異常事態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 22:27 UTC 版)
華北の覇者となった劉聡であるが、華北全土を統一していたわけではなかった。河北にはまだ劉琨や王浚ら西晋の残党や前涼が割拠していたからである。これらの内、劉琨や王浚は石勒により平定され、今度は石勒の権力が漢内部で強大化するようになった。また、劉聡は華北の覇者になった頃から酒と女に溺れ出し、かつての英明さを失いだした。その一例が皇后鼎立一件に現れた(詳しくは後述)。劉聡は皇后の呼延氏が死去すると、複数の皇后を取り立てて後宮を拡大するなどしたため、外戚や宦官の政治介入を招いて乱脈政治を横行させ、同時期に起こった平陽方面の飢饉も漢の衰退を助長した。 318年7月に劉聡が死去すると、子の劉粲が跡を継ぐが、8月に外戚の靳準が反乱を起こして劉粲を殺害し、さらに平陽にいた劉氏一族をも殺害した上で、靳準は漢天王を自称して東晋に投降を申し入れた事により、漢はいったん滅亡した。
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