2025-09-27

アラフォー独身男で人付き合い苦手だけど今のところ幸せに生きてる

まず前提として結婚子育て本能として幸福を感じるようにできてるからやり得である友達作りなんかもそうだろう。


で、自分の話。

自分現在40代だが結婚どころか彼女いたこともないし友達もいない。学生時代の友人とは社会人になってから疎遠になり全ての関係自然消滅した。典型的コミュニケーションが苦手な人間である


人と何を話せばいいのか分からない。5分以上の雑談が続かないのだ。

もちろん努力して話題を仕込むことはできるだろう。でもその努力がひどく億劫に感じてしまう。端的に言って他人にあまり興味がなく非常に怠惰なのだ


ただ2〜3分の当たり障りのない会話はできるので会社特に困ってはいない。

しろ話すこと自体は好きかもしれない。明確な話題さえあればいくらでも喋れる。


その話題というのが自分にとっては仕事だ。

仕事の話なら無限にできる。仕事というもの解決すべき課題の宝庫で、それについて話しているだけで時間が過ぎる。今抱えているタスクだけでもチケットになっているものが直近のリリースだけで10個以上、期限未定や解決方法不明ものまで含めればおそらく100個は超える。これらについて議論するだけで数百時間は余裕で潰せるだろう。こういう話をするのは正直かなり好きだ。

まり自分仕事が好きなんだと思う。


趣味もある。ゲームアニメ漫画が好きだ。

でもこれらについて誰かと話したいとは全く思わない。恥ずかしいとかではなく単純に語りたいことが何もないのだ。感想を誰かに伝えたいとかSNSに書きたいという欲求もない。

これは多分仕事ほど趣味真剣に取り組んでいないからだろう。自分ごととして解決すべき課題ではないからかもしれない。


さてこんな自分幸せかどうか。

将来のことは分からないが少なくとも今は幸せだと言える。


人には得手不得手がある。多くの人が当たり前に手に入れられるもの自分は手にすることができない。それはもう仕方がないことなのだと納得できるようになった。聞こえはいいが要するに諦めたのだ。

例えば自分にとって結婚恋人作りは途方もない努力必要とする。でも友達作りなんてその気になれば1日もかからずできるだろう。それすらやらないのだから自分はもうそういう特性なのだと受け入れるしかない。


ただ、大きな幸せは手に入らなくても日常の小さな幸せは感じられている。

天気のいい昼下がりに仕事を抜け出して(フルリモートから可能なのだ)、ランチピークが過ぎたフードコート散歩がてら向かうとき

土砂降りの雨音をBGMに部屋で没入感の高い新作RPGプレイしているとき

こういう瞬間に幸せだなあと思う。


もう働かなくてもいいだけの資産があるというのも精神的な余裕に繋がっているのかもしれない。全くお金を使わないので貯まる一方だ。仕事は好きだから辞める気はないけれど。


趣味に飽きたらどうするんだという問題もあまり心配していない。

これまで飽きては戻るというのを5、6回は繰り返してきたからだ。ゲームに飽きたらアニメ漫画へ、それに飽きたらまたゲームへというサイクルが多い。だから特定の数年間流行ったアニメを全く知らないなんてこともある。少し前は全部に飽きてひたすらVtuberを観ていた時期もあった。


自分の好きな言葉幸せはどこにあるのか?という問いへの「幸せは頭の中にしか存在しない」という答えがある。

どういう文脈言葉だったかは忘れてしまったが幸せとは他人との比較ではなく自分自身の感じ方次第なのだ解釈している。

から自分は今のところ幸せだと言える。


もちろん将来は分からない。でもそれは誰だって同じだろう。不安のない人間なんていない。自分不安を減らすために「将来のためにやりたくないことも頑張って努力する」ということが絶対にできない人間なのでこれはある程度受け入れるしかない。


ただ「他人比較しない」というのは言うは易く行うは非常に難しい。

自分がそれを辛うじて実践できているのは単純に比較対象となる他者との接点が極端に少ないからだ。


先日どうしても断れない飲み会に7、8年ぶりに出席した。当然のように参加者は全員結婚しているか恋人がいた。話題の大半はパートナーとどう過ごしているかという話で正直かなり厳しい時間を過ごした。

参加者たちは皆いい人たちで会自体有意義だった。しかし同時に「他人比較しない」という信条いかに脆いものかを痛感する機会にもなった。


今回これを書いたのは自分の感じているこの幸せが実はとても脆弱ものだということを改めて肝に銘じておきたかたからだ。気を抜けばこの心の平穏簡単に瓦解してしまうだろう。

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