火山活動史
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火山活動史
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活動開始時期は約9000年前とされ、これまでの活動は約1000年以上の休止期を挟んで3つの活動期に区分される。 第1期:約9000年前に始まり、2回のプリニー式噴火により大量の火砕物噴出と小規模な火砕流。 第2期:約6500年の休止期の後、約2500年前から3回のプリニー式噴火が短い休止間隔で発生し、火山砕屑物や火砕流、火砕サージを噴出。 第3期:江戸時代から現在までの有史時代の活動である。
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火山活動史
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約200万年前から活動を開始した火山で、安山岩質の溶岩流や溶岩ドームを形成する活動を主とし、火砕流や岩屑なだれ堆積物なども認められる。概ね古い火山ほど西に、新しい火山ほど東に分布している。完新世に活動が確認されている火山はイワオヌプリのみで、江戸時代後半や20世紀初頭には山頂部で噴気活動があったことが記録されている。最新のイベントは約7,000年前に発生した水蒸気噴火とマグマ噴火。ニトヌプリとチセヌプリにも新鮮な火山地形が見られるが、年代測定が行われていない。 古期火山群雷電山 (1.6-1.0 Ma)、ワイスホルン (1.5-1.0 Ma)、目国内岳 (1.1-0.65 Ma)、岩内岳 (0.73-0.5 Ma) 中期火山群シャクナゲ岳 (0.8-0.3 Ma)、白樺山 (0.7-0.3 Ma)、ニセコアンヌプリ(0.7-0.25 Ma) 新期火山群チセヌプリ (300-20 ka)、ニトヌプリ (25 ka)、イワオヌプリ (30-7 ka) 太字は活火山、斜字は新鮮な火山地形を保っている火山
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火山活動史
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那須火山群は約60万年前から活動が始まり、まず始めに北側にある甲子旭岳が60万年前から噴火した。次はそのやや南側にある三本槍岳が40万年から25万年前に噴火し、20万年前から5万年前までさらに南側の朝日岳と南月山が活動した。これらの火山は流動性の少ない安山岩質溶岩以外に、流動性の良い玄武岩質溶岩も噴出し、現在見られる広大な裾野を形成した。現在噴気活動をしている茶臼山は3万年前から活動しているが、この山は流動性の少ない安山岩のみを噴出しているため、こんもりと盛り上がった溶岩ドームになった。有史後の噴火は爆発型で泥流を生じやすく、1408年から1410年の活動では茶臼岳溶岩ドームが形成されると共に、噴出し降下した溶岩による火砕流が発生し、犠牲者180余名を出したとの記録が残る。以降は小規模な水蒸気噴火や地震群発を繰り返している。 現在、那須岳の活発な火山活動は、周辺にたくさんの温泉を噴出させている。有毒な火山ガスを出して近づく生き物を死に至らしめる場所もあり、とくに殺生石は有名で、周辺は公園化しており、駐車場も整備されている。ただし、殺生石の周りは危険につき立ち入り禁止である。 「殺生石」も参照 なお本火山は火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている。
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火山活動史
