ここ数回の記事は“フォーマルモード”で書いてきましたが、今日はお硬い話でないので“カジュアルモード”で行かせてもらいます。
さて、今日3月3日はというと、言わずと知れた『ひまなつり』・・・でなくて『ひな祭り』!ですが、あまり知られていないところでは『金魚の日』と『平和の日』でもあるんです。それぞれの謂れを調べてみると、
金魚の日・・・日本観賞魚振興会が制定。江戸時代、ひな祭りの時に金魚を一緒に飾った事に因んで。
平和の日・・・1984年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌85年から世界中で実施。「女の子の健やかな成長を祝うひな祭りは平和の象徴である」との考えから。
という事です。確かにうちの金魚達の泳ぐ姿を眺めていると、小さい女の子が振袖やドレスでチョコチョコと駆け回る姿に似て何とも愛らしく、『平和』をイメージさせるものがあります。
それともう一つ、金魚と平和は切っても切れない関係にあるんです。
そもそも日本の金魚の歴史をひも解いてみるに、1502(文亀2)年に“こがねうお”が堺に渡来したのが始まりだと言われています。その時の金魚は今の和金であったと考えられますが、時はまさに戦国動乱の世、金魚など愛でているどころではなく、江戸時代になって世の中が平和になりやっと日本に定着することになります。
この江戸期に様々な品種が誕生し、日本の金魚は発祥の地・中国に勝るとも劣らない多様さを誇る事になりました。特に『地金魚』と呼ばれるご当地金魚が津軽(津軽錦)、尾張(地金・六鱗)、大阪(大阪らんちゅう)、出雲(出雲なんきん)そして土佐(土佐錦魚)というところに誕生した事は、金魚だけでなく、当時の地方が独自の文化を産みだし育んでいた意味で興味深いことだと思います。このように江戸時代に金魚のみならず現在の日本文化の基礎が作られたのも、徳川政権の政治的・歴史的な評価は脇に置いて、日本が約2世紀半にわたり『平和』であったからと言えましょう。
そのように平和の世の中で誕生し、その後明治・大正と世が移ってもその土地の人々に愛され育てられてきた地金魚に、絶滅の危機が訪れます。他でもない『太平洋戦争』です。『欲しがりません勝つまでは』、『ぜいたくは敵だ』のスローガンのもとで金魚を飼い続ける事の困難に加え、B29による空襲、さらにはやっと終戦を迎えても、混乱や食料難でやはり金魚なぞ飼っている余裕もなく、津軽錦と大阪らんちゅうは一時絶滅、土佐錦魚も南海大地震とのダブルパンチで絶滅寸前まで追いやられてしまいました。幸いにして土佐錦魚は生き残りを親魚にして再興、津軽錦と大阪らんちゅうは篤志家の努力のおかげで復活し、近年はそれぞれの地金魚も全国に愛好家が生まれて愛好会も作られ、徐々にですが若手にも広がりをみせています。
うちにも津軽錦と尾張地金、そして何と言っても高知の誇る文化遺産・土佐錦魚がいて、仕事で疲れた時や嫌な事があった時には心を癒してくれますし、『日本人で良かった』としみじみ思います。
しかし今、日本の平和と繁栄の基礎となっている日本国憲法第9条を変えてしまおうという輩が増えつつある。
先に書いたように、戦時下では金魚は栄えず、滅亡の危機に晒されてきました。そういった意味で、金魚はまさに平和のシンボルといえないでしょうか?
実は紅星、ここ数週間ネットなどで『金魚9条の会』のような組織が無いものかと探してきたのですがよう見つけられず少々落胆しておるところです(金魚のふるさと大和郡山の9条の会さんのHPは発見できましたが)。
そこで、ここまで当駄文を読んで下さった方々にお頼み申したい儀がござります。
①『金魚9条の会』みたいな組織を知っていたら情報を提供して頂きたい事
と、
②もしよろしかったら、9条の会みたいな立派なもんでなくても、金魚と平和の事について楽しく交流できる会みたいなものを作りませんか?
以上の2つのお願いをもって、当ブログが『9条守ろう!ブロガーズ・リンク』へ賛同を表明する宣言とさせて頂きます。