竜岩寺/勢揃坂

〇竜岩寺 渋谷区神宮前2-3-8
 古碧山龍巌寺と号します。熊野神社の別当浄性院が神仏分離令により廃寺となったことから大師堂が移され、御府内八十八ヶ所霊場9番となっています。
 境内にあった笠松「円座の松」は、江戸名所図会に描かれ、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に描かれています。
 また、龍岩寺の門前の坂は「勢揃坂」といいます。

(札所碑)
「御府内第九番御札所 弘法大師霊場 古碧山龍巖禪寺」

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「御府内八十八ケ所道しるべ 第九番浄性院」

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「江戸名所図会 竜岩寺 庭中」
 「笠松」とあります。

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「絵本江戸土産 青山竜岩寺庭中」(広重)
 挿絵には「この寺の庭中 林泉のさま右の仙寿院に劣らず 一株の松 円蓋をなす 因て笠松となづく」とあります。

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「絵本江戸土産 青山竜岩寺庭中」(二代広重)
 挿絵には「青山竜岩寺庭中 最風色よし 別て一樹の松ありて彼浪花屋の庭前にも勝る 案内を乞ふて一見なすべし」とあります。こちらには、初代広重が描いていなかった富士山も描かれています。

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「富嶽三十六景 青山圓座松」 (葛飾北斎)
 竜岩寺の松が描かれています。

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「江戸切絵図」

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○神宮前公園 渋谷区神宮前2-2-30
 葛飾北斎「富嶽三十六景 青山圓座松」は、現在の神宮前公園からの光景と思われます。

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〇勢揃坂 渋谷区神宮前2-2-30
 龍岩寺の門前の坂は「勢揃坂」といい、源義家がここで軍勢を揃えて出陣したといわれ、この名が残されいます。

(説明板)
「勢揃坂(せいぞろいざか) 神宮前二丁目2番
 ここのゆるい勾配の坂を勢揃坂といい、渋谷区内に残っている古道のひとつです。
 後三年の役?永保三年(一〇八三)に八幡太郎義家が奥州征伐にむかうとき、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残されております。
 このとき従軍した武士のなかに、桓武平氏良文の嫡流にあたる秩父十郎武綱(渋谷氏等の祖)が参陣して、手柄をたてたという伝説があります。
 真偽についてはもちろんわかりませんが、区内に伝わる源氏に関する伝説のひとつとして注目されます。
  渋谷区教育委員会」

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表参道まちかど庭園/富嶽三十六景/原宿橋

〇表参道まちかど庭園 渋谷区神宮前4-25

 表参道に「参表道まちかど庭園」があり、説明板「参表道まちかど庭園」が設置されています。また、参道橋親柱が残されています。

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(説明板)
「道路のみどり 表参道まちかど庭園
 今、渋谷川は遊歩道の下となり、参道橋の石碑だけが当時の面影を残しています。
 この川は、明治時代中期まで「富嶽三十六景」にも描かれたほど、水車を使った精米業が盛んに行われていました。
 時代の先端をいく表参道の町並みとは対照的に、古き時代を思わせる原宿が、ここにあると感じるのではないでしょうか。
 「道路のみどりを大切に」 穏田の水車(葛飾北斎画)
 東京都第二建設事務所 TEL3774-8713補修課 管理番号1997-3413-0003」

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「富嶽三十六景 隠田の水車」(葛飾北斎 国立国会図書館蔵)
 葛飾北斎が描いた水車は、鶴田橋(神宮前六丁目〜五丁目)の南にあった鶴田氏が経営する水車でした。
 水車と富士が描かれています。水車は骨組みが細かく描かれています。人物は、洗い物をする女たち、米を水車小屋に運ぶ男たちが見えます。現在の原宿とは思えないのどかな光景です。

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 亀を散歩する子どもは水浴びをさせようとしています。
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「絵本江戸土産 青山隠田」(二代広重)
 水車小屋と水車も描かれています。挿絵には「青山穏田 此四辺半農半商うち交りたる地にて最昿やかなり 春の野かげに出たらんには忽地気鬱を散ずべし」とあります。