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アレナル火山は、コスタリカで最も若く、最も活動的な火山である。火山学者は噴火活動の開始を7千年前と推測するが、欧米人がこの付近に到達するまでに活動を一旦休止し、長らく人々の記憶からは忘れ去られていた。この付近に遠征隊が入り、山の初登頂が行われたのは1937年である。ところが、1968年に突如として噴火活動を再開した。 1968年7月29日、午前7時30分、西側の斜面から大噴火し、3つの火口を形成した。山麓のタバコンの街が火砕流で埋没し、78人が死亡した。 1975年6月、6月17日から21日にかけて火口の一つから断続的に噴火し、泥流でタバコン川流域の植生が破壊された。火山灰が空高く吹き上げられ、26kmの距離に渡って降り積もった。 1984年6月、断続的な熔岩流出の期間を経て、一日に2回から30回もの頻度で中規模の噴火を繰り返した。蒸気、火山ガス、火山灰 などを含んだ爆風がアレナル湖を越え、タバコンの街にも到達した。 1993年8月、火口の北側が崩れ落ち、火砕流が発生した。崩壊した火口は深さ60から100mのV字型で、この崩壊火口を伝って再び熔岩が流れ出した。 1994年4月、噴火活動で、V字型に崩れた火口が再び埋まり始めた。 1996年3月、爆発的な噴火と共に、火山ガスと熔岩の流出を始める。1998年5月までこの状態が続いた。 1998年5月5日、5月5日、火曜日。午後より大規模な噴火活動を始める。午後1時5分の大噴火で火口の北西部分を崩壊させると共に、膨大な熔岩と火山灰を噴出した。さらに午後2時20分にも同地点より噴火した。火口内には多量の熔岩が蓄積され、流出量も多かったことから、コスタリカ火山地震観測所の研究者はこれを異常事態と認識。溶岩流のみならず火口壁の崩壊によって、地すべりも発生した。 この事態を受けた当局は警告を発し、山の北側にいた450人(主に観光客)を退避させるとともに、付近の道路、ホテル、観光会社を閉鎖した。それでも噴火活動で数名が負傷した。火曜日の午後5時20分に至り、活動は幾分かの終息を見た。 1998年5月7日、噴火で2平方キロメートルの地域の森林地帯が破壊された、さらに長さ500m、深さ10mの亀裂によって火口が崩壊し、崩れ落ちた土砂が斜面をすべり落ちた。この日は午後1時分から午後7時までの間に23回もの噴火を繰り返したが、ほどなく終息した。同じ週には当局によって国立公園再開の宣言が出されたが、地元の地震学者の調査のもとで公園レンジャーの活動地域が検討された。
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火山活動史
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本島は成層火山の火山島である。岩石はアルカリ岩系列あるいはアルカリ岩系列とソレアイト系列の中間的な玄武岩から構成される。 まず数十万年前までに海底火山が海面上まで成長した。その後は溶岩流の噴出を主として小さな盾状火山をつくった。その火山は途中小さな休止期をはさんで溶岩流・アグルチネートを噴出しさらに成長した。この盾状火山の噴火中心は現在の山頂火口より少し東にずれた位置にあった。山頂火口の位置から噴火を始め、最初大量のスコリア質ラピリ、火山灰を噴出した。小規模の火砕流も発生した。その後アグルチネートをつくるストロンボリ式噴火を繰り返し、ほぼ現在の高度まで成長した。 しばらくして火山活動の場は北東の福徳岡ノ場へ移動した。火山活動が停止した南硫黄島は波蝕を受け、東半分が欠けた状態で現在に至っている。 現在の陸域部は、これらの火山活動によって形成された溶岩流とアグルチネートがほとんどを占め、強く溶結したアグルチネートによって急斜面が保たれている。
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火山活動史
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擬宝珠山・二俣山・上蒜山・中蒜山・下蒜山の各火山を総称して蒜山火山群と呼ぶ。 蒜山火山群は、約100万年前から約40万年前(更新世のカラブリアン~チバニアン)に噴出したデイサイト~安山岩質の溶岩からなる成層火山群である。噴出した溶岩の岩質や形成時期は、北隣の大山火山の古期のものと類似する。そのため、蒜山火山群は広義の大山火山に含むものとされている。 最初期に形成された火山は下蒜山火山と考えられており、下蒜山登山道8合目付近の溶岩から約91万年前のK-Ar年代が得られている。この年代値は大山火山の最初期のものに相当する。下蒜山火山は犬挟峠西方300mの溶岩から得られた約76万年前のK-Ar年代が最新の年代値であり、他の蒜山火山群の噴出以前に活動を停止したと考えられる。 二俣山火山で約60万年前、中蒜山火山で約51万年前、上蒜山火山で約49万年前のK-Ar年代が得られている。 活動を停止してから長期間経過しているため、火山形成時の地形(火山原面)はほとんど侵食され、多くの開析谷が形成されている。南側の山麓部には、蒜山火山群が侵食される過程で生じた土石流などにより、複数の火山麓扇状地や崖錐が形成されている。
