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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2008年12月31日

【英語を勉強することの意味】

英語は国際言語として、英語を母国語としない国々の人々の間でも盛んに使われていますね。国連など国際会議からオリンピックなどイベントの進行は英語でおこなわれ、国際化したビジネス、学術の分野でも英語は共通語ですね。今後は、ここ日本であっても何かプロジェクトを行おうとする場合、英語を使って外国の人との協力しあうケースがどんどん増えてきます。よく言われるのは【英語は目的ではなく、個々の目的を果たすための有効な手段である。】と。まったくその通りです。今後学生さんは、専攻する分野で英語を手段として論文を読んだり、書いたり、発表、議論したりするでしょう。また、社会人になれば、英語を使って仕事をし、海外旅行を楽しんだり、外国の友人をつくったりすることしょう・・・・。


でも、実は【英語を勉強すること自体を目的にすること】にも意味があることなのです。それは、英語は日本語と真逆でないか?というくらい、まったくちがう性質をもっており、それを勉強すること自体、あたらしい価値観・世界観を学ぶことができるのです。【言葉は文化】とわれるとおり言葉はその使われてきた地域の中で長い時間を掛けて出来あがったのものですので日本語なら当然日本語の文化・価値観を反映している。また人は物事を捉えるとき、言葉のフィルターを通して認識します。つまり英語を勉強することは、母国語と違うフィルターで物事を見ることができるのです。受験英語であろうが、資格のための英語であろうが、日常英会話であろうが、違う言語フィルターを勉強することにおいては違いなどはありませんよね。



たとえば、【一般動詞の表現】「わたしは英語を勉強をしております。」の日本語の時間の区分は、英語の時制の観点から見れば、「今、勉強している最中なのか(現在進行形)、」「習慣として、勉強しているのか。」((現在形)あるいは、「ある時点から今まで勉強しているのか(現在完了形)」のか、はっきりしません。また、「私はあのひとを知っています。」の【知っている】と「私は、ご飯を食べています。」の【食べている】は、英語ではちがう種類の動詞として区別します。【知っている】はある一定の状態を表す動詞で、現在進行形にはなりません。それは当然で、「知る」を「食べる」ように時間限定で「知り続ける」ってヘンですよね。一方、【食べている】は、その時々の動作を表すので、進行形になります。つまり、目の前の出来事を描写するためには、この状態と動作の動詞表現の使い分けをきちんと理解してなくてはなりません・・・。つまり、英語は時間を捉える感覚が日本語よりもより厳密だと知ることが出来ます。(実はこのこと中学校1年生で習うことなのです。)そのほか、言葉の順序、論理の運び方、ものが限定なのか、そうでないのか、という冠詞のつけ方、かぞえられる、かぞえられない名詞、方向や時間をあらわす前置詞の使い方・・・等々 ものの考え方の手順から、感覚的なものまで違いがあるのです。


一方、外国人にとって日本語の驚くべき特徴のひとつは、【書き言葉】にあると思います。漢字、ひらがな、カタカナと違う表記システムが、それぞれの役割を果たしつつ混在している。世界に、日本語のような書き言葉、ちょっと珍しいのではないかと思います。しかし、この混在システムのおかげで、日本語の文章は読むのにとても理解しやすい、なぜなら、視覚的リズム・抑揚があるからです。なんと、日本語の名詞や動詞、形容詞、副詞は漢字で、その他はひらがなという仕組みは、英語の発音の強弱と符合するのです!!英語では一般に名詞や動詞、形容詞、副詞が強く読まれ、その他は弱く読まれます。おもしろいですね・・・。この日本語のシステムは日本人が外国の文化を受け入れ上手に吸収しアレンジしてきたことのまさに代表するものですね。


英語を勉強することはその比較において日本語を外部の目から見ることが出来きます。すなわち、母国語である日本語を、「あっ、なるほど、こういう風に日本語では言うのだなっ」と再認識にさせることがあるのです。このことは日常生活で、当たり前だと、思っていたことを、もう一度別の見方が出来ることにつながるのではないか、つまり【あたらしい発想を産む】柔軟な思考が培われるということです。


最後になりますが、今、英語教育のあり方(小学校・高校英語授業など、)が議論されていますが、私の経験では日本語をできる生徒さんほど、覚えが早くて、高度な英語が出来ます。日本語を勉強することは、母国語として当然ですが、英語を上達するうえでも、大変な重要なことなのです。
  


