今朝、MINSHO事務所で商工新聞の郵送の段取りをしていると、MINSHO会員で先輩党員でもあるMさんが入ってきて、
『上田耕一郎さん、亡くなったんやね』
と一言。
えっ・・・!!
と、一瞬絶句してしまった。
思わず、「本当ですか!?」と間抜けにも聞き返してしまったが、「今日の赤旗に出とったやろ」との言葉に急いで赤旗を開いたところ、2面にその訃報は載っていた。
いつもなら事務所に来たら朝イチで赤旗を読むところ(紅星の分は、配達者の人が自宅に配るの大変だから、MINSHO事務所に届けてもらうようにしている)、今日は遅刻ギリギリで来たので読んでいなかったのだ。
(加えて、昨日は電話代滞納でネット接続できなかったこともあった)
ウエコーさん(そしてその弟の不破さん)のご尊父・上田庄三郎さんは幡多の出であることからか、高知新聞も一面の柱と、29面の社会面で、その訃報を大きく取り上げていた。
【以下、引用】
元共産党副委員長、不破氏の実兄
上田耕一郎氏死去 81歳
不破哲三・前共産党議長の実兄で元党副委員長、元参議院議員の上田耕一郎(うえだ・こういちろう)氏が30日午前6時28分、慢性呼吸不全のため、都内の病院で死去した。81歳。神奈川県出身。自宅は遺族の意向で非公表。葬儀は親族のみで31日に執り行い、後日「お別れ会」を開く。
父・上田庄三郎氏は土佐清水市三崎出身の教育者で、兄弟そろって土佐の血を引く。
東大在学中に共産党に入党。64年から党中央委員会に勤務。「前衛」編集長、「赤旗」編集局長を経て党政策委員長に就き、理論・政策の責任者として党を支えた。76年に副委員長に選出。
74年から参院・東京選挙区で連続4回当選。田中角栄元首相の金脈問題やロッキード事件、
国政や県議選の党公認候補の応援や護憲集会でもたびたび来高。4期24年に及ぶ参院議員引退後の本紙インタビューでは「時代をずっと先取りしてきた高知は、その先進的エネルギーを今の時代にこそ発揮してほしい」などと述べていた。
独自の理論
平野貞夫・元参院議員の話 議員当時、三原村への国際貢献センター誘致をぶち上げたら、反対運動を始めたのが彼だった。意見の対立もあったが、親交が深かった互いの父親と同様、意気投合する面も多々あった。よく酒も飲んだな。とにかく彼は柔軟で、独自の理論を持っていた。健康を害していると聞いていたが残念だ。
酒豪であり傑物
西村伸一郎・土佐清水市長の話 政界引退時に、これからは平和運動一本で活動していくと手紙を頂いた。まだ活躍されると思っていたので寂しい。酒豪であり傑物。酒席では政党にこだわって敵味方に区別するのではなく、腹を割って話せる人情味のある気さくな方だった。実感がわかないが、古里の灯が一つ消えた感じがする。
※西村市長は、ウエコーさんのご尊父・上田庄三郎氏(上庄さん)の教え子で、上庄さんが幡多を去った後に幡多の教育に尽力された、西村和三郎氏のご子息。
【以上、引用終わり】
赤旗記事はここからWebサイトに飛んで読んでいただくとして、朝日新聞・中村史郎氏が今日の4面に、
>「理論派」であり、「庶民派」-長らく日本共産党の二つの顔を代表していた。お堅いイメージでとらえられがちな同党にあって、「ウエコーさん」という愛称には、「ミヤケン(故宮本顕治元議長)」や「フワテツ(実弟の不破哲三前議長)」とは違う、どこか温かい響きがあった。
>ウエコーさんの本領は、むしろ庶民派としての顔だったのではないか。緻密で学者肌の不破氏に対して、ウエコーさんはざっくばらん。酒もたばこも好み、党内では不破氏よりも人気があった。特にバーボン好きで、「米帝国主義の象徴じゃないか」と問われて、「違う、人類が生み出した偉大な文化だ」と語ったという逸話が残る。
