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回答(3件)
主体が(成立し)ない、主体でない人物形象を内包する作品があります。 いしいしんじ「窓」。高校教科書に掲載されています。私=語り手=視点人物と、「短編小説」の二人が登場します。「短編小説」は、実存主義的主体ではありません。しかし、二人の間には会話が交わされ、私の体験が語られています。 「実存主義的主体の体験を描く物語」という枠組(構造)では、「窓」は説明・理解できません。
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ご回答ありがとうございます。 なるほど。 人物ばかり注目してしまい、その視点を見落としていました。 物語でありながらも、人物ではない物体に対してスポットライトが当たっているのは非常に興味深いです。 今度本屋で見かけたら買ってみようと思います。
「人間失格」はそのような側面があったのですね。個人的に意外でした。 少し前に購入したのは良いものの、本棚に眠らせたままでしたので、これを機に読んでみようと思いました。
日本では、その傾向は戦後の一時期だけあって、数年て弱まりました。もともと深刻な主体性を作りませんから。欧米のキリスト教、とくにカトリック、さらにプロテスタント系統から生まれたものだと思います。 もちろん良し悪しではなく。