Date:2008/10/26 23:54
ちょっと古い話で恐縮ですが、先週の日曜・19日に、我が四万十市の誇る最大のスポーツイベント(?)
第14回四万十川ウルトラマラソン
が開催されました。
紅星は昨年・一昨年の大会ほか、過去7回、60kmの部にエントリーし、毎回完走することができました(ただし、うち1回は1分オーバーで完走メダルもらえず)が、昨年の大会直後のブログ記事で
>さあ、来年はいよいよ100kmにエントリーだ。
と、その場の勢いで大見得を切っちゃった手前、100kmに向けて練習をしたのですが、明らかに練習不足で、「この調子では堂が森(15-20km地点)でリタイアなんて情けないことになりそう」と思ったので、リタイア確実と分かっているなら他の人に走ってもらおうと考えて、今年は敢えて応募せず、沿道応援と、100kmの部に出場するウチ(中村MINSHO)のT局長(土佐高知さんのブログで『Tちゃん』と呼ばれている人)のサポートをすることにしました。
さて、19日当日ですが、走りもしないのに朝3時に起床。100kmの部スタート地点の蕨岡中学校まで自転車で行ってきました。
蕨岡中に着いたのが3時40分頃でしたが、早すぎたようで、ボランティアの人もまだチラホラ程度。
それでも4時を過ぎるあたりから、送迎バスや車で、ランナーの人が続々集結して来ました。
スタート1時間前の4時半になると、かなりの人数が蕨岡中グラウンドにごった返し、ストレッチや記念撮影、サポートの人との打ち合わせなどをあちこちでしていました。
紅星も、T局長の他に、土佐高知さんなど他にも知り合いが100kmの部に参加するので、「誰かいないかな・・・」とキョロキョロしていると、衆議院高知三区のJCPの候補者・村上信夫さんの姿を見つけました。
村上さんは各地のマラソンに参加経験があり、小豆島マラソン完走や、2年前の第12回大会にも100kmの部を13時間11分45秒(午後6時41分45秒ゴール)で完走しています。
「解散になっていたら参加できませんでしたね」など話をしばらくしたあと、記念に撮った写真が下の2枚。
「川登(87km地点)で会いましょう」と別れたあと、さらにブラブラしていたら、前の職場の時にお世話になった大月町のTさん夫婦とバッタリ。ここの旦那さんも100kmの常連で、過去何回も完走している方です。「毎年、ここ(ウルトラマラソン)で会うねぇ。元気にしちょったかよ」と、年1回の再会を楽しみました。
スタート会場を歩いていると不思議なもので、その場にいるだけで100kmランナーの闘志にあてられてか、自分まで100kmを走れそうな気がしてきます(もちろん、今の紅星では走れっこないのですけど)。
そうこうするうちに開会式の選手宣誓も終わり、選手のみなさんがスタートゲートへ移動していきます。スタート地点付近では一条太鼓の皆さんの勇壮な太鼓と松明の炎が、いやがうえにも気分を高揚させてくれます。
スタート地点を通り過ぎようという時に、やっとT局長と土佐高知さんたちを発見。急いで2枚ほど記念撮影したあと、ゴールから100m離れたところに陣取り、スタートの瞬間を待ちます。
「スタート1分前!」のコールとともに、サッとランナー・観客の双方に緊張感が走り、5時30分、号砲とともに、今年も1500名のランナーが100km完走目指してスタートしました。
スタートはデジカメで動画撮影したので、ここでは容量オーバーでアップできませんので、代わりにウルトラマラソン公式HPの動画をご覧下さい。
さて、紅星は100kmランナーが遠ざかっていくのを見届けてから、自転車で6時ごろ帰宅。例年なら急いで荷物を引っつかみ、60kmスタート地点行きのバスに飛び乗るところでしたが、今回は再び布団にもぐり、川登でのサポートに備えました。
午後2時すぎ、T局長から頼まれたドリンク・ウィダーインゼリーと、バナナ、ポータブルソルト、チョコレート、エアーサロンパスなどを保冷バッグに詰め込み、今度は川登へ自転車で。
朝方は曇りがちで涼しいくらいでしたが、この時間になると天気もよくなり、ちょっと暑いくらい。例年、この日は天気が良いことが多いのですが、ランナーからすると、25℃を超える気温はちょっとしんどいです。
来年に向けてのトレーニングも兼ねてと自転車で向かったのはいいのですが、途中に結構急な坂があり、足が軽い筋肉痛になりかけながら、午後3時過ぎ、川登に到着。
この川登は100kmランナーは87km地点、60kmランナーは47km地点にあたり、ゴールまではあと一息である一方、疲労がピークを迎える地点でもあります。紅星も、例年この辺ではもう足が上がらなくなります。
しかし、ここ川登は車が置きやすい場所が近くにあるのでサポートや近隣住民の皆さんが大勢詰めかけ、ランナーに「お疲れさま、あと少し!」「頑張って!」と声援を送り、その声援に疲労の極みのランナーも気力を復活させて力強い走りを取り戻す場所でもあります。
紅星も、走り来るランナーに去年の自分の姿を重ね合わせ、声援を送りながら写真を撮らせてもらいました。
