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TOP > 2011年春期アニメ > パンツまたは便所のこと 『アスタロッテ/戦国乙女』
パンツまたは便所のこと 『アスタロッテ/戦国乙女』 2011.05.20
まずはパンツの話から。
釘宮病患者のための向精神薬として局所的に猛威を振るっている「アスタロッテのおもちゃ!」その第6話において描かれた、優れたパンツ表現についてここに書き残しておきます。
今回の話では、「主人公の娘」というあまり類を見ない属性を与えられたパンツはいてない幼女・明日葉が、文字通り「鍵」を握ることになりました。
簡単に流れを振り返ってみると、大賢者さまに会うためドラゴン的な生物に騎乗位で搭乗し出発するわけですが、その際、珍しくパンツをはいている様が映し出されます。
次いで、大賢者さまに謎掛けを提示された際、明日葉が脱ぎたてパンツを差し出すことにより扉がくぱぁする、というものでした。(大賢者さまのうさ耳と、パンツのうさぎ柄を合わせ絵にするという細かい演出も素晴らしい)
(パンツを脱いで開放されるのが「二つの穴」であるというのも示唆的に映ります。)
ここで重要なのは、明日葉が普段はパンツをはかない存在であるということが、これまでの話で繰り返し強調されてきた点にあります。
我々はいつの間にか、明日葉がパンツをはいている状態に違和感を感じるようになっていた、この場において、パンツが「異質なもの」として映ったはずです。
だからこそ、普段は所有されていない異質なアイテム=パンツが扉を開くための「鍵」になることに不自然さを感じなかったわけです。
これが例えば普段からパンツをはいているキャラだったらどうだったでしょうか。
脱ぎたてのパンツは確かに人の心を開くに値する存在かもしれませんが、パンツによって扉を開けた大賢者さまは変態の謗りを免れなかったことでしょう。
しかし実際には、この時のパンツは、RPGなんかでよく見る「キーアイテム」として用意されていたわけですから、それによって扉が開かれるという現象はどこにも不自然な点は見当たらないと、そういうわけです。
こうした、キーアイテムとして機能するパンツは、これまでのパンツはいてない描写の積み重ねであると言えますが、実は物語の鍵としてだけでなく、もう一つ大きな意味が込められています。
明日葉がパンツはいてないキャラであることは前述した通りですが、この幼女は、これまでにいくつかの作品で描かれてきた「パンツはいてない」――例えば「咲-Saki-」や「Aチャンネル」など――とは一線を画しています。
それは、これまでの「パンツはいてない」が、実質的にはパンツをはいているがあえて「描かない」ことによる「パンツはいてないから恥ずかしくない」という、パンツ規制へのカウンター的な側面を持っていた、つまり制作者側の都合によるメタ視点での表現であったのに対し、明日葉の「パンツはいてない」は、作中人物の意思によってはいてない、ネタ視点の表現であるという点にあります。
このことは、ある一つのメッセージを浮き彫りにします。(まるでパンツに浮き彫りになる縦筋のように!)
