回答受付終了まであと7日

添付の図1でAを人間のAさん、Bを人間のBさん、Cを人間全体として考えると、理解できるのですが、図2でAを人間のAさん、Bを人間のBさん、としたときに、 Cを何と考えれば図1とは異なるケースとして理解できるでしょうか?

画像
補足

図1ではAとBが個々の人間であるときは論理和を構成できるのでCがあり得るけれども、図2ではAとBが個々の人間だったら論理積を構成できないのでCはあり得ないが、近似のものとしてAさんとBさんの間にできた子供たちの集合、という説明でよいでしょうか?

哲学、倫理12閲覧

回答(4件)

AとBを個々の人間と定義した場合、論理積は存在しません。 論理積 A ∩ B = C は通常、 「AとBが定義済みである」という前提のもとに、Cを導出します。 しかしこの順序は、Cの定義性をA・Bの定義に従属させてしまう。 なので、一旦 C= A ∩ B として考える必要がある。 論理積では、A及びBの一致点がCとなるので、 例えば、Cを身体機能としての同一性でも構わないし、 性格上の同一性や、共通の価値観としてもOKだし、子供でもOK。 つまりCを何とするか?を先に決めてしまう。 そうすると結果としてA及びBも再定義化される。 よってCを定義する事で有効化する。 例えばCを子供とした場合、ABの定義はその子供を有する親として、再定義出来る。 でもABは個の人間だけど、親としての条件が加わる。

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

図1ではA,Bは集合Cの要素ですが、図2ではA,Bが集合になっています 従って、図1と図2とではA,Bの意味合いが全く異なってしまいます ゴッドロープ・フレーゲは、自然数のような数学的概念を集合を用いて定義しましたが、個人のような具体的対象は同様の定義が成立しません 仮にA集合をAさん個人を表す属性の集合と定義したとしても、すべての属性を個々の独立した要素に還元することは困難です また、要素を可算な属性に限定した場合であっても、その集合がAさん個人を表現しているとは言えなくなります

AとBが個人で被っている部分がCであれば、CはAとBの親の遺伝子とかになりそうですね。母は同じだが父が違うとか。