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火山活動史
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伊豆大島では約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計100回前後の大噴火が起きたと考えられている。古くから島民は噴火を御神火、火山を御神火様と呼び敬ってきた。名前の「三原」は、出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や体内を表す「御腹(みはら)」から来ているとされる。古代の火山活動については六国史などに記述があるが、伊豆諸島の中で伊豆大島三原山の噴火と断定できるものはない。 伊豆大島の名が噴火記録に出てくるのは、竺仙録に「海中有一座山、名曰大島、毎年三百六十日、日日火出自燃」とあるのが最初で、1338年ごろの様子を記述したと考えられている。島内の元町地区にある薬師堂の祈祷札には、天文21年9月19日(1552年10月17日)に「御原ヨリ神火出テ同廿七日ノ夜半、江津ニ嶋ヲ焼出」という記録がある。これが噴火場所として「みはら」という名が出てくる最初の記録である。 近世の大噴火としては、1684年(天和4年)から1690年(元禄3年)にかけての噴火と1777年(安永6年)の噴火が挙げられ、いずれも溶岩がカルデラ壁を越えて流出するほどで、御救米が下されたという。多くの記録は「大島焼」や「大嶋焼出」と記述されているが、安永以降の記録には伊豆大島内の噴火場所として「三原山御洞」との記述が増える。
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桜島西部の横山にある城山(横山城跡)は古い時代に形成された台地であり、少なくとも約11万年前には陸地として存在していたと考えられているが、残りの大部分は姶良火砕噴火以後の後カルデラ火山活動によって形成された。 約3万年前、現在の姶良カルデラを形成した大隅降下軽石と入戸火砕流・姶良Tn火山灰の噴出した破局噴火(姶良火砕噴火)によって現在の鹿児島湾の形が出来上がった(右衛星写真の鹿児島湾奥部、桜島より上の部分に相当)。桜島はこのカルデラ噴火の後に火山活動を開始した後カルデラ火山である。約2.6万年前、姶良カルデラの南縁で火山活動が開始し、安山岩やデイサイト質の溶岩を流出しながら成層火山を形成していった。この活動は2千年ほど続いたのち停止した(古期北岳火山)。1万年ほどの休止期間を置いて、約1.3万年前の桜島-薩摩テフラを噴出した噴火を皮切りに新規北岳火山が活動を開始した。以降プリニー式噴火を繰り返し、山体が更に成長していった。約4500年前から噴出源が南岳とその側火山(中岳や昭和火口)に移行し、ブルカノ式噴火による火山砂の堆積、溶岩流の形成の他、間欠的にプリニー式噴火が発生している。
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火山活動史
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約100万年から70万年前には海底火山であったと考えられ、玄武岩質マグマの活動が水中で起こった。その後の30万年間ほどは休止期だった。 約40万年から10万年前には安山岩質の溶岩流を伴う活動に変化し、現在の山容の骨格となる山体の上部を成す熊野岳、刈田岳などを形成した。約7万年前には30億立方キロメートルの大規模な山体崩壊を起こし酢川泥流を生じた。 約3万年前に山頂部に直径2キロメートル程度のカルデラを形成し、同時に爆発的な活動を伴った様式に変わり現在まで続いている。