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<参道橋親柱>
 表参道まちかど庭園に参道橋親柱があります。

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〇原宿橋 渋谷区神宮前3-28・3-29〜神宮前2-18

 神宮前3丁目28と神宮前3丁目29の両側に原宿橋親柱があります。
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 「原宿橋」「昭和九年五月竣功」
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 渋谷川は暗渠化され「旧渋谷川遊歩道」として整備され、原宿橋以南がキャットストリートと呼ばれれています。

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広尾水車跡

〇広尾水車跡 渋谷区広尾5-23

 渋谷川にかかる山下橋(かつて水車橋)脇に、かつて玉川家の水車がありました。この水車は「広尾水車」または「玉川水車」と呼ばれ、江戸名所図会に「広尾水車」と描かれ、葛飾北斎の富嶽三十六景に描かれた「穏田の水車」とともに、江戸の有名な水車となりました。玉川家は玉川上水を開発し、この地に屋敷を与えられました。八代将軍吉宗が広尾に鷹狩りの際立寄って休息したといわれています。
 臨川四季の森に説明板「広尾水車跡」が設置されています。

<臨川四季の森>

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(説明板)
「広尾水車跡 広尾五丁目23番
 この区立臨川四季の森公園のあるところは、渋谷川から引き入れた水力で水車が回っていたところです。
 この水車は、「広尾の水車」と呼ばれ、江戸時代中期頃にかけられたもので、区内に数多くあった水車のなかで最も古く、規模の大きいものでした。
 その主な用途は、麦や米を搗くことに用いられていました。
 ここは、将軍徳川吉宗が広尾原(現・都立広尾病院跡付近)での鷹狩りの途次に立ち寄って、休息したことから有名になりました。
 水車は、安藤広重の『江戸名所図会』にも描かれるなど、当時は名所として位置付けられていたことがわかります。その絵には、渋谷川が堰き止められ勢いよく水車を回した水が、再び渋谷川へ落とされている様子が描かれています。
 水車は、電化の波に押され、効率性や維持の面から次第に衰退しはじめ、大正初期には廃止となりました。
  渋谷区教育委員会」

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「江戸名所図会 広尾水車」
 水車橋と水車が描かれています。

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「狂歌江都名所図会 一本松 水車」(広重)
 水車橋と水車が「江戸名所図会」に描かれています。

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〇山下橋 渋谷区広尾5丁目〜渋谷区恵比寿2丁目

 現在の渋谷川に架かる山下橋です。

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 渋谷川上流です。右側が水車のあった臨川四季の森です。
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 渋谷川下流
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麻布氷川神社

○麻布氷川神社 港区元麻布1-4-23 HP

 天慶5(942)年、源経基が平将門の乱平定のため東征したおり、麻布一本松の地に創建されたと伝えられます。他方で、文明年間(15世紀後半)に太田道灌が勧請したという説もあります。
 2,000坪以上の社有地を有していましたが、創建地が増上寺隠居地となり、万治2(1659)年に当地へ遷座しました。江戸時代には、『望海毎談』によると江戸七氷川に数えられました。

「江戸切絵図」
 「氷川明神」「徳乗寺」(別当)とあります。北へ進むと「一本松サカ」があります。一本松は麻布氷川神社のご神木であったといわれています。一本松坂の左手に「増上寺隠居」とあります。桂昌院と五代将軍綱吉は増上寺隠居所を度々訪問し、その時には麻布氷川神社を参拝しています。

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「江戸名所図会 七仏薬師 氷川明神」
 手前の坂は「薬園坂」(幕府の薬草栽培所「御薬園」に由来、貞享元(1684)年に小石川に移転)で、坂下に「七佛薬師」(廃寺)、坂上に「氷川明神」が描かれています。

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「大日本名将鑑 六孫王経基」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 当社は、清和源氏の祖である源経基の勧請、創祀によります。

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「氷川神社」(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖 東京市公園課)
 戦前の社殿が写っています。

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<社号標>
 社号標は、尾張徳川家第19代徳川義親書、昭和4(1929)年の建立です。