と評しているように、末端党員の紅星でも親しみを感じる人柄の持ち主だった。・・・とは言っても、そんなに直にお目にかかったことはないのだが。
しかし、田頭文吾郎県議の応援で幡多入りした時の演説は、JCPの幹部らしからぬ気さくな口調と面白さで満場の聴衆を沸かせて「流石ウエコーさん!」と思わずうなってしまったし、7年ぐらい前の、赤旗まつりに参加し、ウエコーさんの著書「戦争・憲法と常備軍」の出版記念サイン会でサインを頂いたとき、ちょうど当時、大学の先輩のWさんがウエコーさんの付き人をしていて、「彼は幡多から来たんですよ」と紹介してくれると、人懐っこい笑顔で「わざわざ参加してくれてお疲れさま」と接してくれた事を、今でも思い出す。
大学時代に、大学生協でウエコーさんと不破さんのご尊父・上田庄三郎氏(上庄さん)の事を書いた
『評伝 上田庄三郎』 (西村政英・著)
を手に入れ、何度も読み返しては上庄さんのウィットに富んだエピソードに笑い、その教育精神に深い感銘を抱いたものだが(この本は、表紙は擦り切れているが未だに紅星のお気に入りの一冊として本棚にある)、読み返すたびに、「この親にしてこの子あり。ウエコーさんって、やはり土佐のいごっそうの血を受け継いでいるんだな」と、妙に嬉しくなった事だった。
ちょうど 「そういえば最近、ウエコーさんの記事が赤旗にも載らなくなったなぁ。お元気だろうか・・・」と思った矢先の訃報だった訳だが、正直、宮本顕治さんが亡くなった時は、失礼ながら「まだ生きちょったが!?」という驚きはあったが、さしてショックは受けなかった紅星も、今回のウエコーさんの訃報はまさに青天の霹靂であり、山原(健二郎)さんを失った時に近いショックを受けている。
人には皆いつか死期が訪れるのが世の定めとはいえ、もう少し長生きしていただきたかった・・・
翻って考えるに、我がJCPの国会議員さんには、かつては、ウエコーさん然り、山原さん然り、大阪の正森(成二)さん然り、沖縄の瀬長(亀次郎)さん然り、そして北海道の小笠原(貞子)さん然り、キャラが立っている、個性的な人が多かったような気がする。先に挙げた方々が相次いで
何かスマートで洗練されたのもいいけど、こんな時代だからこそ、ウエコーさんや山原さん、正森さん、そして瀬長さんらのようなタイプの議員さんがJCPにも再び現われてくれないかなぁ・・・と切に願ってしまうのである。
何とも言い知れぬ喪失感に捕らえられてこの記事を書いてしまったが、今はただ、ウエコーさんら偉大なJCPの諸先達が切り開いてきた道を、さらに広く、大きくするために微力ながら力を尽くしたい。
合掌。
この記事に対するコメント
こまかいことを言えば
「鬼籍に入る」は宗教用語なんで、他の方はよく存じませんが、『クリスチャンの小笠原貞子さん』には使いません。(「天に召された」かな)
(ちなみに、門徒さんも使いません。「往生された」ですね)
・・・「近代中事件」は、「金大中」ですか?
ご指摘ありがとうございました
『第二迷信』さま
コメントおよび間違いのご指摘ありがとうございました。
いつもはこんな初歩的な誤植やらかさないでいた自信あったのですが、今回はチェック甘かったようです。とんだ赤っ恥晒したままになるところでした。
「鬼籍に入る」云々は、そこまで考えずに使ってしまいました。確かに、クリスチャンだった小笠原さんにこの単語は不適切ですね。
とりあえず「鬼籍に入られた」→「亡くなられた」に訂正させていただきます。