Posted by いっきゅう  at 10:32Comments(0)いっきゅう

2008年12月30日

「それでも地球は回ってる!」

あるアメリカの大学講師が、小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) の英文を日本人学生の書いたものと思って、真っ赤に添削したそうです。小泉八雲といえば、アイルランド出身の著名な英文学の著述者でなのですが・・・。たぶん、その文章がすこし古めかしく、アカデミックライテングとしては文学的すぎたのでしょう・・・。しかし、添削の結果が、より現代的な生きた論文にちかい英語になったのなら、添削者が著名な歴史的作家の文章と知らなかったこそ出来たのである、といえます。つまり、日本人学生であるという思いちがいが、「歴史的著名な作家の文章だから・・・」とういう思い込みから解放したのですね。

今年、西武ライオンズを就任一年目にして日本一に導いた渡辺久信監督がインタビューで、輝かしい経歴の中にあって、現役晩年は不遇でありました。そして引退した後、人知れず台湾で、それこそ、真っ白な状態で、未知の国の選手を指導に当たったことの経験が役に立っているのだ、といいました。現役時代の何度も日本一に輝いた経験から得た【物差しを一旦捨てた。】そして目の前にいる選手の目線に立つということ。が大切だ、といわれていました。

もちろん、上記の講師も渡辺監督も知識と経験がないと、いい指導は出来ないのはずです。でも、【思い込みを】を一旦括弧にいれることで、何かを正しく評価し、次なる一歩をより正しい方向へ踏みだせるのだと、思います。


佐里温泉のポピー


最近の世の中、ものすごい閉塞感が漂っていますが・・・「当たり前だと思ってきたことを、これは、思い込みではないか?思い込まされているのではないか?」と、括弧にいれて、目線を下げたり、上げたりみてみる、あるいは違う角度から見て、正しく目の前の状況を見据えて判断する、ことが大切な時代になってきたよう気がします。

あのガリレオ・ガリレイなど、圧倒的多数の圧倒的プレッシャーでもって、なんと弾劾されようととも、「それでも地球は回ってる!」といい続けたのですからね。でも、全人類的思いこみ、から違う目線から見てみた世界がまったく反対で、それが覆しようのない客観的証拠=科学を持って本当姿をガリレオに見せているのだから、これは、ガリレオが強いのが当たり前ですね。
  


Posted by いっきゅう  at 18:18Comments(0)

2008年12月27日

音楽と音読

前に、クラシックを聴きながら、勉強している、と書きましたが、今はジャズを聴いてます。塾の授業ではクラシックですが、勉強ではジャズです。

ジャズもクラシック同様、詳しいワケではないですが、ビル・エヴァンス、チェット・ベイカーがお気に入りです。重たくなくて、知的な感じが好きです。

年末といえば【ベートーベンの交響曲第九】が定番ですが、私は【第七】を良く聴いています。特に車の中で。【第七】は去年【のだめカンタービレ】で一躍脚光を浴びましたね。そうそう、【のだめのべスト2枚組み】はすごく元気が出ますよ。

ウォーキングしながらi-pod で洋楽を聴いています。ノラージョーンズやジョンメイヤーいいです。今年の新星、プリシラアーンには癒されます。 夏はジェイソンモラーツを良く聴きました。ジャズのボーカルのコンピレーションものも良く歩きながら聴きました。ホント音楽はいいですね。音楽がないとまったくつまらない生活になります。





というワケで閑話休題---。

英語の勉強も音楽の練習と同じようななところがありますね。うまくなろうと思えばなんども、なんども繰り返し、日々継続的に練習して、理解できる段階から、さらに感覚なところまで定着させなくてはいけません。定着には音読が良いといわれます。当塾の生徒さんやってもらっていますが、ただ、やみくもに読むのではなく、意味の区切りで、ポーズをいれたり、音の強弱をつけて、リズムよく読むように言っています。そのためには、意味、あるいは、文の区切りを意識することが大切です。発音はもちろん、速読やリスニングにとても効果的です。自分の声に、耳を傾けながら、聞き手が目の前にいるつもりで、読むことが大切です。

もう一つの方法はシャドウイング。流れる英語音声にあわせて発声する方法です。イントネーション、発音、英語耳にするためにいい練習です。そういう意味では洋楽にあわせて唄ってみるのも、楽しくていいですね。意味と音声に注意して、繰り返しましょう。事前に歌詞カードを見て意味を確認してからというのも、表現を覚えるにはいい方法だと思います。
歌は、スタンダードなものがいいですね。昔のジャズの歌なんか、歌詞の意味も分かりやすいし、発音もきれいです。

