水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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TOP > 2010年06月

死んだ世界のレクイエム~あるいはBLや百合のコト~『Angel Beats! 最終話』   2010.06.29



先日無事に(?)最終回を迎えましたAngel Beats!でございます。


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最初から最後まで賛否両論な作品でしたね。
個人的には作品云々よりもむしろ各地で行われる議論を眺めているのが楽しかったり。


まあ何はともあれ、最終回の卒業式まで残っていたのが、音無×直井×日向というガチホモ戦線、及びゆりっぺ×天使ちゃんというガチユリ戦線の5人であったというのは極めて象徴的だったのではないでしょうか。

この作品では、物語開始当初から既に濃厚なBL描写がなされていましたが

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やっぱりガチホモアニメでした『Angel Beats! 第2話~第4話』



終盤になると、ゆりっぺから天使ちゃんへの“デレ”が覚醒し、この作品がBLだけでなく“百合”も視野に入れた作品であることが明らかになりました。


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「もしかしたら、もっと仲良くヤッていられたかもしれない。女の子同士なんだから」



もっとも、今となっては「ゆりっぺ=百合っぺ」というあからさまなミーニングにもっと早くに気付いておくべきでしたし、物語の最序盤において、この作品はNPC(ノンケ・プレイヤー・キャラ)ではない人物たちの物語だと示されていたわけですから、もはや百合だのBLだのといった指摘も遅きに失した感は拭えません。

ですので、今回は、作品全体を通してのBL/百合表現については一先ず保留して、最終回における物語の解読に終始したく思います。


この最終回では、ほぼ一話丸々使って“卒業式”が描かれました。


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“卒業式”というのは間違いなく「何かしらの穴の処女からの卒業」を指しているのでしょう。
そうでなければ話の辻褄が合いません。

既に性的関係を持っていた音無×日向はともかく、そこに直井が参加したこと、また、卒業式自体が天使ちゃんの発案であることから、その時点ではまだ百合戦線及び直井は“処女”であったことが伺えます。

天使ちゃんが最後に望んだのが「処女からの卒業」であり、また、百合っぺや直井も同様の思いを持っていたわけですね。


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また、成仏とはつまり性的なエクスタシーの隠喩であることは明らかですから、日向が言った「奏ちゃん残して先にイクなよ。俺がイクって」という紳士的なセリフや

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「お前がいなかったらこんな終わりは(エクスタシー)は迎えられなかったアッー」というセリフにも合点がいきますし

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無事に処女を卒業した直井に対する

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「もうイケ」という音無の発言にも素直に頷けます。


この、「成仏=エクスタシー」というメタファーは、第12話において、ガルデモメンバーによる


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「私たちは“そういう”グループだ」という、このバンドが百合サークルであった旨の告白とともに


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「私たちはもうイク」と、絶頂に達する際の宣言によって裏付けられていました。


百合っぺが成仏する際の、天使ちゃんに対する「もっと色んなこと(プレイ)が出来たのにね…」との変態発言には多くの人が涙をのんだことでしょう。

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方々で様々な議論が交わされているラストシーンにおいては、「自分は音無の心臓をもらった」という天使ちゃんの告白がありましたが、これは天使ちゃんからの「自分は“男”の心臓を持っている=自分は“男役”である」という主張、つまり、自分こそが“攻め”の側なのだというアピールと見て間違いないですよね。

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そしてその際、音無は日向というボーイフレンドを差し置いて、あろうことか天使ちゃんへ向けて死んだ世界の中心で愛を叫ぶなどしたわけですが、「現世において自分がセクシャルマイノリティであるのは耐えられない」という複雑な心情を鑑みれば、何ら不思議なことではないと言えるでしょう。
(我々の住む現実世界においても同性愛者同士で結婚生活を送っている人は結構いますが、そうした仮初の夫婦生活を行ないながら、同性愛が受け入れられる“死後の世界”でガチムチライフを送りたいと思ってしまう気持ちは推して知るべきなのでありましょう)

