線探査: 教育とソフトウェア。これはソフトウェア開発者なら真剣に考えるべきトピックだと思った。 やっぱり、考えるべきだよな・・・

教育とソフトウェア。これはソフトウェア開発者なら真剣に考えるべきトピックだと思った。

TED×Kids@Tokyo「未来の教室」(中村伊知哉) - BLOGOS(ブロゴス) ・・・ゲーム機、薄型テレビ、ケータイ、家にあるすてきなものは学校じゃ使えないんじゃないですか? 学校のほうが遅れてはいませんか? 日本の学校を世界一の学びの場にしませんか?・・・それは、デジタル教科書を実現することから・・・全ての子どもがデジタル端末で学ぶ環境。政府は昨年、2020年を目標に実現することを閣議決定・・・韓国は2013年には小学生全員のデジタル教科書を達成する見込み。日本とは7年の差・・・子どもたち にケータイ持たせるな、なんて行ってる場合じゃない・・・地域の新聞を作る、アニメを作る、音楽を作る、ロボットを作る。日本の子どもたちにそういうことをさせると、世界最高水準・・・供給が不足しています。子どもたちに世界一の教育環境を整えてやりましょうよ・・・ 確かに、韓国は13年にもデジタル教科書を実現する予定という話は聞いたことがある。 日本は?20年らしい。韓国の7年後?バカな。7年前が今と比べてどういう時代だったかを考えると、その遅れ度合いは到底受け入れられない。 教科書がデジタル化すれば世界一の教育環境になるとは思わないけれど、必ず何かが、より良い方向で変わると思う。 デジタル化した教科書とは、それはソフトウェアのことだ。つまり、ソフトウェアは将来の日本のために役立つ可能性が大いにある。 近くAppleが何か教育関連の発表をするということがアナウンスされている。Appleは、そして今は亡きジョブズは、またしても世界の先を見越していたのかもしれない。 教育とソフトウェア。これはソフトウェア開発者なら真剣に考えるべきトピックだと思った。

海老名市議「iPad2」導入で経費削減。新しいテクノロジーはドンドン人から仕事を奪ってゆくなぁ・・・

日経11.12.01朝 海老名市の会議・市議会 資料はiPad 神奈川県海老名市は・・・iPad・・・を使った会議システムを導入・・・画面上に資料を表示する。説明者がページをめくると無線LANを通じて参加者全員の端末の画面も同じ動きを・・・富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ・・・が開発した。市は200万円かけて導入したが「用紙代や印刷費、人件費など年間で百万円単位の経費削減につながる。初期コストは十分回収できる」・・・ こうなるべきだと思うけど、海老名はその先駆けとなったというわけだ。近い将来、きっと学校教育の現場でも同様になっていくだろう。我が厚木はどうか? ただ、一つ気になることがある。 「人件費など年間で百万円単位の経費削減につながる」というのは市民としては歓迎すべきことだろう。 しかし、これは一方で、誰かの仕事がなくなるということを意味する。 新しいテクノロジーというのはドンドン人から仕事を奪ってゆくのだなぁ・・・

さて問題です。日本国憲法第1条は何でしょう?

日経 11.12.1朝 社説 「女性宮家」と国民の覚悟 ・・・皇室はいま23人。女性が15人と多く、未婚の8人のうち6人が20代だ。女性皇族が結婚して皇室を離れれば、皇室の数は急激に減る・・・憲法第1条は「天皇の地位は国民の総意に基づく」とうたっている。皇室のあり方は、国民一人ひとりと無縁ではない。 「皇室のあり方は、国民一人ひとりと無縁ではない。」 5回くらいリツイーしたあげく「いいね!」を10回くらい押してあげてもいいレベル。 問題なのは、日本人なのに日本国憲法第1条に何と書いてあるのか全く知らないという己の無知っぷりだ。 日本国憲法第1条 - Wikipedia 第一条[1] 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 確かに。これが第1条・・・日本国憲法では最重要事項だと思われる第1条に、天皇のことをあげている。そうだったのか。 天皇が象徴であるということはさんざん教わった記憶があるけど、第1条だったとは。「第1条だぞ」と教われば、印象に残っていたはずじゃないかと思うんだけど。単に忘れただけなのか。単に自分がアホなだけなのか。 最近本当に、英語がどうとか言う前に、「自分、日本人としてどうなのよ?」と思うことばかりだ。

Twitterで改めて思う。やっぱ日本語は素晴らしぃ〜ね!

