昨日22日に、高知に行く用事がありました。
用事は17時からのところ、列車の関係で15時に着いてしまい『さてどうやって時間をつぶそうか』と考えたところ、近くに『山原健二郎資料室』があったことを思い出したもので、これはチャンスと行ってきました。
『山原健二郎資料室』というのは、高知選出の元衆議院議員で、中選挙区制9回と、初の小選挙区選挙でも当選し(共産党で当選したのは山原さんと、京都の寺前巌さんの2人だけ)、10選という記録を打ち立てた山原健二郎さん(一昨年3月8日死去)の資料を展示した部屋で、共産党高知県国政事務所(だったっけ?)の2階にこの6月4日にオープンしました。
前々から一度行きたいなと考えていて、この前の海の日(17日)にも実は行ってたんですが、『月曜定休』でガッカリしながら帰ってきたのです。
さてその資料室ですが、資料がところ狭しと並んでいるので一寸雑然としているかなといった印象は受けましたが、山原さんの演説原稿や知人に出した手紙(山原さんは筆まめで有名でした)、短歌・俳句を見て改めて山原さんの人柄やすごさに思いを馳せた事でした。
紅星が山原さんの選挙に直接関わったのは(といっても宣伝カーに手振り要員で1回乗った他はビラまきしかしていませんが)93年夏の総選挙の一回きりでした(96年選挙は幡多に移っていましたので間接的に)が、「国会議員なのにホント腰の低い人だなぁ」と思ったことでした。
出陣式の時だったか、うちらが歩道の真ん中で手振りとかの打ち合わせをしていると、後ろから「ご免なさい、ちょっと通して下さい」と声がしたので「すいません」と謝りながら振り返ると・・・山原さんでした。道を塞いでいたこっちが問題で、怒られても仕方ない状況なのにとこちらが申し訳なく思ったのを、その出陣式で山原さんが詠んだ、
梅雨晴れや 具足のひもを しめ直し
の句を見かえしながら思い出しました。
今年のNHK大河は土佐初代藩主山内一豊とその妻・千代が主人公の『功名が辻』で、秋口には土佐が舞台になってくるようですが、山原さんは山内家に抵抗した長宗我部遺臣の『一領具足』の末裔を自認し誇りにしていて、句にしばしば『具足』『地下侍』といった言葉が出てきます。確かに、紅星の記憶の中の山原さんは、普段は笑顔を絶やさず腰の低い『おじいちゃん』でしたが、いざ演説会や国会中継の質問戦になるとまさに鬼気迫る勢いで政府の悪政を告発し、『山原さんこそ最後の一領具足であり、最後の自由民権家だ!』と学生時代に感動した覚えがあります。
最近は他党はおろか、共産党にもこういう良い意味で“土臭い”議員さんは見かけなくなりました。スマートで洗練された方が支持者受けするんでしょうが、今こそ、一人くらいはこういったタイプの議員さんが必要ではないのかと痛切に感じています。
記事の題名は、山原さんが小選挙区で見事当選したあとの高知新聞の記者座談会で、記者の一人が山原さんを評して言った名言です。高知選出の他の議員はコロコロと公約をかなぐり捨てて動き回る『流れ星』だが、山原さんは愚直なまでに至誠一貫ことにあたり、決して揺るがない『北極星』であると。
山原さんの生き様を見るにつけ、『それに比べて自分は・・・』と自己嫌悪にもなったりしますが、怠惰な日常に漂流しかけた時、元の道に戻る目印としての『北極星』として山原さんはこれからも心の中にあり続けると思います。
以上、筆の進むまま書き連ねてきましたが、紅星の下手なブログより実際に来てもらった方がよっぽど山原さんの事を分かってもらえると思います。
県外の方、高知に来られた時は是非にお立ち寄り下さい。絶対損はさせませんよ!!
《場所は土佐電鉄『上町二丁目』を降りてすぐ、『南の炎 山原健二郎資料室』の文字が目印です。》
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http://haruna-naoaki.jp/action/data1/060604-232003.html
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