五色岳は約3万年前以降の活動で生じたカルデラの中に生じた後カルデラ火砕丘で、火口湖の御釜は約2000年前から活動を続けている。被害を伴う噴火は御釜の内外で発生し火山泥流を発生することが多い。 約3万年前に始まり現在まで継続する活動期は、約2万年前まで、約8000年から3000年前、約2000年前以降に3分される。約8000年から3000年前には休止期を挟みながら107立方キロメートル程度の噴出量のマグマ噴火が断続した。約2000年前以降の噴火は、規模は106〜107立方キロメートル程度と以前の活動期よりも規模がやや小さいが、頻度は以前より多い。 蔵王の火山活動について、文献に残る最も古い記録は『吾妻鑑』に記されている1230年の噴火である。14世紀から17世紀にかけての記録は無いが、活動が全くなかったとは考えにくいとする研究者もいる。以下に主な活動を示す。 773年(宝亀4年) 噴火 噴火場所は刈田岳? 8 - 13世紀のいずれか 中規模:水蒸気噴火?→マグマ噴火 火砕物降下。噴火場所は五色岳。複数回噴火。 1183年(寿永2年) 噴火 噴火場所は五色岳(御釜)。 1227年(安貞元年) 噴火 火砕物降下。 1230年(寛喜2年) 噴火 火砕物降下。噴石により人畜に被害多数。 1331-1333年(元弘元-元弘3年) 噴煙? 詳細不明。 1350年頃(観応年間) 噴煙? 詳細不明。 1620年(元和6年)、1622年(元和8年)、1623-1624年(元和9年〜寛永元年) 噴火、火砕物降下。鳴動、噴石、降灰。 1630年(寛永7年)、1641年(寛永18年)、1668年(寛文8年)、1669年(寛文9年)、1670年(寛文10年)に噴火。 1694年(元禄7年) 5月29日 中規模:水蒸気噴火?噴火場所は五色岳(御釜)?神社焼失。8月30日地震、河川毒水化、川魚死ぬ。火山泥流。1625-1694年の活動で御釜が形成された。 1794年(寛政6年) 水蒸気噴火。火砕物降下。噴火場所は五色岳(御釜南東に9つの火口生成)。 1796年(寛政8年)、1804年(文化元年)、1806年(文化3年)、1809年(文化6年)、1821年(文政3年)、1822年(文政4年)、1830年(天保元年)、1831年(天保2年)、1833年(天保4年)に噴火。1809年、1831-1833年は火山泥流を生じた。 1867年(慶応3年) 水蒸気噴火?。噴火場所は五色岳(御釜)?鳴動、御釜沸騰、硫黄混じりの泥水が増水し、洪水を起こし死者3名。 1873年(明治6年)、1894年(明治27年)に噴火。 1894-1895年(明治28年) 小規模:水蒸気噴火。火山泥流、火砕物降下 噴火場所は五色岳(御釜)。2月15日に爆発し、鳴動、白煙。御釜沸騰し、川魚被害。2月19日、3月22日、8月22日、9月27-28日にも噴火。 1896年(明治29年) 3月8日、噴煙。8月、御釜にて水蒸気上昇。9月1日、御釜の水氾濫。 1897年(明治30年) 1月14日 噴煙、鳴動。 1918年(大正7年) 御釜沸騰。 1940年(昭和15年) 4月16日 小規模:水蒸気噴火。火砕物降下。噴火場所は御釜北東鳥地獄。新噴気孔生成。 以降は、顕著な火砕物降下を伴う活動はなくなり噴気、鳴動群発地震、火山性微動、低周波地震、が断続的に続いている。 2015年(平成27年)4月13日 仙台管区気象台は火山性地震が増えていることから噴火警戒レベルを1「平常」(当時の呼称)から2「火口周辺規制」に引き上げた。 6月16日9時 噴火警戒レベルが2「火口周辺規制」から1「活火山であることに留意」に引き下げられた。 11月30日5時33分 坊平観測点で地下の熱水などの動きを示すと考えられる火山性微動が14分余り観測され、気象台は「直ちに噴火に結び付くものではない」としつつ、「長期的には火山活動がやや高まった状態にある」とした。 2018年(平成30年)1月28日から火山性微動が観測され、山頂の南方向が隆起。1月30日に噴火警戒レベルを1から2に引き上げた。3月6日に1に引き下げ。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 05:04 UTC 版)