日本人のジャズシンガーの歌声はマイルドな感じがして好きです。アン・サリーいいですよ。
  


Posted by いっきゅう  at 13:06Comments(0)学習法

2008年12月25日

【使える】ではなく、【通じる英語を!】の巻。

先日、文部科学省から、2013年度より高校英語の授業では基本英語を使って、という方針が打ち出されました。【使える英語】を教えるというのが目的だそうです。しかし、そもそも【使える英語】とは具体的にはなんなのでしょうか?英会話なのでしょうか?【使える】というのは、実用的、便利に・・・と解釈できますが、高校英語が目指すべきものはそれだけでいいんでしょうか?

私は英語の授業が一番なすべきことは、【生徒の発信力を高めること】だと思います。それは 【使える】ではなく、【通じる英語】でなくてはならないと思います。そして本気で発信力を高めようとしたいのなら、【何を、如何にして発信するのか。】の演習を徹底しなければなりません、この訓練なしに、単に英語の授業を英語で進めるだけでは、まったく十分ではない、と思います。

要するに、何か議題について議論したり、スピーチしたり、意見を論理的に書けるかということ。ある意味それは国語や社会科や道徳などの授業でやるべき事柄と深くリンクしています。アメリカでは、いろんな議題について議論しあう小学校からディベートの授業があります。その主要な目的はいかに論理的に、効果的に、説得力ある議論を展開ができるかです。まず、内容としての発想力、知識、データ・・・。そしてそれを他者に訴える技術として、構成力、表現力・・・。さらには、相手が言うことを把握する力。これこそ、国際社会で、求められる英語の運用能力です。【英語はコミュニケーションの手段であって、目的ではないはずです。】 端的に言えば通じる英語とは【国際社会で英語を使って主張ができること。また、相手の言っていることを正しく理解することです。】

亀山社中資料館にて

先日のカンブリヤ宮殿というテレビの番組に、【ユニクロの社長柳井正氏】が出演されました。その経営戦略や哲学など話されていましたが(もちろん日本語です。)ものすごく明解で、発想が柔軟であり、尚且つ、論理が一貫している。一番驚いたのは質問に対する反応の早さと、どの答えも、あっ、なるほどそうか・・・と思わせるところです。いわゆる【プレゼン力】がものすごいのです。彼こそが、発信力の生きるモデルだと思いました。別の言葉で言えば、発信力のカリスマです。(=^・^=) たぶん、彼のアイデアやビジョンを実現させる過程で、交渉力、提案力、批評能力が磨かれていったのだと推察されます。今、若い人にはそういうものの基礎を身に着ける訓練こそが、教育では一番必要な気がするのです。

実は、英語の発信力の基本パターンこそ、プレゼンテーション能力の向上ににものすごく役立ちます。なぜなら、英語は読み手、聞き手を中心に捉えて、いかに明快に発信するかに力点を置く言語だからです。ただ、それはなにも、授業でかならずしも英語だけを使う必要はなく、英語の授業の内容の比重を発信型に変えることの方が重要に思われます。さらに、英語は日本語の対比において、理解度が深まることも忘れてはいけません。

受験英語がたびたび槍玉に挙げられますね。文法と訳ばかりの詰め込みで、ちっとも話せやしない、と。でも、学生が学ぶべき英語とはそもそも何なのでしょうか?日常英会話なのでしょうか?確かにコミュニケーション能力においては重要な部分ですが、それはほんの一部のはずですし、卒業してからの勉強でも全然遅くないです。やはり将来、専攻する分野で世界にある英語の論文を読んだりその内容を把握したり、要約する。また、論文を書く、さらには、議論、発表することが期待されているのだと思います。たしかに、受験英語は問題も多々有るのは認めます(実用性に欠ける、という)が、センター試験はかなり改善しました。センター試験では、実用的な英文をすばやく読んで、要点を把握する力が試されます。また国立二次試験では、【自由英作文】で自分の意見を英語で論理的述べるという【アカデミックライティング】の課題を多くの大学が採用しています。つまり、受験英語対策で十分に本来学生が求められている英語力も培われるとおもいます。単に【使える】ではなく、【通じる英語】 この観点から「英語を授業で使うか、使わないかは、さほど大きな問題ではない」と思うのですが・・・。いかがでしょう?