Twitter Japan代表、「明日の発表をお楽しみに」(BLOGOS編集部) - BLOGOS(ブロゴス) ・・・Twitter Japan代表の近藤正晃ジェームス氏・・・Twitterは日本市場を世界でも最も重視しているという。近藤氏によれば、「ユーザーのアクティブ度合いが群を抜いている」そうで、1人あたりのツイート数も世界有数のレベルにある・・・実は日本語という言語はTwitterを利用するにあたってとても有利・・・英語に訳すと140字では収まらなくなってしまう・・・英語圏では、非公式RTを使ったツイートがあまり出てこない・・・短い文中に感情を凝縮するテクニック・・・世界におけるTwitterの使われ方を見ると、多くのアイデアが日本から生まれている・・・ 「日本語という言語はTwitterを利用するにあたってとても有利」 日本語は僅かな文字数でも結構たくさんの情報を詰め込むことができるから、そうだと思う。 「短い文中に感情を凝縮するテクニック」 これはまさに「短歌」「俳句」の世界。つまり、五・七・五・七・七。さらには五・七・五の様式美の世界ですよ。 言語表現におけるミニマリズムの極致。やはり日本語は素晴らしいぃ〜ね!

皇太子殿下は宮家に含まれないとか、皇族費なんてのがあるのも知らないオレ

日経11.11.26朝 女性宮家創設議論これから ・・・「宮家」・・・現在は秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の5å®¶・・・宮家は・・・幅広い活動を担う・・・各宮家の皇族には、皇族としての品位保持のため、毎年、国の予算から「皇族費」が支給される。金額は立場や成人かどうかなどによって異なり、一人当たり年額3050万〜213万5千円。2011年度の皇族費は計約2億8800万円。交際費や教育費、宮邸の雑務をする侍女の人件費などに当てられている。・・・ そうか。宮家には皇太子殿下は含まれないのか。「なになにの宮」と呼ばれたのを聞いたことないもんね。 皇族費というのもあるそうで。宮家の方々全員合わせて3億円程度らしい。その中には侍女などの人件費も含まれているそうだ。 さて、これを多いと見るか、少ないと見るか。総額が3億円として宮家の数で割ると、ひとつの宮家6千万円。普通の家庭ならもちろん多すぎだろうけど、普通の家庭ではないのでいちいち金がかかるはず。ご公務があるので旅費や交際費なども否応なくかかる。しかも人件費もとなれば、やっぱり少ないくらいじゃないかと思う。 しかしまぁ日本人のくせに、皇太子殿下は宮家に含まれないとか、皇族費なんてものがあるとか・・・そんなことも知らないオレ(^^); しかし、ふと思う。これはオレだけのせいか?別に自分の無知を他人様のせいにするつもりはないが、やっぱり学校教育はまずかったのじゃ?

AKB48は「学校」そして「納豆」。秋元康氏曰く「周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。」

