2021年11月03日
宮々ハルヒ・英検の憂鬱
当塾生「宮々ハルヒ」はスポーツ万能/歌って踊れるスーパー高校1年生。成績は全く勉強しない割に中の上。超絶ツンデレお姫様キャラ。通称団長。英検は一応、準2級所持している。ただ2級の面接で連続不合格。それはなぜか? 試験中、中二病をこじらせてしまうから。(笑)彼女は英検面接試験の最後のパートで、自論の超エキセントリックな世界観をぶちあげてしまうのだ。宇宙人だの未来人・異世界人・超能者・・・などなど(笑)準2級まではそれらしいことをしゃべってなんとか合格できたが、2級はそうはいかない。塾長として、いろいろ助言をするが全く聞く耳を持ってない。( それできびしいことをいうと、「ミャミャ(宮々だけに)」とはぐらかせれてしまうのだ。 しかし今度不合格となってしまうと、あの恐るべき「閉鎖空間」が世界を覆っており下手するとこの世界が滅んでしまうかもしれないのだから・・どうしたものか悩ましい。
というわけでこの世界を救うため「宮々ハルヒ」に捧げる英検禁則事項をひとつ。
<自分の思い込みだけで結論付けるな!!>バランスの取れた主張それをサポートする具体的事例と客観的根拠示せ! な~んてこというと、ハルヒは「そんなのつまんない!ワタシただのスピーチには興味ありません。以上!」といいだすだろう・・。もともと「宮々ハルヒ」は実力はあるのだから普通にやれば悠々合格のはず。あくまでも試験なのだから割り切ってメンタルを制御できさえすればいいのだが・・。
と、ここまでが、京都アニメーションの伝説的問題作「涼宮ハルヒの憂鬱」のパロディでした。
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「涼宮ハルヒの憂鬱」がある層にに熱狂的に支持されたのはおよそ15年前、当時吾輩は「ハルヒ?? ふん・・オタクさんのヤツか~」という目線でいましたがこれは吾輩の完全に間違いでした。土下座いたします。当時少なからず世間から偏見の目に晒されながらも「ハルヒ」を支持した人々を今、心から尊敬の念抱くと同時に感謝しております。彼らのおかげで今の日本のアニメ文化が世界に浸透しているのですから・・・。今ではライトオタク・カジュアルオタクという言葉があるようで・・若い人はみんなある種アニメ好きであることの方が大多数ですから。
第1話の高校入学式のクラス。ハルヒは「ただの人間には興味ありません この中に宇宙人 未来人 異世界人 超能力者が居たら私の所に来なさい 以上!」と痛い痛い自己紹介をぶち上げます。ここから始まる「ハルヒ」の物語はハチャメチャな日常系コメディ+SFファンタジー+青春ラブコメなのです。「ハルヒ」のシュールでB級なサイエンスフィクション。展開が前衛的でもある一方、ベタな青春ラブストーリーとコメディ的要素もあって吾輩はすっかりハマっちゃいました。
以下は、ネタバレ(ただ核心部分は禁則事項でバラしてないつもり)も含みますので、気になる方はここまでとしてください。先々月から先月に少しづつ「第1期~2期+「涼宮ハルヒの消失」+「長門有希ちゃんの消失」を少し。を初めて観たものですので、読み間違い・浅さがあるかもしれません、どうかご容赦を。 以下はコロナ巣ごもりアニメの自分用クロニクルですが、よかったら読んでください。
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実は主人公は三人いる!