【当塾は、個別英語塾として対話を重視し、受験英語を通して、生徒さんの発信型の英語の向上に努めます。】

最後に高校の英語の授業のみで発信力アップを取り組むのではなく、小学、中学を通じて、国語、社会科、あるいは、道徳授業などで、議論やスピーチをする取り組みをすべきだと思います。日本でも明治はそんな時代だったそうです。
  


Posted by いっきゅう  at 13:16Comments(0)学習法

2008年12月19日

メリークリスマス如己堂。

如己堂(にょこどう)の名前の由来は「イエスキリストの言葉で己の如く隣人を愛せよ」という言葉から名づけれらました。"You shall love your neighbor as yourself."
【如古堂】  【永井隆博士】 

永井 隆 博士の【如己堂】には、おおくの人が長崎に修学旅行の時に訪れてると思うですが・・・。先日、久しぶりに寄って来ました。



まず、永井博士の如古堂とは・・・(以下抜粋です。)

『このわずか二畳の部屋の中から博士は次々と名作を生み出し、浦上の人々をはげまし続けた。「ロザリオの鎖」「この子を残して」「生命の河」「長崎の鐘」などの小説や随筆のほかに、絵画、和歌、短歌など次々に発表した。「この子を残して」は映画化、「長崎の鐘」はレコード化され、戦後の名曲として今に歌い継がれている。如古堂の言われは、聖書の一節「己の如く隣人を愛せよ」という言葉により如己(にょこ)堂とされた。』

そばの永井博士記念館のなかの(写真撮影ok) の展示資料をすべて注意深く読んだり、見たりしました。その中で、私が、一番、興味深かったのは博士の奥さんの『緑さん』のことでした。

『・・・ただ一面の焼灰だった。私はすぐに見つけた。台所のあとに黒い塊を。そばに十架のついたロザリオの鎖が残っていた。 焼けたバケツに妻を拾って入れた。まだぬくかった。私はそれを胸に抱いて墓へ行った。私の腕の中で、妻がかさかさと燐酸石灰の音を立てていた。』 

写真の緑さんはとても美しい女性でした。島根の松江出身の永井博士は長崎大学医学部の学生になり、その下宿先として緑さんのオタクに頼み込んで、ついに無理に住みこまさせてもらったそうです・・・。きっと、そこに美しい緑さんがいたからだ、と私は直感しました。緑さんの家系は敬虔なカトリック信者で、そのご先祖は代々、禁教の時代、かくれキリシタンの組織をしていた長(オサ)だったそうです。そのうちのご先祖には『崩れ』という大変な経験もしたそうです。緑さん自信もカトリック信仰されていまして、その影響で永井先生も、カトリックに入信しました。たしかに永井先生が長崎で行ったことは、キリスト教の博愛精神に基づいたのは違いないと思うのですが、私はそれ以上に、緑夫人に対する、想いが大きかったのではないか、と思います。好きな人・好きだった人の喜ぶことしたいとの一心ではなかったかと、近くに緑さんの存在とその思い出があればこそ、がんばれたのではないかと思うのですが・・・。実は永井博士は原爆に被爆する前、レントゲン写真の自己犠牲的研究で、被爆し、白血病を患います。そして余命があまりないことを告げられた。このことは知った緑さんは博士を深く理解したそうです。すでに死を覚悟し、緑夫人に、その死を見届けてもらうはずだったのに・・・このとき永井博士の心境はいかがなものだったか・・・。

子供さんの作文もありました。疎開していたふたりの子供さんが、おかさあんと一緒にいつかいっしょにたべようと約束していた桃の缶詰を手にして、もうその約束が守られない、といったことを書いてありました・・・。



如己堂を後にして、ほんと、がんばろうとおもいました。幸いにも自分にはまだまだ一杯時間が残されている。その時間を無駄にはしたくはない、と。
  


Posted by いっきゅう  at 13:03Comments(0)

2008年12月13日

長崎カクレキリシタンについて。

先月11月28日 長崎において、カソリックの世界的式典がありました。
世界中から3万人のカソリック信者が長崎に集まりました。
その式典では、バチカンのローマ法王・ベネディクト16世の使者が訪れて、日本の17世紀の禁教の時代に、カソリック信仰を守っため殺された信者、188人の殉教者を称えました。彼らのほとんどは名もない普通の庶民であります。この日、彼らは聖者として、ローマ法王より正式に認定されたわけです。もちろん、キリスト教徒の殉職者はもっとたくさんいますし、また禁教令は明治になってもすぐには解かれませんでした。 【日本26聖人】や 【信徒発見】については、すでに広く内外に知られてますが、この式典のことを、日本のメディアがほとんど伝えなかったは残念です。



