『頭の良い人』って『正直であること』が必要条件だと思いませんか? 分かりにくい表現かもしれませんが、アナロジーとして──「頭の良さ」と「正直さ」は正の相関関係にあるのではないか、と私は考えています。 ここでいう『頭の良い人』とは、単に「東大教授」や「予備校のランキング上位者」といった肩書きのことではありません。私自身の人生経験において、深いコミュニケーションをとった相手の中に「頭の良い人」と呼べる方が2人います。 (1人目)地方国立医に再受験合格した学生。医学書は原書(英語)しか使わず、真実しか言えない人でした。 (2人目)関東の某国立大助教授から地方国立医に“教授昇進”という名目で左遷された教授。やはり真実しか言えない人でした。 逆に、米国のノーベル賞学者に師事した日本の教授は、間違いを誤魔化すタイプで「頭が悪い」と感じました。私の叔父も教授でしたが、英語力は高かったものの、ScientistではなくTeacherに過ぎず、やはり誤魔化す人(ウソつき)でした。 この経験から「本当に頭の良い人は正直者が多い」と私は感じています。 皆さんはどう思われますか? エッセイ風でも結構ですので、ご回答いただけると嬉しいです。

補足

「頭の良い人」という私の表現が抽象的すぎで良くなかったように思います。(1)の方は批判精神が徹底的に身についており己への批判精神もしっかりしていて絶対にtrueはtrueでありfalseはfalseと扱う希に見る科学者です。 (2)の先生(科学者)は”左遷”されたのは真実を述べるから。(これ以上は政治問題になるので書いてはいけないから書けません) この2人は社会的には受け入れられない。正直だからです。そして無条件に整合性を守り真実を明らかにする。私はこの2人には「こんな頭の良い人間が存在するんだ」と背筋が寒くなりました。 アインシュタインもニュートン力学に特定の条件下で偽となると、そこには批判精神の徹底(→正直)があります。故に、科学における天才と正直の関係に相関を感じたので、己への批判精神に従って質問したのです。

哲学、倫理 | 一般教養727閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

2人が共感しています

ベストアンサー

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

『頭が良い人』という言葉は、極めて特別な響きを持つのだと実感しています。 誰しも「運動オンチだな」「歌が下手だな」と言われれば、「そうなんですよね」と受け入れることはできます。けれども「頭が悪いな」と言われて、「私は頭が悪いんですよね」と受け入れられる人はいません。 それは人間の尊厳の根幹に関わるからです。だからこそ、誰もが自分の尊厳を守るために『頭が良い人』の定義を独自に持ち、運動や歌といった他のことなら譲れても、「頭の良さ」だけは絶対に譲れないのだと実感しています。 つまり、人は皆(端的に言えば自分に都合よく)『頭が良い人』を定義しており、その定義が完全に一致する他者は存在しません。尊厳に関わることだからこそ、定義を譲ることもできない。私は「人それぞれで必ず意見が分かれること」を、つい問いかけてしまったのだと思います。

その他の回答(21件)

同じことを言ってる人がいました https://youtu.be/6KBRsgLRdYQ?t=1901 ただ、この話は議論のレイヤーが違います ここで言う「頭がいい人」というのは「頭がよくて、かつ周りにも頭がいいと思われる人」です こういう人は真実を言うだけで人がついてくるので嘘をつく必要がないんです だから頭がよくて正直だと思われるんです "本当に頭がいい人"は「頭がいい、かつ周りには頭がよくないと思われる人」でしょう 「バカと天才は紙一重」という言葉があるように、天才は真実を言っても理解されません だから(頭がいいと思われるためには)嘘をつかなければならないんです 厳密な専門用語(真実)ではなく噛み砕いた平易な言葉(嘘)でないと理解してもらえません あるいは「頭がよくて正直な人」も嘘をついているかもしれません 実際にはもっと頭がよくて、噛み砕いた"嘘"に私達が気付かないだけということもありえます この場合だと正直でないほうが頭がいいですよね 嘘をつくとなぜ嘘をついたのかの理由が要ります その理由が理解できるなら信用になりますが、理解できなければただの「嘘つき」と同じです 嘘をついた理由がわからないのか、あるいはそもそもの考え方が理解できないのか、周りからは区別できません でもたいていの場合理由まで考えようとしないのでどの程度頭がいいのかを知る前に「嘘つき」と感じて思考を止めてしまいます だから「頭がいい人」と「嘘つき」に二分してしまい、あたかも「頭がいい人は正直者で嘘つきは頭が悪い」というように感じてしまうのでしょう

画像

『頭が良い人』という言葉は、極めて特別な響きを持つのだと実感しています。 誰しも「運動オンチだな」「歌が下手だな」と言われれば、「そうなんですよね」と受け入れることはできます。けれども「頭が悪いな」と言われて、「私は頭が悪いんですよね」と受け入れられる人はいません。 それは人間の尊厳の根幹に関わるからです。だからこそ、誰もが自分の尊厳を守るために『頭が良い人』の定義を独自に持ち、運動や歌といった他のことなら譲れても、「頭の良さ」だけは絶対に譲れないのだと実感しています。 つまり、人は皆(端的に言えば自分に都合よく)『頭が良い人』を定義しており、その定義が完全に一致する他者は存在しません。尊厳に関わることだからこそ、定義を譲ることもできない。私は「人それぞれで必ず意見が分かれること」を、つい問いかけてしまったのだと思います。