写真を撮っていると、「疲れていても、声援とカメラを向けられたら自然と笑顔になり、走る力も湧いてくるんですよねぇ」と、あるランナーの方が走り抜ける時に声をかけてくれましたが、皆さん疲れているはずなのにいい笑顔を向けてくれるんですよね。こっちも撮り甲斐あるなあとつい張り切っちゃいまして、3時からここのタイムリミットの5時45分までに、何と500枚近くも撮っちゃいました。
紅星の知り合いでは、3時55分頃にM本さん(100km)、4時10分頃に四国銀行のYさん(100km)、そして5時ごろだったかに、先日メダカが縁で知り合いになったAさん(60km)が、無事通過していきました。M本さんとYさんは写真撮れましたが、Aさんが参加しているとは知らなくって撮り逃してしまった。残念。
タイムリミットあと少しになった5時半、不意に携帯が鳴り、誰だと取ってみるとT局長。何でも71km地点でタイムオーバーとなり撤収され、中村高校のゴール地点に戻ってきているとのこと。局長の回復力を持ってすれば今年は完走するだろうと思っていましたが・・・。もっとも、このウルトラマラソンというやつはちょっとしたことが大きな差となって現われたり、時の運のようなものも働いたりするので・・・
局長には「お疲れ様でした、明日は無理しなくていいですからゆっくり休んでください」と告げて電話を終え、他の知り合いの村上さん、土佐高知さん、M木さんの通過を待ちました。
※ちなみに、T局長は例によって翌日何事もなかったかのように出勤してきました。本当に、この人の回復力は驚異的なものがあります。多分、練習方法とか、走り方とか変えれば難なく完走するんじゃなかろうか・・・?
結局、あとの3人も制限時間の5時45分まで姿を現すことはなく、上流の関門で時間切れになったらしい。今度は、一路ゴール地点の中村高校グラウンドに自転車を飛ばします(考えたらこの日、自転車だけど40km以上走っているんだよね・・・)。
急ぎに急いでゴール地点に着いたのが午後6時半頃。ちょうど川登で会った人たちが次々にゴールのテープを切っているところでした。
村上さんや土佐高知さん、M木さんの結果が気になったので、まず情報板を見に行ってみると、村上さんは56.6km地点(半家の坂を下ったあたり)、土佐高知さんとM木さんは79.8km地点(久保川休憩所付近)で惜しくもタイムアウトとなり撤収されたらしい。他にも、毎年60kmを完走する前大月町議のIさんがリタイア名簿にあったりして、今年は意外にも厳しいレースだったようです。
あと、後日土佐高知さんのブログで知ったのですが、自民党の中谷元衆議院議員も60kmの部に参加されていたらしいです。惜しくも途中でタイムアップとなってしまったようですが・・・。
中谷さんも、総選挙の日程に気が気でなかったことでしょう。とにかく参加出来てよかったですね、そしてお疲れ様でしたとエールを送りたいです。
ウルトラランナーには、自民党でも、創価学会の三色旗つけて走っていても、やっぱり同じ四万十ランナー、「頑張って!!」と応援したいのです。
さて話を戻して、ランナーではなく、一観客としてゴールシーンを見るのはこれで二度目ですが、やはり60km・100kmの道のりを走り終え、晴れ晴れとした笑顔でゴールするランナーは感動的です。
7時半のタイムリミットまで2分を切ったあたりから、ランナーの人たちも最後の力を振り絞って全力疾走で飛び込んできます。紅星も、去年の自分がフラッシュバックしてきて、思わず拳を握り締めながら声援に力が入りました。
左の人が残り30秒弱、右の人は残り3秒で劇的な時間内FINISH!見ているこっちまで思わず興奮してしまいました。
惜しくも時間内にゴールできなかった人も、最終関門(94km地点)を制限時間内に通過していれば、ゴールまで走ることができます。残念ながらゴールのメダルはもらえませんが、皆さん、そんな事はどうでもいいというように晴れやかな笑顔でゴールしてきます。そして、これが全国からランナーが参加したがる理由の一つですが、ラストランナーがゴールするまで止まない声援。
今年のラストランナーは8時少し過ぎにゴールしましたが、100kmの道のりを14時間30分!時間内じゃなくてもやはり凄い!!
よしっ、結果はどんなみっともなくっても、来年は100kmに挑戦するぞ!
そう決意し、昨日の土曜日から練習開始!・・・したんですが、15km程度で膝はガクガク、ふくらはぎと太ももは筋肉痛・・・こんなんで100km走れるんだろうか???
ま、来年の10月18日をご覧あれ!
【補記】 川登とゴール地点で撮りだめた500枚以上の写真、どうにかしてランナーの皆さんに届けられんろうか?と思い、市の社会体育課に電話したところ、番号が分かる人の分については送ってもらえる事になり、画像データの入ったUSBメモリを渡してきました。良かった♪♪
今回もお読み下さり、ありがとうございました☆
もし興味のある方は、過去の紅星のウルトラマラソン奮闘記(?)
『9条ランナー、四万十を駆ける・・・って書くと、何かカッコイイね』(2006年 第12回大会)
『左足が痙攣しつつも、意地で60km完走!』(2007年 第13回大会)
もお読みいただけたら嬉しいです☆
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