というワケで、長崎のカクレキリシタンについて・・・

私はいわゆる「カクレキリシタン」の話には、なぜかすごく興味がありまして、外海町や平戸・生月島、さらには天草のゆかりの場所を訪れました。また、頼まれもしないのに、英文でホームページまで作っています・・・。

たとえば、長崎・外海町ではクリスチャン神社で知られる枯松神社には、祈りの岩があって、テーブルのような岩陰に信者は集まってひっそりと祈りつづけたそうです。また、外海の彼杵の山深い小屋のバスチャン屋敷。そこに何十年も身を隠しては宣教をつづけた日本人伝道師バスチャン。ついに夕餉の煙を炊いたことで見つかって処刑されたらしい。さらに、外海のうつくしい海に向かって遠藤周作の傑作【沈黙】(この地区が小説のモデルとなった。)の碑があります。

また、平戸・生月島に点在する殉教者にために祀られたいくつもの祠・・・。それぞれに悲しいドラマがあり、その祠はどこもひっそりとしています。生月島には、明治以来、キリスト教の信仰が許されたにもかかわらず、いまだにカクレキリシタン信仰(オラショ。お経でキリスト教の祈りをささげる。マリヤ観音、納戸の十字架。)を引き継いでいるひとたちがいらっしゃるそうです。

禁教の時代、もし、見つかったら、一族郎党どんなひどい目にあうかは広く知られていたはずです・・・。にもかかわらず、人々は祈りをささげ、信仰を守っていた、あるいは守ろうとした。磔にされてまでも信仰を守ったもものいれば、カクレキリシタンになったものがいました。長崎の地では踏み絵は年中行事のひとつなりました。カクレキリシタンたちはその日、真新しい草履に履き替え、踏み絵をした後、ウチに帰ってからその草履をお湯で煮てその汁を飲んだそうです・・・。彼らは、表向き仏教という形式で、彼らなりの信仰を持ちつづけたました。それぞれ彼らの気持ちはどんなふうだったんだろう?と、その場所行っては、思いをめぐらしたものです。しかし、禁教する側にも、当時の統治者なりの理由があったようで・・・歴史はいろんなことを考えさせられます。

ご存知、島原・天草の乱では老若男女3万7千もの住民が、島原の原城に立てこもり、幕府・大名連合軍さらにはオランダ海軍の攻撃に対して最後のひとり(内通者であった山田右衛門作(南蛮絵師)を除く。)まで抵抗して全滅しました。この乱の要因は、厳しく追い詰められたキリスト教徒の反乱と同時に、当時の圧政に対する農民の反乱という性格が大きいそうです。長崎・天草は農地が乏しかったにもかかわらず、年貢の取りたてが容赦なかったそうです、そういう土地柄もあって、貧しい人々はキリスト教に救いを求めたのでしょうか・・・。(ちなみに当時の天草は唐津藩の寺沢氏の領地だった。 ) 原城跡は実に風光明媚なところにあるのです。うつくしい海に付きでた小さな半島の突端にあります。私がここを訪れたときは春真っ盛りで、菜の花や桜がたくさん咲き誇っていました。そんな美しい場所に永遠に眠れるというのがせめてもの彼らへの手向け・・・と、そう思っていたところに、歴史好きの高校生がひとりぽつぽつと歩いてやってきました。そういえば天草四郎がココに眠ったのは15歳だったそうです。。。

長崎にはたくさん教会がありますね。私は特に島の教会に興味があります。いつか五島の島々の教会を訪れたいです。教会にまつわる歴史もまたドラマがありますね。これについてはまたいつか。。。
  


Posted by いっきゅう  at 13:01Comments(0)

2008年12月11日

【精霊の守り人と葉隠武士道】

先日、ウチの生徒さんからのお奨めでアメーションDVDを一気に13巻見てしまいました。(=^・^=)【精霊の守り人】女剣士「バルサ」の物語。テーマは「強さ。責任感。愛情。」これこそが真の武士道だと、思いました。原作は児童文学・ファンタジー作家の第一人者 【上橋菜穂子】

そこで、武士道といえば佐賀藩生まれの【葉隠】侍は主君のためにいつでも命を捨てる覚悟をもつこと。封建制度の根本はその【絶対忠誠心】に支えられていた。主君が死んだ場合、家臣は切腹して後を追ったらしい。(追い腹)
今の感覚で言えばなんとも、不条理な話ですね。

