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TOP > 2010年05月
荒川UTBにおけるパンツに関する所感 2010.05.24
そろそろ梅雨の季節ですね。
真夏レベルの殺人太陽光線が降り注いだかと思えば、次の日には地上に住まう人々の浅はかさを嘲笑うかのような豪雨が降り注いだり、もはや暑いのか寒いのかもよく分からない、一体今が何月なのかさえも忘れてしまうような気象が続いていますね。
そのうち日本という国は春夏秋冬ではなく“雨季”と“乾季”に分かれるようになるのではないか、などという妄想が頭を過ぎりもする今日この頃、読者諸兄はいかがお過ごしでありましょうか。
俺の方はと言うと、非実在病弱な妹の看病をしたり、非実在幼なじみのツンからデレへの移行を阻止したり、非実在エロ幼女の保健体育の家庭教師をしたりと、10日間もブログを放置する程度には忙しい日々を送っております。
まあ、元々週1回か多くて2回ぐらいのペースで更新出来りゃあ上々だろうというぐらいの軽い気持ちで自己満足のために始めたブログでありますので、誰に強制されているわけでもなし、10日程度間を空けたぐらいでは誰の得にも損にもならないであろうことは明白なわけでありますが、とは言え、最近ではその自己の満足すら満たせない状況が続いておりましたので、ここいらで一発ガツンと更新しておくか、と筆を取らせていただいた次第でございます。
と、いったところで、更新ペースが落ちたことに対するロクな言い訳も思い付かないまま、早速本編へ突入します。
本日取り上げますのは“荒川アンダーザブリッジ”の第6話でございます。
この第6話においては、ニノさん(マジ天使)の健康的なスクール水着が描かれました。
思わずテレビの画面をペロペロしたくもなりますね。
さてここで、我々はある一つの画面演出に着目しなければなりません。
ニノさん(マジ天使)が川に飛び込んだ直後に表示されるタイムカウントです。
このタイムカウント描写を目の当たりにして、ある人気アニメ作品を思い出した人は多いはずです。
そう、“荒川”と同じ「新房/シャフト」アニメである“化物語”で描かれたパンツですね。
だいぶ以前に当ブログでも何かの記事で指摘しましたが、この「タイムカウント+パンツ」という表現は、新房監督の右腕、大沼心監督による“バカとテストと召喚獣”における“パンチラ”シーンで活用されることになります。
ここでは、“化物語”のような物理的なパンツ描写ではなく、「タイムカウント+パンツ」という図式を「タイムカウント=パンツ」という等式に置き換えた、心理的なパンツ描写がなされています。
また、このタイムカウントパンツは、新房/シャフトという文脈を離れ、“とある科学の超電磁砲”へも飛び火しました。
こうして、一度「新房/シャフト」の手から離れたタイムカウントが、しかし再び元の鞘に戻ってきたという現象に、何かしらの意味合いを求めてしまいたくなるのが紳士の性というものなのでしょう。
何か納得のいく答えが見出せないものか、新房監督からのメッセージはどこにあるのかと、(決して性的な目線ではなくあくまで映像表現研究の一環として)食い入るように画面を見つめているうちに、ふと一つの奇妙な違和感に気付きました。
その違和感とは、何のことはない、ニノさん(マジ天使)の纏っているそのスクール水着です。
スクール水着とは、読んで字の如く「水着」であるわけですから、そもそも「パンツ」とは何の関係もないどころか、2008年に放映された伝説的なパンツ擬人化アニメ“ストライクウィッチーズ”において
「パンツじゃないから恥ずかしくない」などと宣言され、あまつさえ「これはズボンである」と、不名誉なレッテル貼りまで行われていました。
しかしその一方で、「いや、あれはどうみてもパンツだろ」と、声には出さないまでも心のどこかで思い続けていた人も少なからずいるはずです。
そうした、声にならない弱者の声に対する一つの解、それが、この“荒川”におけるタイムカウントなのですね。
“化物語”での「+パンツ」に始まり、バカテス―レールガンという流れを経る中で「=パンツ」へとその意味を変化させた「タイムカウント」は、つまるところ「このスク水は“パンツ”である」という宣言に他なりません。
つまり、“ストパン”によって一度は「パンツじゃない」と宣告された“パンツのような何か”の再定義が行われたわけです。
ニノさん(マジTENGA)の身に付けている何かしらは、今この場においては紛れもなく“パンツ”なのだと。
一度は新房監督の元から離れ、その意味するところを変換された上で再び戻ってきた「タイムカウント」によって、我々は今こそ、胸を張って宣言することが出来るでしょう。
「それはパンツだから恥ずかしいよ!」