4つの活動期と各活動期にはさまれた長い3つの活動休止期に区分されている。 第1活動期 約30万年前の活動で山体の基底部が形成された後は15万年程度の活動休止期があった。(雷菱火山)噴出量 40km3 第2活動期 14万年から11万年前。(神奈山火山)噴出量 20km3 第3活動期 9万年前ころから6万年前。(三田原山火山 2800-3000m) 現在の妙高山火山よりも標高が高かったと推定され、第3活動期末期に山体崩壊が生じた事を示す泥流堆積物がある。開析の程度は不明。噴出量 7km3 第4活動期 活動期は「先カルデラ期」「カルデラ形成期」「中央火口丘形成期」の3つの大別される。 約4万年前頃 活動を再開し、約2万年前頃にカルデラが形成される。(妙高山火山) 1.9-2万年前 カルデラ北東縁が崩壊し関川泥流を生じた。赤倉山、大倉山地域でも崩壊し田口・矢代川泥流堆積物を形成。 8000年前 大噴火により山体崩壊し、田口岩屑なだれ(上部)が発生した。以後、カルデラ内での活動となる。 5800年前 マグマ噴火により中央火口丘が形成され、現在に近い形となった。 5500年前 マグマ噴火。 5200年前、5000年前、4300年前に水蒸気噴火。 4700年前 マグマ水蒸気噴火 4200年前 マグマによる活動が記録され、赤倉火砕流と大田切川火砕流を残した。 3000年前 カルデラ内には最新の活動となる水蒸気爆発、大谷火山灰層を形成した噴火。 2800年前 外輪山の赤倉山(2,141.1m)南斜面が崩壊し杉野沢岩屑流を生じる。この崩壊の原因は、噴火活動の可能性が指摘されているが対応する火山灰が見つけられていない。 有史以降の活動記録はないが、中央火口丘付近の南地獄谷では噴気活動が継続している。 噴出量 5km3
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:49 UTC 版)
1686年 - 噴火。ベースサージの発生、スコリアの噴出。 1731年 - 噴火。北東山麓に溶岩流(国の特別天然記念物・焼走り熔岩流)が発生。現在の八幡平市の集落の住民が避難。 1919年 - 小噴火(水蒸気爆発)。 1998-2003年 - 火山性地震、地殻変動が見られた。 2011年10月 - 低調な噴気活動状態が継続して、2007年12月1日の噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)が継続している。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 15:19 UTC 版)
活動は大きく山体崩壊以前の古羊蹄火山、山体崩壊後の新羊蹄火山の2期に分けられる。どちらも主な岩石は安山岩・デイサイトとなっている。但し、古羊蹄火山は比較的斑晶量が多く、角閃石や石英を含むのに対し、新羊蹄火山は比較的斑晶量が少なく、角閃石や石英を含まない。 約6-5万年前に古羊蹄火山が活動を開始し、小規模なプリニー式噴火を繰り返し、活発に軽石や火山灰、溶岩流、火砕流を噴出した。この活動によって、約4万年前までに標高1,700m程度の成層火山を形成した。古羊蹄火山は活動終了時、或いは新羊蹄火山の活動開始時の約4-3.3万年前に山体崩壊を起こし、体積にして1.3km3の土砂が山体西麓に流下したと推定されている。 古羊蹄火山の活動終了後、約7千年程度の休止期を挟み、約3.3万年前に新羊蹄火山が活動を開始した。新羊蹄火山では主にストロンボリ式噴火による活動が多くみられ、羊蹄第1軽石・スコリア層を噴出させる噴火など大きなプリニー式噴火も時折発生している。最近1万年間は山頂付近の火口が活動の中心となっており、約13,500年前の噴火以降に少なくとも6枚の降下火山灰が確認されている。最新の噴火は約1,000年前に発生したものと推定されている。また、約4,000年前の噴火では俱知安町市街の一部まで溶岩流が到達した。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:46 UTC 版)
約100万年前から40万年前に活動した蒜山火山群および古期大山と新期大山に大別される。約35万年以降に20回のプリニー式噴火があり、最新の活動は約2万800年前(三鈷峰溶岩ドームおよび阿弥陀川火砕流堆積物)と考えられている。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 09:53 UTC 版)