明日葉のノーパンツスタイルは、先ほど述べたように、自分の意思によるものですから、「パンツはいてない」というよりは、「パンツはかない」と表した方が適切でしょう。
そして、そうしたパンツの「はかなさ」はそのままパンツという存在の「儚さ」に直結します。
普段は人目に触れることなく、草場の陰(性的な意図はない)から我々の生活を見守ってくれているパンツ。
因果律の積み重ねにより、時々ほんの数瞬だけ我々の前に現れてくれるパンツ。
紳士的な休憩所でご対面した時には、すぐに脱がされてしまうパンツ。
そういった、パンツという存在の「儚さ」を表現するための「パンツはかない」描写、そしてその「儚さ(=はかなさ)」が、これまた儚い存在である「幼女」――幼女という期間は人間の一生においてあまりに短命である――によってなされている。このことに我々は切なくも美しい情緒を感じずにはいられません。
つまり、この作品における「パンツはいてない」は、「パンツ/幼女」の「儚さ/はかなさ」が幾重にもミーニングされた意義深い表現だったのです。
今回取り上げた「鍵」としてのパンツにしても、一種の演出装置として「脱がされるために」用意されていたわけですから、そこには「消えるために打ち上げられる」花火のような日本的な美意識を感じ取ることが出来るでしょう。
非常に味わい深いパンツ表現でした。
といったあたりで、前座はこのぐらいにして便座もとい便所の話に移ります。
この第6話では、パンツもさることながら、大変興味深い便所描写がなされました。
ロッテさまが人間界の便所の洗礼(ウォシュレット的な意味で)を浴びるシーンです。
よく、外国人が日本に来た際には、ウォシュレットに感動または驚愕すると言われます。逆の場合もしかり、例えば中国なんかでは間仕切り壁のないフルオープンな便所が話題になりますし、水洗ではなく所謂ボットン便所が主流の国もまだまだ多い。
便所の様式は異文化交流における最重要項目であると言えるのです。
そうした中、ロッテさまはその幼いながらも発育途上の青い果実のような瑞々しい肉体によって精製された黄金色に輝く聖なる液体をまだ開発されていない閉じた蕾のような深淵への出入口を通して外界へと排出なさっていたわけですが、そこで「ウォシュレット」という近代科学の最先端技術の結晶に直面するわけです。
ファンタジーとサイエンスの交錯です。
こういった、異文化における便所の様式の違い(個人的に「トイレーションギャップ」と名づけたい)が臆することなく描かれた事実は賞賛に値します。
便所論壇的に大変意義のあるシーンでした。
ちなみに、このウォシュレット描写が、実はアバンタイトルの時点で
“花ビラ”に水をぶっかけるという形で示唆されていた点は見逃すわけにはいかないでしょう。
最初から既に伏線が張られていたわけです。
思えば、この作品は、そもそもの物語の起点が、主人公が金髪巨乳サキュバス(CV:皆口裕子)の肉便器になったというところにあるわけですし、そういった意味でも、なるほど確かに「便所的」な作品であると言えるでしょう。
先述のパンツ表現と合わせて、ますます目が離せない作品になってきました。
ところで、便所と言えば「戦国乙女」でありますが、前回の舞台の便所化に続いて、第6話においても、その便所的な目配せはしっかりと行われていました。
この回は、主に回想シーンがメインとなり、例えばミツヒデとノブナガの出会いや、騎乗位での初デートの様子、そして休憩に適しているであろう個室において
(女同士であるがゆえに)男性器の代わりに「茶」を勃てるという性的な描写が無修正で描かれたり、その際にはノブナガさまが「お前の頭は石よりも硬い」と、まるで男性器への感想であるかのような評価を口にしていたりなど、ミツヒデこそが挿入する側、つまり「攻め」であったことが示唆されました。
この時の、休憩に適している淑女的な個室が、あたかも便所の個室であるかのように見えるかどうかはさておき、問題なのは後半、ノブナガさまの回想によって語られたノブサダお婆ちゃんの言葉でした。
「水を制したものが国を制する」
これを便所的な発想と言わずして何と言いましょうか。
(この時代、恐らくもっとも水を制していたのは、水洗便所に並々ならぬ情熱を注いでいた武田シンゲンであったでしょうが、彼女がケンシンとのイチャイチャに終始せずに本気で国盗りを狙っていたら、もしかしたら日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。)
この、「水を制した~」発言は、本編へとそのままフィードバックされます。
「スイッチを押すと水が流れる」というきわめて便所的なシステムは、舞台の便所化だけでなく、水を流すことによって外部への突破口を開く、という描写によって、ノブナガさまの便所レベルのアップ、「水を制する」に一歩近づいた事実があらわされています。
一方、ノブナガさまとヒデヨシちゃんが水に流されている頃、快便乙女であるところのミツヒデさんは、何らかを洗い流すかのような雨に打たれながら、「水場」の側でマサムネ先生と会談乙女を行っていましたよね。
そして、ノブナガ/ヒデヨシの排水乙女と交錯した時――
まるで何かしらを洗浄せんとばかりに「ウォシュレット」が起動したわけです。
(もちろん、アバンタイトルで“花ビラ”が水に打たれる様が映し出されていた伏線も忘れてはならない)
ここまで高い水準で便所化された物語を見せ付けられた今、我々はもうこの作品を便所なしに語ることは出来ません。
今こそ高らかに宣言しましょう。
便所を制したものが天下を制する、と。
以上。
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