と、いったあたりで、若干駆け足ではありますが、たった一つのパンツ描写を殊更強調しては騒ぎ立ててあたかも画期的なパンツ表現であるかのように装う作業を終わりたく思います。
ありがとうございました。
キスシスに学ぶおしっこのマナー『kiss×sis 第5話』 2010.05.13
原作者の性癖、及び作品の方向性から、いつかは来るだろうと予想はしていたおしっこ回。
kiss×sis第5話です。
一つ予想外だったのは、放尿したのが二人のお姉ちゃんではなく、サブキャラの乳メガネだった点でしょうか。
(第1話以降ずっとスルーしてたのでキャラの名前は覚えてません。キリ)
前期の「ソラノヲト」なんかでは、割と上級者向けのおしっこ演出がなされていましたが、この「キスシス」においては、初心者にも理解し易く、かつ上級者からも一定の評価が得られる、幅広いニーズに応えられる優れた表現になっていました。
例えば、最序盤で描かれた台所の“水たまり”と、そこに滴る“水滴”であったり
降り注ぐ“雨”なんかは
「水=おしっこ」という、いささか安易にもすぎるメタファーによって今後の展開に対する伏線としていました。
また、“滝行”によって主人公が大量の水分を全身に浴びているシーンなんかも
この後行われるであろうアンビリバボーな奇跡体験への克明なプロローグとなっていましたよね。
(もちろん、劇中劇として、同じぢたま某原作のおしっこアニメ「充電ちゃん」が挿入された件に関しては指摘するまでもないでしょう)
こうした様々な伏線を経て、本編であるおしっこ描写へと進行するわけですが、このキスシス第5話においては、何と言っても「おしっこのマナー」を最初から最後までしっかりと、丁寧に描き切ったその心意気に紳士としての矜持を見たのであります。
ここでは、一級認定おしっこソムリエの資格を持つ不肖ワタクシめが、おしっこに関するマナーを順を追って解説していきます。
おしっこのマナー1:おしっこは我慢から
尿を催してもすぐに出しては(出させては)いけません。
おしっことは、我慢するところから始まるのです。
出す側にしても、我慢すればするほど出した時の解放感/快感が比例的に増幅しますし、テイスティングする側にとっても限界まで我慢したおしっこはより美味しく感じますよね。
「おしっこを我慢する女性は美しい」という絶対真理についてはもはや説明するまでもありません。
余談ですが、この作品では膀胱の中に溜まったおしっこの動向を「葉っぱの上の水滴」という形でモニタリングしています。
情緒溢れる美しい描写でした。
おしっこのマナー2:想像放尿
これは“出す側”の嗜みの一つですね。
異性の前で放尿を行うという、神代の頃から受け継がれし神聖なる儀式のイメージトレーニングとして、あるいは「この状況で出したらどうなるか」という学術的シミュレーションとして、特に初心者にお勧めしたいプレイです。
想像することで、具体的な放尿のイメージを構築します。
おしっこのマナー3:テイスティング
さて、準備が整ったらいよいよテイスティングです。
テイスティングといっても、何も本当に飲む必要はありません。
(俺はもちろん最後まで飲み干しますが)
重要なのは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを総動員して全身で“味わう”ということなのです。
そういう意味でも、この作品で描かれたバックショルダースタイルはオーソドックスな形と言えるでしょう。
他のオーソドックスな形式ではダイレクトマウススタイルやヘッドシャワースタイルなどがありますが、今回は比較的アクロバティックな、中級者向けのものが描かれましたね。
また、ここではパンツ越しで放尿がなされていますが、パンツというフィルターを通すことで不純物が取り除かれ、おしっこがよりマイルドに、美味しく感じられるでしょう。
まあ、難しいことは考えず全身でおしっこを感じましょう。
ちなみに余談ですが、今回描かれたおしっこはよく見かける黄色ではなく無色でした。
長時間我慢していたり、水分を摂り過ぎた時なんかは無色になりがちですが、無色のおしっこは肝機能の低下や、最悪の場合は糖尿病のフラグにもなりますので、気を付けておいた方がよいでしょう。
おしっこのマナー4:アフターケア
おいしく頂いたあとはしっかりと後片付けをしましょう。
昨今、様々なおしっこアニメがありますが、このアフターおしっこをちゃんと描いた作品は少ないですよね。
後片付けという紳士の心得をしっかり描写してあることが、実は今回の記事で最大のポイントです。
聖尿(しぃーマ)を提供してくれた女性に対し、最大限の礼を尽くし、また、儀式場への感謝の気持ちを持って、しっかりと後片付けするのは紳士にとって必要不可欠なマナーです。
