大銀杏が最も似合う横綱(千代の富士を偲んで)。
子どもの頃、大鵬・柏戸は絶対に死なないと思っていた。「あんなに強いお相撲さんが死ぬわけない」。この二人の力士は当時の子どもたちにとっては憧れの存在であったし、大人になったら大鵬みたいに強くなりたい…と眼をキラキラと輝かせていた。
そんな幼い記憶が蘇って来る突然の訃報だった。「あの千代の富士が亡くなった?」「そんな馬鹿な、あんなに元気だったのに…」。この訃報を聞いて、殆どの人がそう思った筈である。
鍛え抜かれた鋼鉄の肉体美にパワーとスピードで、並み居るライバル力士たちを次々と撃破し、昭和の大横綱として相撲界に頑然と輝いた第58代横綱の千代の富士。精悍な顔付きと獲物を射るような鋭い眼光で、いつしか「ウルフ」と呼ばれ、相撲ファンのみならず、国民的人気を得るほどの存在であった。
最も記憶に残っている一番はなんと言っても千代の富士VS大乃国である。連勝街道まっしぐらの横綱にライバル無しとまで言われていたが、それほど千代の富士の強さが際立っていた時期でもあった。
千代の富士53連勝で迎えた昭和63年九州場所の千秋楽、4度目の全勝優勝と連勝記録更新の一番。その場所、大乃国は10勝4敗と横綱らしからぬ場所であったため、誰もが千代の富士の54連勝と4度目の全勝優勝を疑うはずもなかった。
然し、横綱としての大乃国の意地が千代の富士の猛進を食い止めたのである。土俵際、重い大乃国の巨体を力まかせに「うっちゃり」に出ようとしたところに、大乃国が身体を預けるように寄り倒して千代の富士を下した。思わず土俵に尻もちを付いてしまった千代の富士に対し、手を差し出した大乃国。座布団が飛び交う館内を去って行く両力士の姿が印象的であった。
余談ではあるが私が生まれる10年ほど前、祖父の貞一が元気で健在だった頃、藤枝の実家が力士専用の旅館を営んでいた時期があった。箪笥の引き出しを開けると、古ぼけた番付表が何枚も出て来た。幼い私にはなんと書いてあるのか分からなかったが、四股名だと直感で分かった。千代の山、東富士、羽黒山などその当時の土俵を賑わせていた力士たちの数々。大きな組み込み式の食器棚には伊万里焼とも九谷焼とも思えるような大きな皿が所狭しと並んでおり、一体誰がこの食器を使ったのだろうと疑問に思い、父に尋ねてみると「関取専用の旅館をやっていたんだよ」と教えてくれた。
食器の数の多さはそれで納得出来た。当時の人気力士の一人である「栃錦」が、弟子たちを大勢連れて泊まりに来たそうで、裏の家に住んでいた「博ちゃん」は、栃錦に抱っこされて風呂に入ったそうである。
栃錦のライバルと言えば栃若時代を築いた若乃花であるが、千代の富士をスカウトした千代の山もまたライバルの一人であった。
昨年6月1日に60歳となり、還暦土俵入りで久しぶりの土俵であったが、横綱のシンボルとも言える大銀杏こそなかったが、その勇姿は引退後も身体を鍛え続けている様が伺われ、現役時代を彷彿とさせる力強い四股であった。その約一年後、すい臓がんに侵され、僅か61歳でこの世を去るとは誰が想像出来ただろうか…。鋼の肉体も病魔には勝てなかった、土俵の神は微笑んでくれなかったのである。
きっと今頃は空の彼方で北の湖理事長と冗談を交わしながら、日本の相撲界を見守ってくれているに違いない(合掌)。
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