 「郷社 氷川神社」
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 「侯爵徳川義親謹書
  昭和四年七月 奉建造 麻布区本村町会」
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<毘沙門天>
 港区七福神の内、毘沙門天をになっています。

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<玉垣>
 たった一人の氏子により奉納された玉垣です。玉垣の上に石燈籠が置かれています。

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<石鳥居>
 昭和10(1935)年に建立の石鳥居です。以前の鳥居には「几号水準点」が刻印されていたようです。

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<手水舎>
 手水鉢は茶色に染まっており、井戸水は鉄分を含んでいることがうかがえます。

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<高尾稲荷>
 仙台藩下屋敷の邸内社だった高尾大明神を祀る高尾稲荷です。廃藩後に麻布竹谷町にて祀られ、昭和初期に麻布氷川神社境内に移されたといいます。應恭稲荷も併せて祀られています。

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 江戸切絵図の「松平陸奥守」下屋敷内に「イナリ」と記されています。

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<宮神輿庫>
 戦火を免れた神輿庫です。 大きな宮神輿を牛二頭に引かせて巡行させたそうですが、昭和15年を最後に巡行されていません。令和3(2021)年1月に宮神輿の修復が完了、令和4(2022)8月15日に前準備として関係者のみで宮出し・宮入りが行われました。

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<神楽殿>
 昭和初期建造で、戦火を免れた神楽殿です。

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<境内>
 クスノキがご神木で、戦災イチョウがあります。

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<狛犬>
 イチョウの根元に狛犬が置かれています。

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<狛犬>
 尻尾が立っている狛犬です。文化元(1804)年銘の台座らしきものも置かれています。

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<庚申塔>
 上半分が失われている庚申塔です。

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<拝殿/本殿>
 拝殿はコンクリート造で昭和23(1948)年の再建、本殿は木造です。

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<社務所>

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麻布一本松

○麻布一本松 港区元麻布1-2-2

<一本松坂> 港区元麻布1-3〜2-11

(標柱)
「一本松坂 港区
 いっぽんまつざか 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が坂の南部にあるための名である。」

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<一本松>
 古来から植えつがれている一本松です。

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 標柱「一本松」
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 土台銘石「世話人 若者 安政2(1855)年」
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「御神燈」
 文化4(1807)年銘の御神籠です。
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 寛文6(1666)年銘の墓石です。
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「一本松の由来」碑
 昭和38(1963)年2月、一本松西町町会による建立です。

(碑文)
「一本松の由来
 江戸砂子によれば天慶二年西紀九三九年ごろ六孫源経基平将門を征伐しての皈途此所に來り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りささぐ翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松と云い又一本松とも云う
 注 古樹は明治九辰年焼失に付き植継
   昭和二十年四月又焼失に付き植継」
(※平将門を討ったのは源経基ではなく平貞盛・藤原秀郷です。明治九辰年は、明和九辰年のようです。)

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「江戸名所図会 麻布一本松」
 一本松のたもとに茶屋、茶屋の左手に「長伝寺」が描かれています。
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 茶屋には「ふじ岡」の看板が掲げられています。
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「絵本江戸土産 麻布一本松」(広重)
 挿絵には「麻布雑式のうち通り一本松町の道の傍に在り 経基王武蔵守たりしとき此の地を遊歴し給ひて此の松に衣冠をかけ給ふといふ」とあります。

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「狂歌江都名所図会 一本松 水車」(広重)
 右上に「一本松」が描かれています。

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「江戸の華名勝會 あ 三番組 麻布一本松 六孫王経基」(元治元(1864)年 三代豊国、葛飾為斉 都立図書館蔵)
 「一本松は一名冠りの松といふは経基公夏装束をかけ給ひてしばし暑をしのぎたまふ依て冠りの松の意あり此所の姥粟めしを柏の葉にのせて六孫王に奉る故に矢盛在粟飯沢といふ」とあります。松の枝に装束がかけられています。

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 右上タイトル下の挿絵には「蒲焼」とあり、狐鰻の宣伝でしょうか。
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