一昨日の12月10日、県党会議の帰りにイオンの『TOHO CINEMAS 高知』で『硫黄島からの手紙』を見た。
これに先立つ11月3日には、硫黄島二部作のもう片方『Flags of Our Fathers』を見ており、期待と不安のなか席に着き、上映開始を待った。
『期待』というのは、『Flags of Our Fathers』(以後『Flags…』と略)が、今まで出会った映画の中で最も奥深い『戦争映画』と感じたからで、『Flags…』では塹壕や闇夜に隠れてアメリカ兵を狙い、殺していった、一種『得体の知れない敵』という雰囲気をまとった日本兵がどのように描かれるのか?また、『Flags…』で国家に人生を翻弄されたアメリカ兵の『IOUJIMA』を見事に描き切ったイーストウッド監督が、日本兵の『硫黄島』をどのように描くのか?といった『期待』。
そして『不安』というのは、一つにはアメリカ人であるイーストウッド監督が、果たして当時の日本の国内情勢や時代考証、そして日本兵の心理状態を的確に描いてくれるだろうか?という『不安』(『パール・ハーバー』の様な滅茶苦茶な映画も過去にあったし)。そして何より、HPや『Flags…』の上映後の『予告編』から感じた、栗林中将への美化や『日本軍もよく戦った』といった感じの映画になってしまうのではといった『不安』。
そういった複雑な感情を抱きながら『硫黄島からの手紙』(以後『硫黄島…』と略)をこの日見た。
見終わった後、『Flags…』を見終えた直後に感じたのと同じ、軽い虚脱感に襲われた。何とも形容しがたい『虚脱感』。そしてもう一度『Flags…』を見たいと思った。
結論からいうと、この硫黄島二部作がビデオ・DVD化されたら真っ先に購入し、周りの人に見せて回りたい!!と思わせてくれた、他人はどうか知れないが、私・紅星にとっては珠玉の名作である。
確かに、コバコバさんのおっしゃる通り、栗林中将を格好良く描いていると感じた部分もある。そして『硫黄島…』のパンフで栗林中将役の渡辺謙が言っているように、日本が戦争を始めることになったきっかけにも踏み込んで欲しかったという気もする。
しかし、見る前に感じた『不安』-日本の国民総動員体制の描写や時代考証への-は全く感じられず、本作品が米国映画だという事が信じられない位に丹念に描かれていた。
そして何より、戦闘シーン。
今までの戦争映画のそれを凌駕する内容だった、としか私には書けない。この文章を書くまでに色々と表現しようと試みたが、どれも適切に表現出来ないのだ。ただ敢えて書くとするならば、先の戦争で戦地から生還された人達が戦場の事について語りたがらない理由の一端が何となく分かるような気がした。そして戦闘シーンが終わった後、手といわず背中といわず、冷や汗をびっしょりとかいているのにハッと気づいた事だけは書いておきたい。
『Flags…』で、味方の砲撃に斃れたマイクや、『硫黄島…』で、アメリカ軍に投降し助かったと思ったのも束の間、まさかの死を迎えた清水、映画の初めのほうで赤痢のためあっけなく命を落とした梶原(?)、その一方で、無茶な突撃を命じ自分も戦車を巻き添えにして爆死しようとするも遭遇せず、洞窟に隠れているところをアメリカ兵に発見され生き延びることになる伊藤のシーンも、戦場の理不尽さを感じさせずにはいられなかった。
『硫黄島…』の最後の方で、重傷を負った栗林中将が、この映画の主人公・西郷に「ここはまだ日本か?…」と問いかけるシーンと、ピストルで自決した栗林中将の遺体を見つからないように埋葬した西郷が、アメリカ兵に囲まれて投降し、ふとアメリカ兵の腰に差された栗林中将のピストルを目にした途端、狂ったようにスコップでアメリカ兵たちに殴りかかるシーンも印象的だった。
『護憲派』の人達の中には、地下壕を掘り過酷な戦闘を将兵に強いた栗林中将を美化しているような本作品に対して批判的な考えを持つ人も少なくないだろう。私・紅星も『護憲派』であるし、栗林中将を『顕彰』する向きには勿論賛成できない。しかし、「硫黄島がアメリカの占領下に置かれたなら、ここは本土爆撃の拠点となる。本土防衛のために、一日でも長く生きて戦え」という彼の言にも一分の理を感じてしまうのだ。そして、親米家であり日米開戦に最後まで反対したという、『一個人・栗林忠道』の苦悩にも思いを寄せてしまう自分がいる。軍人に同情を寄せてしまうなど、共産党員として問題かも知れないが…。
ここまで脈絡もなく書いてきて、随分とまとまりを欠く文章となってしまったが、この硫黄島二部作について、未だ考えが上手くまとまらないのが正直な感想である。一回観ただけでは論じきれない、正に『合せ鏡』のような作品であり、これから何度も観返していく事で、また考えが深く沈潜していく、奥行きのある映画であると感じている。
この硫黄島二部作をまだ観ていないという方、是非とも映画館に足を運び、観て、そして自分の頭で『戦争』について考えて欲しい。
追記
『硫黄島…』の冒頭で、硫黄島の戦没者慰霊碑がチラッと映ったが、『岸信介 揮毫』とあったように覚えている。そのシーンを思い出す度、怒りが湧いてくる。「硫黄島の尊い犠牲の上に出来た日本国憲法第9条を土足で踏みにじり、あまつさえ葬り去ろうと企てた、元・戦犯のお前が『慰霊』とは何様だ!!」と。
今、その岸信介の孫である安倍晋三首相が憲法9条を“殺す”企てをしている。イーストウッド監督には恐らくそこまでの考えは無かったであろうが、何かしら因縁めいたものを感じた事だった。
硫黄島からの手紙
戦争映画の新しい流れに期待する
この記事に対するコメント
TBありがとうございます。
紅星さまお久しぶりです。
マラソン参加の記事からしばらく更新がなかったので、こちらには御無沙汰しておりました。
私の名前に張ったリンクから
私の「FLAGS OF OUR FATHERS」レビューを御覧いただけます。
つい先だってのようですが、もう1ヶ月以上前のことでした。
今も「硫黄島・・・」と平行して上映中です。
私も、「FLAGS・・・」の際に、「硫黄島・・・」の予告編を見て、多くの方と同様の懸念を抱いたのですが、こちらのブログを読む限り、「日本軍かく戦えり」的な美化映画では無い様で、安心しました。
渡辺謙さんは、TVインタビューで「こういう状況に置かれたらどうされます?」的な質問に対して、
決然と「戦争は絶対に起こしてはならない。こういう状況に置かれるようなことを許してはならない」(要旨)と『反戦声明』を発していました。
私は、この映画の意義はここにあるのだ、と思いました。
まだ、見ていませんが、今週末にでも見たいと思います。
見たら、当方のブログにレビューは必ず書きます。