と、吾輩には読み取れる。
<涼宮ハルヒ>
文字どうりの主人公・涼宮ハルヒは自分が願ったことは何でも実現できる能力を持っている設定。ただし本人は無自覚。彼女の「退屈な日常」をワクワクな世界に変えようと学校にSOS団 (正式名称は「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)を結成し団長として同じ高校生手下4人を従える。(まず宇宙人・未来人・超能力者。彼らはハルヒを監視するために、それぞれ違ったとある機関によるエージェントという設定。しかし、ハルヒ第一声の通りであれば彼女によって召喚されたともいえるかもしれない。)そしてなぜかクラスの席の前の一般男子高校生が強引に入団させられる。お姫様気質のハルヒは彼らに無茶ぶりをしてたワクワクな出来事実現させる。お調子もののハルヒはさらに欲求エスカレートしていく。(夏休みを15532回ループさせるような・・)sos団の団員たちはこの世界が滅ばないようにハルヒの欲求を満たそうと頑張るのだ!その団員の中でちょっとさえない感じの一般高校生団員キョンはハルヒの驚愕の正体をほかの団員から知らされる。なのでキョンは一団員として無茶苦茶なハルヒにはおとなしく従っている。キョンはハルヒにとって都合のいい癒し系キャラなのだ。だが、いざとなる、たのもしいお兄ちゃんキャラを発揮してハルヒを「閉鎖空間」から強引に引っ張っりだしたり、めちゃくちゃなハルヒの言動を叱りつけもする。これは他の団員が決して出来ないことである。ハルヒはキョンに反発しても「閉鎖空間」は出現させない。そして彼の存在によって「閉鎖空間」をこじらせる回数が減っていくのだ。ハルヒはキョンがそばにいて安定する。これが意味するところは・・・。つまり好きなのだ。「恋愛」対象というより、むしろハルヒは自分の存在を忖度なしで認めてくれる欠かせない存在として彼に甘えっぱなしなのだ。ハルヒは駄々っ子のように欲求をエスカレートさせるのはキョンの関心を引くためともいえのではないか?。TVシリーズ最終回は、いつもツンツンのハルヒがほんの一瞬、優しく可愛い女子力を発揮するシーンがある。冬の夜空から降る雨に中キョンとハルヒの相合傘。じつに胸キュンのシーンなのだが、最後のシーンでハルヒは視聴者に向けてアッカンベーをする。いったいこれは何を意味するのか??
二人目の主人公<キョン=視聴者説>
キョンというごくごく普通の男子高校生をナレーター=語り部に設定したことはとても重要。キョンはぼんやりしたモラトリアムな高校生。中途半端な中二病をこじらせた陰キャラ・帰宅部の非もて系。この設定が等身大キャラとして当時は世間から冷たい目線と酷い扱いを受けていたアニメ好きの男子学生に共感を生んだのだろう。「ハルヒ」はキョンにSOS団という居場所を与え「ワクワクドキドキのリアルで充実した高校生活」を提供した。つまりキョンに自己投影した視聴者は自分のことのようにアニメの世界に熱狂し・入れ込んでいく「ハルヒ現象」を生む。
テレビシリーズの続編的映画「涼宮ハルヒの消失」ではクリスマスの前週の寒い日いつものように学校に登校するキョン。そこは普通と違っていた。まるで現在の「コロナ」のような得体のしれない風邪が蔓延して多くに生徒が学校を休んでいる。そしてそこにいるはずの「ハルヒ」がいないのだ。どこを探しても誰に聞いても「ハルヒ」という生徒の存在を知らない」という。誰彼ともなく問い詰めるので奇人変人扱いされる。そう・・「ハルヒ」との出来事はすべてはキョンの妄想劇だったのだ・・。そう考えるとすべが符合する。キョンは退屈な日常を平々凡々に暮らしているの飽き足らず、「ハルヒとその仲間を脳内にでっあげるという中二病をこじらせたのだった・・としたら。つまりキョン=視聴者が架空の「ハルヒ」によって、退屈なでふわふわした日常にワクワクの場所と時間を与えてくれたという構図。
しかし、キョンは奇人変人に見られようがあきらめなかった。「ハルヒ」の痕跡を命を懸けて探すのだった・・そしてたどり着いた衝撃の事実とは「何者かによってこの世界が改変されていたということ」それは意外な人物で、意外な理由だった。(テレビ版最終話に見事に伏線が張られている。)これ以上は禁則事項=ネタバレ禁止です。
だがしかし・・キョンは実はモテるのヤツだ。頼りなくてぼんやりした印象だがなかなかどうして男気にある男子なのである。たしかにハルヒが選んだだけある。懐が深く、思いやりもあるし、いざとなると決断力もある男子なのだ。さぁ、これからは草食系・お兄ちゃんキャラがモテ期だよ~!!アンタ達、キョンを十分に学習しておくように!!たぶんこれが、一般視聴者(アニメ好きの非もて系男子諸君。吾輩を含む)に対するハルヒからのメタメッセージだったのかもしれない。(ハルヒのアッカンベーの意味。)
<第3の主人公 長門有希=製作者説>。
