手術成功!然れど5度目の心不全…。
ICU→HCU→そして一般病棟(心臓血管外科)に戻り身体中に繋がっていた管が全て取れ、すっきりした術後5日目の朝。
思いもよらぬ5回目の入院ですっかり意気消沈するも順調に回復し、酸素も外れてリラックスの午後。
10月5日午前9時30分、心臓を止めずに切る『オフポンプ手術』が行われ、三尖弁輪形成術はほぼ予定通り無事に終了した。三尖弁自体が意外と丈夫だったため、大きく拡がってしまった弁を引っ張っても破れて破損する事なく人工弁輪を縫着し補強。自己弁修復で血液の逆流が95%回復し、理想的なオペとなった。
手術における3つのリスクも全て回避し最も懸念されていた透析も、瀕死の状態だった腎臓がここ一番で最後の力をふり絞り手術に耐え抜き透析回避!覚悟の上だったので透析せずに済んだ事は奇跡的な事だったかも知れない。肝臓もほぼ『肝硬変』状態だったが血流が正常に戻った事により徐々に回復の途上にある。そして術後数日は脈が不安定で50を切る徐脈が連発していたため、外付けのペースメーカーで調整していたがそれも不要となった。人工弁(生体弁)を使用しなかった事から4度目の手術も視野にいれる必要がなくなった。
これほど全ての条件が揃って成功したと言うのは、勿論、ドクターとそのスタッフたちの優れた医療技術の賜物であるが、それだけではない、私自身の運の強さが今回もまた大成功へと導いてくれたものと思う。
術後はとんとん拍子に快復し、後は退院を待つばかりとなり、執刀医から退院のgoサインが出たのは、手術から10日目の15日だった。ちょっと早すぎるのでは?と疑問もあったが、執刀医の判断なのだから大丈夫だろうと思った。そして10月20日退院、体重が10キロ近く落ちて正に骨と皮だけの身体になったため、ジーンズが緩々で腰骨で辛うじて止まっている状態だった。
約1ヵ月ぶりに自宅へ戻ったが、筋力・体力の低下が著しく、動いていても直ぐに疲れてしまう状態だった。これは兎に角リハビリをきっちりやらねばと思っていたが、オペが成功した割に身体が今一つ動きが悪い。もっと動けて良いのでは?と腑に落ちない日々を送っている内に、いつの間にか体重が増え始め、退院から1週間が過ぎた頃には5キロ近く増えてしまった。それとともに息切れが酷くなり、まともに歩く事すら困難となった。浮腫みも動悸も無かった事からこの時は『心不全』だとは考えていなかった。然し、日増しに息切れは尋常ではないほど激しくなり、着替えをするだけでも息が切れて動くのが辛かった。
流石に我慢の限界を越えてしまったため、11月1日タクシーで病院へ行き、そのまま7階の循環器病棟へ緊急入院となった。肺に増えた体重分の水が溜まり、130を越える頻脈、血圧も高く、45%あった心機能がなんと20%まで落ち込んでいた…。そして毎日2回の利尿薬投与が始まり、それとともに折角快復した腎臓が再び悪化し始めた。
手術自体は文句の付け所がないほど上手く行ったと言うのに、何故に心不全を再び起こしてしまったのか・・・。その原因は未だに謎のままである。兎に角、今後も油断をすれば心不全を繰り返す事だけは間違いなさそうだ。手術によって心不全とは永久におさらば出来ると思っていた自分が甘かったと言うことなのだろう…。取り合えず、体調は元に戻り11月19日に退院となった。もう今年の入院は今回で終わりにしたいとつくづく思う。
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