(もちろん、俺ぐらいの上級者になると一滴も残さず飲み干すことも可能ですが)
また、片付けの際に、おしっこの匂いを嗅ぐという描写もなされましたが
これも重要な要素で、通常、出したてのおしっこは無臭ですが、病気の時には出した直後であっても異臭を放つことがあります。
相手の体調にもしっかりと配慮する、まさしく紳士たるに相応しい振る舞いでした。
と、いったあたりで、急遽開催されることとなったおしっこマナー講座を終わりたいと思います。
それにしても、このおしっこへの拘りようは一体何なんだろうかと、どれ、一つ監督の名前でも調べてみるかとウィキ=ペディア教授を訪ねてみたところ
監督:名和宗則
聖痕のクェイサー(2010年)スーパーバイザー
ああ、変態なんですね。
了解しました。
残念なことに今後この作品を見ることはないとは思いますが、もしも絆創膏の方のお姉ちゃんのおしっこ描写が出てきた際には光の速さで教えて頂きたく思います。
では。ノシ
縞パン人気を探る~ある一方的な解釈~ 2010.05.04
本日はパンツの話です。
今までずっと“分からない”ということを言い訳にして、見ないフリをして、あるいは考えないように自分の心を押し殺して、そうやって避け続けてきた一つの問題。
『縞パンはなぜ人気があるのか』
縞パンの魅力とは一体何なのか。
この、人類史上最大のミステリィに挑戦し、その謎を解き明かし、ニッポンの、いや、世界の夜明けとしたく、筆を取らせていただいた次第でございます。
国家も、人種も、宗教も、パンツの前では皆等しく無力であり、言語の違いも、文化の違いも、パンツの前では何らの意味もなし得ません。
遍く全ての子どもたちをパンツは優しく、力強く時に厳しく包み込むでしょう。
あらゆる大人たちをパンツは導き、励まし、愛を、平和を、理解を教えてくれるでしょう。
かの有名なキング牧師は言いました。
「I HAVE A PANTS」
シーサー、ユリウス・カエサルは言いました。
「パンツは投げられた」
アイザック・ニュートンはパンツがズリ落ちるのを見て万有引力の法則に気付きました。
ガリレオ・ガリレイは片足に引っ掛かったパンツの揺れを見て振り子の等時性を発見しました。
ニコラウス・ コペルニクスは極部を中心としたパンツの動きを見て地動説を確信しました。
と、若干話が逸れてきたので本題に戻します。
そう、なぜ縞パンが人気なのか、という難解にして深遠な命題です。
1.記号としての汎用性
昨夜の話ですが、就寝しようと布団の中に入ってパンツのことを考えていたら、ふと一つの衝撃的な仮説が思い浮かんだのです。
発想の逆転と言いますか、今まで考えもしなかった可能性が突如として閃いたのです。
「実は人気があるから縞パンが多いのではなく、縞パンが多いから人気があるように錯覚しているのではないか」
つまり、人気ありきの縞パンではなく、縞パンありきの“人気”であると。
この可能性に思い至った時、俺は布団の中でえらく興奮しました。
寝るのも忘れて思考に没頭してしまいました。
縞パンの前に、先ずはもう少し大きな括りで「柄ものパンツ」に着目してみましょう。
この柄ものパンツ(いちごパンツ、クマさんパンツなど)には、心理効果の一つとして「少女性の強調」というものがあります。
どういうことかと言いますと、通常、成人した大人の女性は柄ものパンツというものをあまり着用しません。
我々は、男女問わず、「柄もの=子ども」という半ば勝手な“偏見”を抱いているのです。
そして、事実、柄ものパンツを着用しているのは大人よりも子どもの方が圧倒的に多い。
逆に言えば、柄ものパンツを着用させることによって、そのキャラクターの少女性(処女性)、平たく言えば「幼さ」を演出することが出来るのです。
では、なぜいちごやクマさんなどではなく“縞パン”なのか。
なぜ縞パンだけが他を圧倒するほどの地位を得ているのか。
そこで重要なのが表題の「記号としての汎用性」です。
記号としての汎用性とは、まず第一に“描きやすさ”が挙げられます。
例えばクマさんパンツと縞パンでは、作画する労力が変わってきますよね。
平面的な“そのもの”のイラストならともかく、女の子がはいているシーン、あるいは半ばずり落ちていたり、ケツに食い込んでいたりなどしたら、そのディテールの表現には結構な神経を使うことになるでしょう。(描き慣れた“プロ”ならばともかく、素人レベルなら尚更です)
そう、縞パンは“描きやすい”のです。
第二に、キャラクターに対する互換性が挙げられます。
キャラクターの“少女性”を演出する装置として記号化された“縞パン”は、描きやすさ(=使いやすさ)と同時に、多くのキャラクターへの互換性が備わります。
例えば前述の“クマさんパンツ”なんかでは、そのイメージが重しとなって「幼すぎる」という印象を与えてしまう要因となり得ます。