SOS団員のひとり「この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース。それが、わたし。」とつぶやく女子高生く長門有希 が第三の主人公(さらには製作者サイドを表現している)といえるだろう。彼女のおかげでなんど世界は救われたか。ハルヒの機嫌ひとつで危うくなる世界(ストーリーがぶっ飛び過ぎ破綻しそうななるのを裏方でこっそり補正している。)維持できたのは長門のおかげである。キョンも何度か命を救われている。何世代も先のスーパー量子コンピューター並みの仕事人で裏方で人知れずやっているのだ。
だがしかし・・本編「涼宮ハルヒの憂鬱」はもうひとつの可能性世界であるスピンオフアニメ「長門有希ちゃんの消失」の長門ちゃんが作り上げた世界ともいえるのだ。読書好きの眼鏡少女は内気で人とのかかわりが苦手。数Ⅲの難問を暗算で解けるほどの超ハイスペックなのだが、普通の同級生・特に男子と普通にかわす言葉が見当たらないようだ。彼女は文芸部の部長。部員は彼女一人。毎日の放課後、たったひとり部室でもてあます時間と空間の中、彼女が作り上げた妄想が「涼宮ハルヒの憂鬱」といえるかもしれない。SF定番ネタのタイムループの仕掛けや別の可能性世界パラレルワールド。周到に用意された伏線と、のちにそうだったか!と思わせる伏線回収の見事さ。視聴者を惑わす実験的演出。長門こそ中ニ病を超肥大化させた「涼宮ハルヒの憂鬱」の製作者といえないだろうか・・。(読書好き少女も「ハルヒ」にハマるというわけさ。)
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思春期は自分の存在と自分を取り巻く世界の折り合いつけるのが難しい年代ともいわれています。「中二病」とはウキペディアによれば「中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング」とあります。子供から大人になる過程での、悩み多き世代というべきでしょうか・・。(当塾に中二病をこじらせてる塾生は・・思いつかないなぁ。ああそういえば・・10年ぐらい前かな?高三生男子(受験生です!)で、今度「ラピュタ」がテレビ放送があるので、授業を振り替えさせてください!と言ってきたのを思い出した(笑)・・レンタルでいつでも見ればいいやん?というと、いやテレビじゃないとダメなんです!!という。その時はよくわからなったがテレビ放映を視聴者同士で共有しあえるパソコン掲示板(いまならSNS)で生中継したかったのだろう・・。(振替を了承する代わり、宿題2倍だしました。)でも彼はそんなに中二病な感じじゃなかったけどな・・。(そんな素振り見せないようにしてたのかな?)しかしこんなことを真顔で真っ正直に言ってくるということは塾長の吾輩が十分に中二病的要素をもっていると感じてのことなのだろうか・・・。
涼宮ハルヒは中二病でツンデレこじらせ女子。一方、相手方のキョンは、パッとしない陰キャラで草食系のお兄ちゃんキャラの男子。この組み合わせパターンはのちのティーンズ世代ラブコメアニメの要素(現代若者の心情を映した)の先駆けともいえるでしょう。(「化物語シリーズ」「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」「トラ・ドラ」「青春ブタ野郎シリーズ」など) 思春期・青春ラブコメをただのアニメと侮るなかれ。複雑に絡み合う人間関係(恋愛・友情・部活)に揺れ動く心の機微を見事に描いているものが多く十二分に作品としても大人の鑑賞にも耐えうるものだと吾輩は考えます。
『涼宮ハルヒの憂鬱』(すずみやハルヒのゆううつ)をはじめとしたライトノベルシリーズ。作者は谷川流、イラストはいとうのいぢ。角川スニーカー文庫(角川書店)より2003年6月から刊行されている。2019年1月からは角川文庫からも刊行されている。涼宮ハルヒの憂鬱』(すずみやハルヒのゆううつ、京都アニメーション制作。日本では、2006年4月から7月にかけて独立UHF局を中心とした11の放送局の深夜枠で全14話が放送された。
2007年7月7日に第2期の制作が発表され(その後「新アニメーション」との発表に変更)、2009年4月から10月にかけて新作14話を加えた全28話が放送[1]された。2010年2月6日に続編となる劇場版『涼宮ハルヒの消失』が公開された。(ウキペディアより抜粋引用)
「ハルヒ」のインパクトは日本の狭い深夜の陰キャラ・オタクの部屋から全世界に拡散していった。「ハルヒ」に夢中になった人々は少数派であるが熱狂的支持し(ネットスラングweeb (日本のアニメ好き)生み出した。この余韻は今も続いているようだ。動画のコメント読むと世界には「ハルヒ」に救われた人も大勢いるようだ。中二病は世界共通なのか?
