1月24日、この日はたいてい日中でもざまにヒヤイ。12時のサイレンを合図に「今日は昼休みから戻るの1時過ぎますが、えいですか?」と事務局長に許可をもらってからスクーターに乗り、四万十川沿いに目的地へ急ぐ。
四万十市山手通の正福寺墓地、ここに幸徳秋水さんのお墓があります。
「幸徳秋水って、ダレ?」という人も居るろうけん、ここで簡単に説明。秋水さんは明治期の社会主義・無政府主義者で、日露戦争前後の急速な国家主義が高まるなかで『非戦』を訴えつづけて時の政府に危険視され、『明治天皇を爆殺しようとした』という大逆罪をでっち上げられて、65年前の今日、東京市ヶ谷監獄で絞首台の露と消えました。(余談ですが、でっち上げの指揮を採ったのが後に総理となり日中戦争を推進、A級戦犯となった平沼騏一郎で、自民党無所属平沼赳夫議員の爺さん。平沼氏の国家主義思想は祖父譲りなんですねぇ)
当時の日本は今と違い「戦争反対」と唱えただけでアカだの国賊だのと言われ、そのような事を口にするのも覚悟のいる世相。そんな中で平和憲法の先駆けとなる「非戦論」を公然と主張したんやけん、本来なら今の日本では、立派なお墓や「幸徳秋水記念館」があって、もっともてはやされてもいいほどのお人のはず・・・なのに戦前・戦中はおろか、戦後のつい最近まで、郷里の中村でさえもテロリスト扱いされ続けてきたという実に不遇の人なのです。6年前にやっと市議会で「幸徳秋水顕彰決議」が可決されましたが、秋水さんをメジャーにする活動はまだまだこれからといったところです。
秋水さんの事をもっと詳しく知りたい人は、http//www.shuusui.com/ へどうぞ☆
っと、話を元に戻しますが、秋水さんのお墓は山の陰にあり、ただでさえヒヤイのがさらにヒヤイ。あと、墓地のお隣は高知裁判所の中村支所という、少々因縁めいたところというのが何とも。そこに早く着きすぎてほとんど人がいない中を、鼻水をティッシュで拭いながら待っていると三々五々人が集まってきて、12:30に参加者70人ほどで95周年墓前祭の始まり。紅星は中村に引っ越してから毎回参加しており、今年で三年目になります。
最初に主催者を代表して『顕彰する会』の森岡会長があいさつ。そのなかで今日は徳島県の前木頭村長の藤田さんも参加されるはずだったのが急に近くに不幸があって来れなくなったという話があり、ちょっと残念。でも墓前祭会場で配られた「秋水通信」に藤田さんが寄稿されていて、そのなかの
『当時の秋水の一つの主張を現代風に解釈すれば「政治を国会議員に任せていると、汚職や利権で国民の為の政治はしないし、政治にも限界がある。やはり具体的な課題で住民運動をやらなければ生活は良くならない」となり、約百年後の今でも至極当然のことです。』
の文章には思わずうなずいてしまいました。
続いて高知の自由民権記念館の方や秋水さんの親族の方、共産党と社民党の市議さんなどが墓前に献花し、秋水さんの非戦の思想を受け継いで9条を守っていこうという誓いを新たにしていました。ただ一つ気がかりなのは、参列者は圧倒的に60過ぎ位のお爺ちゃんお婆ちゃんで、もうすぐ35歳の自分が若手ベスト5くらいに入ってしまうこと。「10代や20代の人も会に入ってもらうような宣伝せにゃあいけんなぁ・・・会の勉強会さぼってたけど、マジメにでようかなぁ」と考えてしまいました。
秋水さんと、その盟友の堺利彦さんは日本の社会主義運動家の中心人物で、今の社民党と共産党の大先輩に当たる人。くしくも昨日23日、共産党が社民党との共闘を申し入れ、今日のしんぶん赤旗のトップや全国紙、地方紙の政治欄に載ったというのは何かの因縁かと思いつつ、秋水さんの郷里・土佐中村で9条守れの取り組みに関わっていきたいと思いを新たにした事でした。
幸徳秋水さん、あなたにあやかった『龍水』のネームに恥じないよう頑張りますけん、見ちょってよ!!