青ヶ島は第四紀火山である。最近1万年間の活動は主成層火山で発生している。約3600年前に北西山腹で割れ目噴火があった。 約3000年前 大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し、火砕サージが全島を覆った。3000年前から2400年前までの間に、本島の南東部にあった火口状の凹地を埋める溶岩流とスコリアが噴出し、東部や北部に多量のスコリアが降下する噴火も発生した。その後、岩屑雪崩が発生して、最終的には池之沢火口が形成された。 1652年 噴煙が上がり、1670年より約10年間に亘って大池より火山灰が噴出した。 1780年7月 群発地震が発生し、8月に大池・小池の水位と水温が上昇した。 1781年5月3日 に地震が群発し、翌日には降灰が起こった。 1785年4月18日 に発生した火山活動により全家屋63戸が焼失した。火口内に溶岩流とスコリアによる丸山火砕丘が形成され、翌年の噴火に掛けて成長した。この天明の大噴火は5月末まで続いたとされる。このとき、島民327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡したと考えられており、1824年に名主の佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たすまでの約40年間に亘って無人島になった。 18世紀の活動以降は、顕著な火山活動は無い。噴気活動も少なく、池の沢火口内壁と丸山周辺に水蒸気を主成分とする噴気が見られるだけである。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 01:27 UTC 版)
西暦1600年以前の活動は不明点が多いが、気象庁によると山頂の溶岩ドームは1万年より新しい。約1万2000年前以降の活動は山頂での噴火が中心である。 70万年前 - 山体崩壊。 30万年前から20万年前 - 噴火と山体崩壊(岩屑なだれ)を繰り返し山体を形成。 20万年前から1万年前 - 山麓に側火山を形成。 約5万年前から - 西法寺森溶岩ドーム、岩木山頂西と鳥海山ドーム、山頂ドームと中央ドームを形成。 約6000年前 - マグマ噴火(岩木山頂西と鳥海山ドーム)。 約3000年前 - マグマ噴火。 約2000年前 - マグマ噴火。鳥ノ海溶岩ドームを形成。 1600年(慶長5年)2月22日 - 鳥の海火口で水蒸気噴火。 1618年(元和4年)1月31日 - 水蒸気噴火。 1782年(天明2年)11月-1783年(天明3年)6月 - 水蒸気噴火。天明の大飢饉の遠因のひとつ。 1845年(弘化2)4月4日 - 噴煙、硫黄噴出。 1863年(文久3)3月23日 - 小規模な水蒸気噴火。
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火山活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 04:49 UTC 版)
火山活動のみられる地点としては、ソルファタラ火口(英語版)などが存在する。他にも多数の噴火口があったが、そのほとんどは水没した。このカルデラは2度の大きな噴火によって形成されたと考えられている。まず、40,000年ほど前に最初の噴火が起きた (Campanian Ignimbrite eruption) 。そしておよそ12,000年前に比較的小規模な噴火を起こし、ポッツォリを中心とする一回り小さいカルデラ盆地が形成された(この2度目の噴火は、一帯に特徴的な黄色い岩石から、ネオポリタン・イエロー・タフと呼ばれている)。 1538年には8日間にわたって噴火し、モンテ・ヌオーヴォ(英語版)スコリア丘を形成した。「新しい山」を意味する山名である。 地形図。多数のクレーターが見られナポリは右の海岸に ソルファタラ火口の噴気活動(2003年) モンテ・ヌオーヴォ スコリア丘 Phlegraean Fields(ナポリ)
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