(昨シーズンまで放映されていた“とある科学の超電磁砲”なんかでは、そのイメージを逆手に取って御坂美琴という人物の“ギャップ”を演出していました)
イメージとして少々幼すぎるアニマルパンツではなく、縞パンを選ぶ理由はここにあります。
つまるところ、「縞パンを着用する年齢層」というのは、アニマルプリントを着用するほどの幼女でもなければ、セクシーな黒レースなんかを着用するまでには成熟していない、少女性を保ちつつ大人の階段昇るシンデレラ的な微妙なお年頃の女性、即ち非実在青少年であるわけですね。
アニメや漫画よりも、実はエロゲーのヒロインにこそ、その爆発的な広がりが確認される縞パンにおいては、まさしく非実在青少年と呼称するに相応しいキャラクターたちの、少女性と成熟性の狭間、“成長途中”あるいは“発展途上”とでも言うべき微妙な立ち位置を明確に演出するツールとしての汎用性が極めて高いと言えるでしょう。
そして、こうした演出装置としての汎用性と、単純なボーダー柄という“描きやすさ”によって、“記号”としての価値が高まり、結果として縞パンが氾濫することになったと、そう推測します。
2.記号の定着
さて、前項においては縞パンの“記号”としての汎用性に着目しましたが、その結果として、「縞パンは人気があるから描かれるのではなく、制作者側の都合によって描かれている」という推論が導き出されました。
(あくまで“推論”であって明確な解答ではあり得ません)
ここでは、その記号化された縞パンが、なぜ今日のような支持を得るまでに至ったのか、その理由を考えてみます。
一つには“刷り込み効果”が挙げられます。
あるいは“サブリミナル効果”と言い換えることも出来るでしょう。
つまり、我々は無数の縞パンを繰り返し見せつけられ続けることによって、「パンツ=縞パン」ひいては「縞=パンツ」という、パブロフのバカ犬も驚くほどの固定観念を植え付けられています。
(ニコ厨が「テレビの画面にコメントが流れないと落ち着かない」と言うのと同じですね)
また、縞パンには、例えば“無地”のパンツに比べて「立体感が強調されやすい」というメリットがあります。
尻や極部の曲線によってボーダーが微妙に歪むことで、その歪みによって二次元の絵に立体感(=リアリティ)が生まれ、扇情的なラインを精製することが出来ます。
つまり、エロイのです。
加えて、前述の通り、サブリミナル効果によって「ボーダー=パンツ」という刷り込みを得ている我々は、縞パン文化に触れたことのない貧弱な一般人に比べて、パンツを“認識しやすく”なっています。
ほんの一瞬描かれるパンチラであっても、そこにボーダーがあれば、我々は即座に「これはパンツだ!」と認識することが出来るでしょう。
(無地の白パンなんかだと、角度や描写の仕方によっては“スカートの裏地”との判別が難しかったりしますよね)
こうした、様々な視覚的有用性によって、クリエイターサイドだけでなく、ユーザーの側から見ても、縞パンというものの効用が認められ、また、刷り込みによって「縞じゃないと落ち着かない」という、半ば中毒じみた現象が起こっているのではないか、と推測されます。
(ちなみに、もしかしたら「横縞=よこしま=邪」という押韻によって無意識の内に「縞パン=エロス」という概念を定着させ、無自覚的に縞パンを求めてしまう、などという心理効果もあるかもしれませんが、心理学のことはよく分からないので割愛します)
最後に、もう一つ精神論を述べておくと、縞パンの“縞”とはボーダー(border)であり、ボーダーとは即ち“境界”を意味していますから、そういう意味でも「幼女と大人の境界線」を表現するに相応しく、また、パンツという限定空間の中で延々と繰り返される“境界”は、その連続性/継続性を以って“少女”という、極めて短い刹那的な“美”を“横縞の檻”の中に閉じ込めよう、閉じ込めてしまいたいという、我々自身の願望の表象なのかもしれません。
と、夜寝る前に思い付いた試論を殴り書き程度にまとめてみましたが、この「縞パン」という叡智にはまだまだ隠された真理が秘められているはずです。
パンツについて深く考え、想いを馳せる。
これ以上ない有意義なゴールデンウィークの過ごし方となることでしょう。
今日ここで発表した論考は、決して“正しい答え”ではありません。
いや、きっと“正しい答え”などというものは存在しないのでしょう。
今回は“制作側の都合”という一つの試論をでっち上げましたが、きっと皆さんの中にも様々な主張/意見があると思います。
また、これまでパンツについて考えたことがなかった人も、これを機に、ご家族や恋人、友人らと語らってみてはいかがでしょうか。
きっと素敵なゴールデンウィークの思い出となるはずです。
といったあたりで。
ではっ。