私は、色んな人に出会って、それなりに深く関わった結果、1つの、ある真理にたどり着きました! 質問者さんの言ってることも含む話になりますが、つまり、理系の人間は「正直であること」が必要条件であり、その上で知的活動が行われないと、その人の業績は評価されない傾向にあるなと・・・ 実験においても、正確さが求められるし、他の人が行っても再現できなければならない、ということは、ホントのことや現実に向き合って、ウソや思い込みを排除して、自然の摂理みたいなことに到達して、他の人も再現できないことには、仕事も評価されない・・・ みたいなとこあり、正直であることが必要条件でしょう。 しかし、文系は、なんか考え方から違うんですよね。 要は、独自の考えを提唱して、それを他者に信じ込ませるようなデータを捏造もできるし(そもそも、根拠となるデータがアンケート方式だったりもして、いくらでもサクラを仕込ませられる。誘導もできる。※理系でも、データがアンケート方式となる物もあり、そういう文系要素が混じった論文は私は、眉唾ものも、混じってるな・・という目で判断してます)、捏造だと分からないように精巧に操作してしまって、それらしい結論に結びつけて読者を信じ込ませたら勝ちみたいな。 論理で人を信仰に導くことで、業績になる・・ なんというか、『再現しなくて良い』というか、アンケートとか、歴史とか、そもそも再現できないようなものを扱っているため、正直であることよりも『まことしやかに持論を展開できる』ことが、業績になってしまう。 むしろ『ホントだと、信じ込ませるような力』で、詐欺師みたいな能力で、あたかもそれがホントであるかのように論理展開できる人が、頭が良いことになるなと・・・ 政治家とかもそう、あとは経済学者も、歴史研究家も、心理学系も、弁護士なども、根拠をたどっていくと、再現できないような要素がアレコレと混じっていて、いくらでも恣意的に変えられるじゃん!と分かってきます。 つまり、言い方は良くないですが、人を騙せる能力がないと、業績は上がらないってことです。 そして、私が思うに、質問者さんは「理系人間=頭が良い」という考え方なのではないかな?と。 私は、理系人間の生き方の方が好きですが、世の中には文系人間としての生き方で業績を上げている人もたくさんいて、政治家も、文系学者も、弁護士も、営業マンなどは、正直だと業績は上がらないし、「バカ正直」というレッテル・・つまり、「頭が良くない」という評価に、なりがちです。 というわけで、こういうことが言えるかと思います。 「正直者なら理系にいった方がいいよ」と。 文系に正直者がいっても、頭悪いナ(¯―¯٥)みたいな感じになるでしょうから。 あと、世の中の、社会構造などは文系的な立場の人が決めるから(政治家が国の中枢を決めるからだね。)、左遷とかも、文系的な立場の人が決めることになり、理系の中ではトップに上り詰めても、最後の評価で文系的な人も巻き込まないと(=上手く迎合するとか、逆に騙すくらいの能力がないと)、飛ばされるでしょう!!! まあ、何を見たかは私も言えないし、ただ、私が知る限り、決して正直であることが、「=頭が良い」、ということにはならないとだけ言っておくね! それは、理系の評価であり、理系こそがこの世を解明しようとしていて、正しい学問のあり方ではないか?と私は、思う方なのだけれども・・・ 「世の中は文系が動かしている」 (⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)ミフ!ミフ!

ほとんどが同意することばかりなんですけども、私は理系と文系という分類をしてないんですよ。分類してるのは、ほぼ日本と韓国だけだし、米国の高校では生徒が個別に科目を選ぶ選択方式であって理系クラス、文系クラスは存在しませんが、私の考え方はそれに近いかもしれません。便宜上、理系、文系との言葉は使用しますけれども。 あと、補足をしっかり読めば、全体の文脈から解る事ですが、私の質問は補足によって”『科学における天才』って『正直であること』が必要条件だと思いませんか?”に変更されているのですが、私の想定外に変更されてる事に気がつき難いようで、これは私が想定を誤ったのだから私が悪いわけで、補足を編集して変更後の質問を直接に記述しようとしたら、編集不可能でどうしようもない状態でお手上げになってまして、申し訳ありません。 (字数制限により、続きがあります)

質問者様の抱いておられる『頭の良い人』のイメージは、実は『賢い人』ということなのかもしれません。そういうことであれば、毒杯をあおって死んだソクラテス、十字架にかけられたイエス・キリスト、王子の立場を捨てて乞食坊主となった釈迦などが、地球人類で一番賢い人でしょう。彼らこそ正直も正直、一番馬鹿正直な生き方をした人々ですが、この世界の成り立ちを悟っていて、それを人類に知らしめようとした真実の人であり、賢い人です。

ゴーダマシッタールタ。 己れに正直者にも程があると私は思いました。