【葉隠】というのは鍋島藩の家臣だった山本定朝の話を書き記したものです。
(私は英語翻訳版を読みました。) 彼が耳にしたサムライたちのいろんなエピソードや自分自身の体験談を語り、そこから学ぶ教訓や自分の考えを示しています。とても読みやすくて面白いですよ。よく【武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり】という有名なフレーズのみで語れますが、それは「簡単に命を捨てろ」というものではなく、逆説として捉えるべきことはちょっと読むだけで明らかです。要するに頑固オヤジが、だらしない若者に、「死ぬ気でやれっ!」と、喝っ!をいれているようなものなのです。
(=^・^=)「守るべきものを守るために強く生き抜け!」これが、【葉隠】の真のメッセージです。【主君のために】を別のなにか【守るベキもの】に置き換えてみる。すると、どんなことがあっても「何かを守り抜こうとする」=「強く生き抜く力。」になるとおもいます。



バルサはひょんなことからとある国の王子の用心棒を引き受けます。精霊の卵を産み付けられた王子。そのことを知った父である王は、王子を殺そうとします。逃げるバルサと王子。次々と放たれる強力な刺客たち。バルサは一旦その仕事を引き受けた以上、何が何でも、自分の命を投げ出してまで、その王子を守り抜こうとします。しかも、彼女の信念から誰一人、敵の命を奪うことなく・・・。さらに、その国のたしかな伝承によれば精霊を産みつけられたその王子は最後、人間の力ではどうしようも太刀打ちできそうもない怪物によって引き裂かれる定めだ、という・・・のが判ります。それでも、バルサは約束します。「絶対にお前を守る。」と。それが、最初から最後まで、決してぶれることなく強烈に描かれています。ものすごく元気をもらいました。

・ちなみ新渡戸稲造の書いた「武士道」は、日本人の理念とういものが武士道にあるのだと、
明治の開国時代に広く世界に訴えたものです。


・【葉隠】については私の「英語でふるさと案内にて英語で記してます

・宮本武蔵の【五輪の書】は、英訳されててひろく外国で読まれてます。
  


Posted by いっきゅう  at 13:43Comments(0)

2008年12月08日

日本語のリズム:川上未映子さんと樋口一葉

前回、日本語は英語に比べて、リズムがない、単調・・・という風なことを書きましたが、それは単純化した言い方だった、と、思い知らされたのは、川上未映子さんの本を読んだからです。

彼女の「乳と卵」の頁を開いた瞬間、目にとびこんできた文字が抑揚をもってもぞもぞと動いている感じがしたのです。
川上さんは曰く、日本語文字の字面、その作品の字面を見てその作品好き嫌いになる。それは音声というものでなく イメージでもなく、あるいはその両方でもある文字面の視覚的リズムである。つまり、作品の内容以前に文字の模様で、彼女にとっての作品の良し悪しが決定される。仮名漢字まじりの日本語の文字のそのつらなりそのものに、イントーネーションがあるのだ、と。それは音というより、字体の連なりのイメージとしてのリズム、抑揚。漢字という表象文字とひらがなの表音文字の混合。考えてみると中国語のびっしり漢字だらけな文章、英語等のヨーローッパ言語などのアルファベット記号の組みあわせだけの文章と見比べてみると、日本語の文字の連なりににリズムがあって、なんと読みやすいことか!こんなシステム、日本語のほかにあるのだろうか・・と思うのです。

この作品は樋口一葉のたけくらべの文体をベースにしたそうです。
そういえば以前、樋口一葉作品の読んだとき、文語体にもかかわらず、まるで、映像がリズムよく流れているような読書体験をしたことを覚えてます。さらに幸田弘子さんによる一葉作品を朗読を集めたテープを聴いたことありまして、それがいいリズムなんです。和歌や俳句でもわかるように日本語は七・五調という独特のリズムを昔から持っていたし、現代文でもリズムのいい日本語というのは可能なのだ、と川上作品を手にとって思った次第です。




そうえいば昔、英文でもそんなことも書いたことありましたっけ・・。

I‘ve often complained about the difficulties of English. But this time, I’d like to talk about the pleasures of learning English by focusing on the sounds of English. The rhythms, intonations and various sounds of English are totally different from those of Japanese. The appeal of English music, rap music, rock n’ roll and R&B owes much to the various aspects of sounds in the English language. I feel very comfortable when I hear rhythmic English being spoken.