1期エンディングテーマ「ハレ晴れユカイダンスは世界中で踊られていますね。SNS動画でいろんな国々のハレ晴れダンスを観ることができます。フィリピンでは受刑者が体操として見事に踊っています。これらを観るとこれこそ世界平和!ハルヒは世界の平和に貢献しています。
よくよく見れば、歌いながら顔の表情も変えながら踊っている。ポップな振り付けが歌詞と見事に連動しています。手話を全身でやってるような・・。吾輩も動画見ながらやってみましたが、とてもついていけない。息が上がります。(はぁ・・ブログでは何でも書けちゃうもんですね?!ほかの人には口が先手も言えない禁則事項です!)。
というわけでこの世界を救うため「宮々ハルヒ」に捧げる英検禁則事項をひとつ。
<自分の思い込みだけで結論付けるな!!>バランスの取れた主張それをサポートする具体的事例と客観的根拠示せ! な~んてこというと、ハルヒは「そんなのつまんない!ワタシただのスピーチには興味ありません。以上!」といいだすだろう・・。もともと「宮々ハルヒ」は実力はあるのだから普通にやれば悠々合格のはず。あくまでも試験なのだから割り切ってメンタルを制御できさえすればいいのだが・・。
と、ここまでが、京都アニメーションの伝説的問題作「涼宮ハルヒの憂鬱」のパロディでした。
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「涼宮ハルヒの憂鬱」がある層にに熱狂的に支持されたのはおよそ15年前、当時吾輩は「ハルヒ?? ふん・・オタクさんのヤツか~」という目線でいましたがこれは吾輩の完全に間違いでした。土下座いたします。当時少なからず世間から偏見の目に晒されながらも「ハルヒ」を支持した人々を今、心から尊敬の念抱くと同時に感謝しております。彼らのおかげで今の日本のアニメ文化が世界に浸透しているのですから・・・。今ではライトオタク・カジュアルオタクという言葉があるようで・・若い人はみんなある種アニメ好きであることの方が大多数ですから。
第1話の高校入学式のクラス。ハルヒは「ただの人間には興味ありません この中に宇宙人 未来人 異世界人 超能力者が居たら私の所に来なさい 以上!」と痛い痛い自己紹介をぶち上げます。ここから始まる「ハルヒ」の物語はハチャメチャな日常系コメディ+SFファンタジー+青春ラブコメなのです。「ハルヒ」のシュールでB級なサイエンスフィクション。展開が前衛的でもある一方、ベタな青春ラブストーリーとコメディ的要素もあって吾輩はすっかりハマっちゃいました。
以下は、ネタバレ(ただ核心部分は禁則事項でバラしてないつもり)も含みますので、気になる方はここまでとしてください。先々月から先月に少しづつ「第1期~2期+「涼宮ハルヒの消失」+「長門有希ちゃんの消失」を少し。を初めて観たものですので、読み間違い・浅さがあるかもしれません、どうかご容赦を。 以下はコロナ巣ごもりアニメの自分用クロニクルですが、よかったら読んでください。
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実は主人公は三人いる!
と、吾輩には読み取れる。
<涼宮ハルヒ>
文字どうりの主人公・涼宮ハルヒは自分が願ったことは何でも実現できる能力を持っている設定。ただし本人は無自覚。彼女の「退屈な日常」をワクワクな世界に変えようと学校にSOS団 (正式名称は「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)を結成し団長として同じ高校生手下4人を従える。(まず宇宙人・未来人・超能力者。彼らはハルヒを監視するために、それぞれ違ったとある機関によるエージェントという設定。しかし、ハルヒ第一声の通りであれば彼女によって召喚されたともいえるかもしれない。)そしてなぜかクラスの席の前の一般男子高校生が強引に入団させられる。お姫様気質のハルヒは彼らに無茶ぶりをしてたワクワクな出来事実現させる。お調子もののハルヒはさらに欲求エスカレートしていく。(夏休みを15532回ループさせるような・・)sos団の団員たちはこの世界が滅ばないようにハルヒの欲求を満たそうと頑張るのだ!その団員の中でちょっとさえない感じの一般高校生団員キョンはハルヒの驚愕の正体をほかの団員から知らされる。なのでキョンは一団員として無茶苦茶なハルヒにはおとなしく従っている。キョンはハルヒにとって都合のいい癒し系キャラなのだ。だが、いざとなる、たのもしいお兄ちゃんキャラを発揮してハルヒを「閉鎖空間」から強引に引っ張っりだしたり、めちゃくちゃなハルヒの言動を叱りつけもする。これは他の団員が決して出来ないことである。ハルヒはキョンに反発しても「閉鎖空間」は出現させない。そして彼の存在によって「閉鎖空間」をこじらせる回数が減っていくのだ。ハルヒはキョンがそばにいて安定する。これが意味するところは・・・。つまり好きなのだ。「恋愛」対象というより、むしろハルヒは自分の存在を忖度なしで認めてくれる欠かせない存在として彼に甘えっぱなしなのだ。ハルヒは駄々っ子のように欲求をエスカレートさせるのはキョンの関心を引くためともいえのではないか?。TVシリーズ最終回は、いつもツンツンのハルヒがほんの一瞬、優しく可愛い女子力を発揮するシーンがある。冬の夜空から降る雨に中キョンとハルヒの相合傘。じつに胸キュンのシーンなのだが、最後のシーンでハルヒは視聴者に向けてアッカンベーをする。いったいこれは何を意味するのか??
