あじさい哀歌。
恋も未練もみな捨て去れば
いつかあなたを忘れるかしら
移ろう季節に手を伸ばし
届かぬ想いと知りつつ待った
雨の季節が過ぎればきっと
たたんだ傘に涙雨
滲んだ恋は涙のせいね
流れる雫と一緒に濡れて
恋に溺れる魚になった
泳ぎ方すら忘れて独り
色づく季節にさよなら告げて
咲けどみだるる花の雨
ひとりよがりの恋だった
あの日あなたの背中を見詰め
せめてあなたの心に届く
花になりたい咲かせたい
例え命が枯れ果てても
命燃え尽きるまで咲きましょう
一年前のほぼ同じ時季に白山神社の紫陽花は撮ったのだけれどその時はどういう訳か撮影意欲を掻き立てる出会いが残念ながらなかった。だが今年は違った。咲いている花は同じなのにカメラを向けると訴え掛けて来るものがあり、それをファインダーを通してビシビシと感じたのである。一球入魂ではないが、シャッターを切る時、全身全霊で被写体と向かい合う。命が宿っている生命体の美を超越した世界観を垣間見たような感触を覚えつつ、あらゆる方向から撮って行く。
それほど広くない白山神社ではあるが、神社裏手の小さな公園の花壇にも数多く花を咲かせていた。「文京あじさいまつり」の行われる期間はおそらく来場者で埋め尽くされるだろうと思いそのイベントを避けて「まつり」の前に訪れた。期間限定で公開される有名な「富士塚」の紫陽花は撮れなかったが、日中の明るい内から日没までかなり長い時間を紫陽花の撮影に費やした。
陽が西に沈み神社や公園に設置されている外灯が点り始め、薄暗い中の明かりを頼りにそれらの光を掻き集めて最も印象的なガクアジサイを集中的に撮影。公園内はその外灯で意外と明るかったが、気が付くと辺りには人の影も消え失せており、その夜の静寂の中にシャッターを切る「パシャパシャ」の音だけが夜の闇に吸い込まれ木霊していた。時計を見ると20時を回っており、慌てて帰宅の途に着いた。