Hearing the rhythms or stress of words makes my body move and also adds momentum to my thinking. It’s like doing a sport. For example, in order to be a good swimmer or runner, one needs to acquire a sense of rhythm. Various sounds are also an attractive aspect of English. They contribute to the many colorful expressions in English. In order to be a fluent English speaker, I believe that I need to develop an acute sense for the sounds of English to the point where they penetrate to my bones. Well, teachers, what’s an effective way to develop an acute sense for the rhythm of English? What are the important things to consider? Now, I’m trying to read English aloud, and repeat sentences immediately after hearing native English speakers recite them.

By the way, some particular styles of Japanese have special rhythms like English. As you might know, Haiku and Waka poems have specific rules. The number of syllables is regulated, as demonstrated by the 5-7-5 syllabic structure of Haiku, and the 5-7-5-5-7 syllabic structure of Waka. It gives some stresses and rhythms to poems. The sentences of old Japanese literature also sound like these poems. I think the Japanese language has been losing these aspects through modernization since the Meiji era. This is evidenced by the fact that Japanese seems to sound more monotonic.

Let me talk about Ichiyo Higuchi, who was a female writer in the Meiji period. One of her masterpieces, “Takekurabe”, refers to “comparing growth of heights”. It’s a kind of virgin-love story of a boy who was born with a silver spoon and a girl who is a child of a Geisha in Yoshiwara, Tokyo. Upon opening the pages of it, I could see vivid scenes of the world through its text. Furthermore, the rhythms of the style are special. I didn’t know Japanese could sound like English until then. When listening to a recorded cassette tape of it, my observations were confirmed. It had special rhythms, intonations, and syncopations like music. The style of writing is totally different from our style of writing in modern day Japan. The Japanese language has changed quite a lot. Of course, Ichiyo was greatly influenced by the classic language found in Waka poems. I believe that Japanese used to be much richer in the past than it is today.

There are, however, a few current writers who have a special rhythmic style in their writing. One of them is Yoko Tawada, She writes novels in Japanese and German. That’s why her writing style has special rhythms, as influenced by the diversity of her written works. She seems to have a different perception of Japanese like that of a foreigner.It’s very interesting to think about the sounds of languages in their oral or written forms, isn’t it?

--------end
written by Hiroto
Thanks for reading this   


Posted by いっきゅう  at 11:44Comments(0)

2008年12月05日

洋楽で楽しむ英語音声

英語の大きな魅力のひとつはその音声あります。
英語は口や舌をフクザツに使っていろんな音を繰り出します。また強弱(抑揚)がありますから、リズムがでます。音楽で言えばシンコペーション。英語をリズム良く話されると、気持ちよく、分かり易いです。英語ってほんと聞き手に分かりやすく出来てるんですよ。

ロックやR&B ジャズ・ボーカルズ、ヒップポップなどのポップスも断然、英語のものがいいです。まあ、これは英語文化から生まれていますから当然ですけど・・・日本語ポップスは歌詞の意味がリズムより重視されがちのような気がします。 それに耳はやり自然と意味のほうに向いてしまいがちですしね・・・。母国語だから当然ですね。)



学生時代は英語のポップス、いわゆる洋楽は大好きでした。(英語の勉強はそれほどでもなかったです・・。(T_T))働き出してだいぶたった頃、Toiecをちょっとしたきっかけで受験しはじめました。リスニングに苦労(クロウ)していた頃に出会ったのがシェリル・クロウ・・・。(=^・^=) 彼女の楽曲を聴いてやっぱ英語はリズムなんだ!カッコイイんだな英語って・・と再認識した次第です。それから、英語リスニングが大好きになりました。理由は単純なのですね・・・。好きな洋楽は。。。ノラ・ジョーンズ、キャロル・キング、ジェームス・テイラー、ジョン・メイヤー、ジュエル、プリシア・アーン・・・・。どうも、オーソドックスなシンガーソングライターが好きなようです。


【発音】学校ではあまり習わないことなんですね・・・受験ではセンター試験にちょこっとでるだけ・・・。とても重要なことにもかかわらず・・・。アクセントと、発音、イントネーション。でもこれが、英語学習で一番おいしいところだったりするわけです。”らしく”しゃべれたり、カラオケで洋楽をかっこよく歌えたり・・・英語が好きなるきっかけのひとつだと思うのですが・・でも英検スピーチ試験では、重要なポイントですね。もちろん、「いっきゅう」では”らしい発音”を取り組みますよ!

