2008年12月31日
【英語を勉強することの意味】
英語は国際言語として、英語を母国語としない国々の人々の間でも盛んに使われていますね。国連など国際会議からオリンピックなどイベントの進行は英語でおこなわれ、国際化したビジネス、学術の分野でも英語は共通語ですね。今後は、ここ日本であっても何かプロジェクトを行おうとする場合、英語を使って外国の人との協力しあうケースがどんどん増えてきます。よく言われるのは【英語は目的ではなく、個々の目的を果たすための有効な手段である。】と。まったくその通りです。今後学生さんは、専攻する分野で英語を手段として論文を読んだり、書いたり、発表、議論したりするでしょう。また、社会人になれば、英語を使って仕事をし、海外旅行を楽しんだり、外国の友人をつくったりすることしょう・・・・。
でも、実は【英語を勉強すること自体を目的にすること】にも意味があることなのです。それは、英語は日本語と真逆でないか?というくらい、まったくちがう性質をもっており、それを勉強すること自体、あたらしい価値観・世界観を学ぶことができるのです。【言葉は文化】とわれるとおり言葉はその使われてきた地域の中で長い時間を掛けて出来あがったのものですので日本語なら当然日本語の文化・価値観を反映している。また人は物事を捉えるとき、言葉のフィルターを通して認識します。つまり英語を勉強することは、母国語と違うフィルターで物事を見ることができるのです。受験英語であろうが、資格のための英語であろうが、日常英会話であろうが、違う言語フィルターを勉強することにおいては違いなどはありませんよね。
たとえば、【一般動詞の表現】「わたしは英語を勉強をしております。」の日本語の時間の区分は、英語の時制の観点から見れば、「今、勉強している最中なのか(現在進行形)、」「習慣として、勉強しているのか。」((現在形)あるいは、「ある時点から今まで勉強しているのか(現在完了形)」のか、はっきりしません。また、「私はあのひとを知っています。」の【知っている】と「私は、ご飯を食べています。」の【食べている】は、英語ではちがう種類の動詞として区別します。【知っている】はある一定の状態を表す動詞で、現在進行形にはなりません。それは当然で、「知る」を「食べる」ように時間限定で「知り続ける」ってヘンですよね。一方、【食べている】は、その時々の動作を表すので、進行形になります。つまり、目の前の出来事を描写するためには、この状態と動作の動詞表現の使い分けをきちんと理解してなくてはなりません・・・。つまり、英語は時間を捉える感覚が日本語よりもより厳密だと知ることが出来ます。(実はこのこと中学校1年生で習うことなのです。)そのほか、言葉の順序、論理の運び方、ものが限定なのか、そうでないのか、という冠詞のつけ方、かぞえられる、かぞえられない名詞、方向や時間をあらわす前置詞の使い方・・・等々 ものの考え方の手順から、感覚的なものまで違いがあるのです。
一方、外国人にとって日本語の驚くべき特徴のひとつは、【書き言葉】にあると思います。漢字、ひらがな、カタカナと違う表記システムが、それぞれの役割を果たしつつ混在している。世界に、日本語のような書き言葉、ちょっと珍しいのではないかと思います。しかし、この混在システムのおかげで、日本語の文章は読むのにとても理解しやすい、なぜなら、視覚的リズム・抑揚があるからです。なんと、日本語の名詞や動詞、形容詞、副詞は漢字で、その他はひらがなという仕組みは、英語の発音の強弱と符合するのです!!英語では一般に名詞や動詞、形容詞、副詞が強く読まれ、その他は弱く読まれます。おもしろいですね・・・。この日本語のシステムは日本人が外国の文化を受け入れ上手に吸収しアレンジしてきたことのまさに代表するものですね。
英語を勉強することはその比較において日本語を外部の目から見ることが出来きます。すなわち、母国語である日本語を、「あっ、なるほど、こういう風に日本語では言うのだなっ」と再認識にさせることがあるのです。このことは日常生活で、当たり前だと、思っていたことを、もう一度別の見方が出来ることにつながるのではないか、つまり【あたらしい発想を産む】柔軟な思考が培われるということです。