二人目の主人公<キョン=視聴者説>
キョンというごくごく普通の男子高校生をナレーター=語り部に設定したことはとても重要。キョンはぼんやりしたモラトリアムな高校生。中途半端な中二病をこじらせた陰キャラ・帰宅部の非もて系。この設定が等身大キャラとして当時は世間から冷たい目線と酷い扱いを受けていたアニメ好きの男子学生に共感を生んだのだろう。「ハルヒ」はキョンにSOS団という居場所を与え「ワクワクドキドキのリアルで充実した高校生活」を提供した。つまりキョンに自己投影した視聴者は自分のことのようにアニメの世界に熱狂し・入れ込んでいく「ハルヒ現象」を生む。
テレビシリーズの続編的映画「涼宮ハルヒの消失」ではクリスマスの前週の寒い日いつものように学校に登校するキョン。そこは普通と違っていた。まるで現在の「コロナ」のような得体のしれない風邪が蔓延して多くに生徒が学校を休んでいる。そしてそこにいるはずの「ハルヒ」がいないのだ。どこを探しても誰に聞いても「ハルヒ」という生徒の存在を知らない」という。誰彼ともなく問い詰めるので奇人変人扱いされる。そう・・「ハルヒ」との出来事はすべてはキョンの妄想劇だったのだ・・。そう考えるとすべが符合する。キョンは退屈な日常を平々凡々に暮らしているの飽き足らず、「ハルヒとその仲間を脳内にでっあげるという中二病をこじらせたのだった・・としたら。つまりキョン=視聴者が架空の「ハルヒ」によって、退屈なでふわふわした日常にワクワクの場所と時間を与えてくれたという構図。
しかし、キョンは奇人変人に見られようがあきらめなかった。「ハルヒ」の痕跡を命を懸けて探すのだった・・そしてたどり着いた衝撃の事実とは「何者かによってこの世界が改変されていたということ」それは意外な人物で、意外な理由だった。(テレビ版最終話に見事に伏線が張られている。)これ以上は禁則事項=ネタバレ禁止です。
だがしかし・・キョンは実はモテるのヤツだ。頼りなくてぼんやりした印象だがなかなかどうして男気にある男子なのである。たしかにハルヒが選んだだけある。懐が深く、思いやりもあるし、いざとなると決断力もある男子なのだ。さぁ、これからは草食系・お兄ちゃんキャラがモテ期だよ~!!アンタ達、キョンを十分に学習しておくように!!たぶんこれが、一般視聴者(アニメ好きの非もて系男子諸君。吾輩を含む)に対するハルヒからのメタメッセージだったのかもしれない。(ハルヒのアッカンベーの意味。)
<第3の主人公 長門有希=製作者説>。
SOS団員のひとり「この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース。それが、わたし。」とつぶやく女子高生く長門有希 が第三の主人公(さらには製作者サイドを表現している)といえるだろう。彼女のおかげでなんど世界は救われたか。ハルヒの機嫌ひとつで危うくなる世界(ストーリーがぶっ飛び過ぎ破綻しそうななるのを裏方でこっそり補正している。)維持できたのは長門のおかげである。キョンも何度か命を救われている。何世代も先のスーパー量子コンピューター並みの仕事人で裏方で人知れずやっているのだ。
だがしかし・・本編「涼宮ハルヒの憂鬱」はもうひとつの可能性世界であるスピンオフアニメ「長門有希ちゃんの消失」の長門ちゃんが作り上げた世界ともいえるのだ。読書好きの眼鏡少女は内気で人とのかかわりが苦手。数Ⅲの難問を暗算で解けるほどの超ハイスペックなのだが、普通の同級生・特に男子と普通にかわす言葉が見当たらないようだ。彼女は文芸部の部長。部員は彼女一人。毎日の放課後、たったひとり部室でもてあます時間と空間の中、彼女が作り上げた妄想が「涼宮ハルヒの憂鬱」といえるかもしれない。SF定番ネタのタイムループの仕掛けや別の可能性世界パラレルワールド。周到に用意された伏線と、のちにそうだったか!と思わせる伏線回収の見事さ。視聴者を惑わす実験的演出。長門こそ中ニ病を超肥大化させた「涼宮ハルヒの憂鬱」の製作者といえないだろうか・・。(読書好き少女も「ハルヒ」にハマるというわけさ。)