【らしい発音のこつ】

@子音+母音のリンク
my name is Hiroto. 
マイ ネイミズ・・・

What are you doing?
ワラユ ドゥイング

 @dサウンドを抑える
Jim and Mary  
ジメンマリー

@Hサウンドの省略
She take him to a ball park.
シッー テイキム トアボールパーク

He likes her very much.
ヒー ライクスアー ヴェルィマッチ

@of のfを弱める

What kind of music do you like?
ワッ カインダ ミュージック ドゥユライク

さらには発音を練習することはリスニング力向上という相乗効果が期待できます。  


Posted by いっきゅう  at 18:11Comments(0)

2008年12月03日

男は数学・女は語学??

【男は数学・女は語学に向いている】という世間一般の通念はいまも根強く生きているような気がします。
たしかに最近日本では女子の数学が得意な生徒の割合が増えているそうです。
数字が好き、きちんと筋道立てて答えが出るのが好き、と。。。
ですが、現状はやはり数としては理工系は男子が圧倒している。
一方、文学部では、女子の割合が圧倒的に多い。


佐賀空港付近


なにかの英語論文に、いかに男がエンジニア向きで、女性が言語を教える職に向いているか、人口統計やホルモンや脳の働きとの関連づけで、証明しようとしているのを読んで、すごい違和感を覚えたことがありました。確かに、ノーベル賞の理科系や数学のノーベル賞といえる、フィールズ賞は男ばかりではある。
でも、それがすなわち女子は数学に向かない、という仮説は原因と結果があべこべではないか思うのです・・・
つまり社会通念もたらす結果に基づいた統計であり、その統計にもとづいた研究である、と。

と、そう思っていたところ、ニューズウイークの12月3日号のコラムでは、
数学の国際的試験で、昔と比べて、女子の数学の成績がどんどん伸びてきている。旧東欧諸国では女子の方が勝っているところもある。それらの国々では、男女とも数学教育に力を入れている。しかしアメリカではぜんぜんそうではない。アメリカの風潮はまだ理科系を専門に勉強する女性はまだまだマイノリティとみなされている。女子が数学に向かないのは、生物学的な理由ではなく、社会学的歴史学的背景があると、いっています。

当塾の講師のひとりは、女性ですが、英語も得意なのですが、数学の方のむしろ得意です。かく言う私は、数学は好きなのですが、英語の方がどちらというと・・・いや、断然得意です。(+_+) よくインド人一般に数学が得意といわれるのは、結局はそういう社会・文化なのだと思います。その特性は社会通念に強く影響されるのではないかと思うのです。
  


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2008年12月01日

勉強できるってことは、ありがたいこと。

「勉強できるってことは、とても、ありがたいことなんだよ」と、前にいたときの塾で
やる気のぜんぜん感じられない生徒さんに、お説教じみたことを言ったものです。
「お父さんとお母さんが一生懸命働いたお金で、ここに来てるんだから、時間を無駄にすることは、そのお金を無駄にすることなんだよ。」
「世界には勉強したくても、出来ない人がいっぱいいるんだよ。」
「歴史を見ても、勉強することが、罪になるときがあったりして・・・・。」
「ヘレンケラーなんてさ、眼も見えない、耳も聴こえないのにすごく勉強して、すばらしい文章を残しましたよ。。。」などなど・・・。でも、そんなお説教が生徒の心にとどういたかどうか、よく分かりませんが・・・。
実のところ、そんなお説教より、その生徒さんに特化する方法を考えて、ねばりづよくその方法を繰り返したら、うれしいことに質問をしてくれるようになって、だんだん伸びていきました。(=^・^=)

実はそのお説教は自分自身に向かって言っていたようなものなのです。。
たとえそのときは雇われの身であっても親御さんから頂く授業料以上のことはしなければならない、と。


佐賀市内


・アフガニスタンでは、女子が教育を受けるのに反対する勢力がいて、勉強する彼女らを暴力で抑圧しているという。
・アフリカ諸国の多くの家族では子供たちは重要な労働資源と考えられ、教育なんてとんでもない、という。
・江戸時代では、蘭学を勉強することに、命がけの時代があったそうだ。
・今のこの日本でも、親の経済事情で勉強したくても、進学したくても、できない子供たちがいっぱいいる。。。

自由に、好きなだけ、勉強できるって、幸せなことですよね。
最近なぜか、しみじみそう思うのです。
  


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