最後になりますが、今、英語教育のあり方(小学校・高校英語授業など、)が議論されていますが、私の経験では日本語をできる生徒さんほど、覚えが早くて、高度な英語が出来ます。日本語を勉強することは、母国語として当然ですが、英語を上達するうえでも、大変な重要なことなのです。
でも、実は【英語を勉強すること自体を目的にすること】にも意味があることなのです。それは、英語は日本語と真逆でないか?というくらい、まったくちがう性質をもっており、それを勉強すること自体、あたらしい価値観・世界観を学ぶことができるのです。【言葉は文化】とわれるとおり言葉はその使われてきた地域の中で長い時間を掛けて出来あがったのものですので日本語なら当然日本語の文化・価値観を反映している。また人は物事を捉えるとき、言葉のフィルターを通して認識します。つまり英語を勉強することは、母国語と違うフィルターで物事を見ることができるのです。受験英語であろうが、資格のための英語であろうが、日常英会話であろうが、違う言語フィルターを勉強することにおいては違いなどはありませんよね。
たとえば、【一般動詞の表現】「わたしは英語を勉強をしております。」の日本語の時間の区分は、英語の時制の観点から見れば、「今、勉強している最中なのか(現在進行形)、」「習慣として、勉強しているのか。」((現在形)あるいは、「ある時点から今まで勉強しているのか(現在完了形)」のか、はっきりしません。また、「私はあのひとを知っています。」の【知っている】と「私は、ご飯を食べています。」の【食べている】は、英語ではちがう種類の動詞として区別します。【知っている】はある一定の状態を表す動詞で、現在進行形にはなりません。それは当然で、「知る」を「食べる」ように時間限定で「知り続ける」ってヘンですよね。一方、【食べている】は、その時々の動作を表すので、進行形になります。つまり、目の前の出来事を描写するためには、この状態と動作の動詞表現の使い分けをきちんと理解してなくてはなりません・・・。つまり、英語は時間を捉える感覚が日本語よりもより厳密だと知ることが出来ます。(実はこのこと中学校1年生で習うことなのです。)そのほか、言葉の順序、論理の運び方、ものが限定なのか、そうでないのか、という冠詞のつけ方、かぞえられる、かぞえられない名詞、方向や時間をあらわす前置詞の使い方・・・等々 ものの考え方の手順から、感覚的なものまで違いがあるのです。
一方、外国人にとって日本語の驚くべき特徴のひとつは、【書き言葉】にあると思います。漢字、ひらがな、カタカナと違う表記システムが、それぞれの役割を果たしつつ混在している。世界に、日本語のような書き言葉、ちょっと珍しいのではないかと思います。しかし、この混在システムのおかげで、日本語の文章は読むのにとても理解しやすい、なぜなら、視覚的リズム・抑揚があるからです。なんと、日本語の名詞や動詞、形容詞、副詞は漢字で、その他はひらがなという仕組みは、英語の発音の強弱と符合するのです!!英語では一般に名詞や動詞、形容詞、副詞が強く読まれ、その他は弱く読まれます。おもしろいですね・・・。この日本語のシステムは日本人が外国の文化を受け入れ上手に吸収しアレンジしてきたことのまさに代表するものですね。
英語を勉強することはその比較において日本語を外部の目から見ることが出来きます。すなわち、母国語である日本語を、「あっ、なるほど、こういう風に日本語では言うのだなっ」と再認識にさせることがあるのです。このことは日常生活で、当たり前だと、思っていたことを、もう一度別の見方が出来ることにつながるのではないか、つまり【あたらしい発想を産む】柔軟な思考が培われるということです。
最後になりますが、今、英語教育のあり方(小学校・高校英語授業など、)が議論されていますが、私の経験では日本語をできる生徒さんほど、覚えが早くて、高度な英語が出来ます。日本語を勉強することは、母国語として当然ですが、英語を上達するうえでも、大変な重要なことなのです。