日本のコンテンツはなぜ海外で勝てないか――AKB48生みの親、秋元康氏が語る - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス) ・・・ 「DIGITAL CONTENT EXPO 2011」・・・秋元康氏が講演 ・・・ AKB48のメンバーであるための基準とは・・・AKB48にはない。オンリーワンであってほしい・・・1番になる可能性があればどんな子だっていい。まだ自分の中に「1番」が見つかっていない子でもいい。・・・見つけるためにもがけばいいんだ・・・ああいう娘はクラスに1人いてもいい・・・みんなが同じでなくてもいい。教育とは、全部が同じじゃなくてもいい、ということ ・・・ AKB48はニューヨークやロサンゼルスで公演してきましたが、はじめの3曲はお客さんがドン引き・・・でも4曲目から突然、盛り上がった。熱気と一生懸命さ。ここにAKB48の勝機がある ・・・ 僕らは欧米に憧れて、音楽やファッションを真似してきました。でも同じことをやっても彼らは越えられない・・納豆を国外に輸出するとき・・・匂いを消しましょう・・・ねばりも消しましょう・・・そんな納豆なんて誰も食べない。AKB48は納豆 ・・・ 今後のことは何もわかりません。これからは、「わからないもの」が1番いい・・・つまり見たことがないものが良いもの ・・・ 僕は40歳まで勘違いしていました・・・大衆はこういうものを欲しているだろうと予想していた・・・自分も面白いと思わない限り、ターゲットが誰であれ、面白いものにはならない。・・・周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。止まっている時計は1日に2度、正しい時間を示します。でも周りをうかがっていると絶対に合わない。 ・・・ 非常に読み応えのあるインタビューだ。「ワケがあんだよ、それなりの成功には」と言われているような気がした。 まず、AKB48は学校だということ。「個性を大事にする教育」が必要だと言われて久しいが、結局日本では成功していない。しかし、秋元学校ではそれが成功している。 「オンリーワン」であってほしい。これが競争社会に対する逃げではなく、生き残り戦略だとわかっているので、心底それを願っておられるのだと思う。 そして、AKB48は納豆!なるほど。ワケわからん未知のものがいいのだ、と。そうかもねぇ...

「競争」ではなく「競創」。「独創と協創、そして競創」。by MITメディアラボ石井教授

米国MITの独創・協創・競創の風土 - 世界の大学めぐり - BLOGOS(ブロゴス) ・・・ 電気情報通信学会誌(2009)に掲載された、MITメディアラボの石井裕教授の投稿「米国MITの独創・協創・競創の風土」のうち、印象に残った部分を「写経」しておく。 http://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/2009/2009052.pdf ・・・ MITが強い理由の一つは、突出した個人、異質な才能を徹底的に育て、そしてそれらを集めることで、独創と協創、そして競創の文化を確立していることにあると思う。 ・・・ 終わることのない「競創」 ・・・ 素晴らしいアイデアも技術もそれが最終的に製品やサービスの形で多くの人々の生活に届かなければ、存在していないに等しい。 ・・・ 以前、日経で石井教授のインタビュー連載が行われていたことがあって、その記事をいくつもブログしていた。 琴線探査: 出すぎた杭は打たれない① MITメディア研究所副所長 石井裕さん 琴線探査: 出すぎた杭は打たれない② MITメディア研究所副所長 石井裕さん 琴線探査: 出すぎた杭は打たれない③ MITメディア研究所副所長 石井裕さん 琴線探査: 出すぎた杭は打たれない④ MITメディア研究所副所長 石井裕さん 琴線探査: 出すぎた杭は打たれない⑤ MITメディア研究所副所長 石井裕さん 「競争」ではなく「競創」かぁ・・・ つまり、「自分の方がすごい」と他人と争って蹴落とすのではなく、お互いにインスパイアしながら一緒に高めあっていくということなのだろう。 すばらしい考え方だと思う。これだからこそ、イノベーションを起こせるのだろう。 「独創と協創、そして競創」かぁ・・・ 「独創」という言葉には、単にユニークなものを創るということ以外に、独りで創るということも含まれているのではないかと思う。 しかし、独りではできることが限られている。だから「協創」。つまり協力しあって共に創る。 しかし、これでもまだ足りないのだろう。そこに「競創」という考え方も加える必要があると。 MITは本当に厳しい環境だと思うけど、最高にエキサイティングな環境っぽい。一度そんな場所で学んでみたいなぁ。そうか。こう感じる人が世界中に出...