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思春期は自分の存在と自分を取り巻く世界の折り合いつけるのが難しい年代ともいわれています。「中二病」とはウキペディアによれば「中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング」とあります。子供から大人になる過程での、悩み多き世代というべきでしょうか・・。(当塾に中二病をこじらせてる塾生は・・思いつかないなぁ。ああそういえば・・10年ぐらい前かな?高三生男子(受験生です!)で、今度「ラピュタ」がテレビ放送があるので、授業を振り替えさせてください!と言ってきたのを思い出した(笑)・・レンタルでいつでも見ればいいやん?というと、いやテレビじゃないとダメなんです!!という。その時はよくわからなったがテレビ放映を視聴者同士で共有しあえるパソコン掲示板(いまならSNS)で生中継したかったのだろう・・。(振替を了承する代わり、宿題2倍だしました。)でも彼はそんなに中二病な感じじゃなかったけどな・・。(そんな素振り見せないようにしてたのかな?)しかしこんなことを真顔で真っ正直に言ってくるということは塾長の吾輩が十分に中二病的要素をもっていると感じてのことなのだろうか・・・。
涼宮ハルヒは中二病でツンデレこじらせ女子。一方、相手方のキョンは、パッとしない陰キャラで草食系のお兄ちゃんキャラの男子。この組み合わせパターンはのちのティーンズ世代ラブコメアニメの要素(現代若者の心情を映した)の先駆けともいえるでしょう。(「化物語シリーズ」「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」「トラ・ドラ」「青春ブタ野郎シリーズ」など) 思春期・青春ラブコメをただのアニメと侮るなかれ。複雑に絡み合う人間関係(恋愛・友情・部活)に揺れ動く心の機微を見事に描いているものが多く十二分に作品としても大人の鑑賞にも耐えうるものだと吾輩は考えます。
『涼宮ハルヒの憂鬱』(すずみやハルヒのゆううつ)をはじめとしたライトノベルシリーズ。作者は谷川流、イラストはいとうのいぢ。角川スニーカー文庫(角川書店)より2003年6月から刊行されている。2019年1月からは角川文庫からも刊行されている。涼宮ハルヒの憂鬱』(すずみやハルヒのゆううつ、京都アニメーション制作。日本では、2006年4月から7月にかけて独立UHF局を中心とした11の放送局の深夜枠で全14話が放送された。
2007年7月7日に第2期の制作が発表され(その後「新アニメーション」との発表に変更)、2009年4月から10月にかけて新作14話を加えた全28話が放送[1]された。2010年2月6日に続編となる劇場版『涼宮ハルヒの消失』が公開された。(ウキペディアより抜粋引用)
「ハルヒ」のインパクトは日本の狭い深夜の陰キャラ・オタクの部屋から全世界に拡散していった。「ハルヒ」に夢中になった人々は少数派であるが熱狂的支持し(ネットスラングweeb (日本のアニメ好き)生み出した。この余韻は今も続いているようだ。動画のコメント読むと世界には「ハルヒ」に救われた人も大勢いるようだ。中二病は世界共通なのか?
1期エンディングテーマ「ハレ晴れユカイダンスは世界中で踊られていますね。SNS動画でいろんな国々のハレ晴れダンスを観ることができます。フィリピンでは受刑者が体操として見事に踊っています。これらを観るとこれこそ世界平和!ハルヒは世界の平和に貢献しています。
よくよく見れば、歌いながら顔の表情も変えながら踊っている。ポップな振り付けが歌詞と見事に連動しています。手話を全身でやってるような・・。吾輩も動画見ながらやってみましたが、とてもついていけない。息が上がります。(はぁ・・ブログでは何でも書けちゃうもんですね?!ほかの人には口が先手も言えない禁則事項です!)。