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NPC(ノンケ・プレイヤー・キャラ)ではない主人公たち、彼らが生前受けた「理不尽」とはつまり、セクシャルマイノリティであるが故の差別や偏見に他なりません。

そうした事実を受け入れ、自分の気持ちに素直になり、エクスタシーに達した者から成仏していくのです。

だーまえ先生の本職はエロゲのシナリオライターなわけですから、「性的絶頂で成仏」というまさしくエロゲの設定と呼ぶに相応しい世界観も決して不自然ではありませんし、そこにガチホモやガチユリといったある種のタブーを盛り込んだ構成を俺は高く評価したいと思います。




と、いったあたりで、以上が最終回レビューでしたが、最後に、この作品全体を通して気付いたことを一つ。

この作品は、大雑把に言えば「現世に未練を残して死んだ者たち」の物語なわけですが、これって要するに所謂「地縛霊」なのではなかろうかと。
ゆりっぺなんかは下手したら怨霊の類になっててもおかしくないですよね。

そう気付いた時、我々はもしかしたら物凄くホラーな作品を見せられていたのではないかと思えてきたのです。


――誰もいないはずの体育館で鳴り響くバンド演奏


――謎の地下壕から聞こえる断末魔の悲鳴


――夜な夜な校舎に現れる斧を持った怪人


――宙を浮遊する竹ぼうき


そして――この話を聞いたあなたの元にも……



「お前の心臓をよこせぇぇぇぇぇ」



以上、お疲れ様でした。










簡易的ゲームレビュー『トトリのアトリエ』   2010.06.27



そういえばこのブログは「アニメやゲームのレビュー」を目的に作成されていたような気がするなぁ、などと思い出したまさにその時、俺の手元には最新のゲーム作品「トトリのアトリエ」が鎮座していたのでした。


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まだ二年目までしか進めてませんが、とあえず初見レビュー的な感じでメモ程度に感想など書き綴っておきたいと思います。
購入を検討されている方は参考にしてみて下さい。




○グラフィック

岸田メルさんがデザインしたパンツやブラジャーやおっぱいが驚異的とも言える再現率で映像化されており、それだけで十二分に買う価値はあると言えるでしょう。
どこかのおしっこ我慢アニメとは大違い。

前作では、立ち絵はともかく、フィールド画面や戦闘に入った時にどうしてもパンツの描写が荒くなってしまっていましたが、今作では原画とゲーム画がよりシームレスに繋がっています。

パンツRPGといえば、最近ではアルトネリコ3が話題になりましたが、こちらも負けず劣らず、いや、むしろパンツのグラフィックに関しては一歩も二歩もリードしています。
このパンツをより鮮明な画質で見るためにテレビの買い換えを検討してもよいとすら思ってしまいます。





○ストーリー

まだ途中なのであれですが、一応メインのシナリオは主人公の非実在青少年がお母さんの形見のパンツを探しに行くというものです。

が、基本的にアトリエシリーズには「ストーリー」というものはほとんどありません。
自分の判断で自由に各地を巡り、アイテムを調達し、その過程でパンツを探すのです。

もしもあなたがファイナルファンタジーやドラゴンクエストやテイルズシリーズのような「小説的な物語」を必要としているならあまりお薦めは出来ないでしょう。


ただし、この作品は、シリーズ通して言えることですが、本シナリオと連動する形で主人公の女の子の成長(性徴)が描かれていますので、そういった意味では「物語」も一応は存在します。

つまり、主人公の女の子が、いかにして大人パンツをはくに至るのか、母親に追いつき立派な大人の女性になるのか、といったところに主題が置かれています。

壮大な絵巻物ではなく、ごく身近な、それこそ今流行りの「日常系」と呼んでも差し支えないであろうレベルでの、例えば近所に住んでる女の子が最近妙に色気が出てきたなぁ、若干胸も膨らんできたなぁ的な成長(性徴)を喜べる人には十分楽しめるでしょう。





○システム

初めてこのシリーズをプレイする人は解説書とチュートリアルだけでは絶対に理解出来ませんが、以前からのアトリエユーザーであれば特に問題はないでしょう。

前作、ロリロロナのアトリエのシステムをさらに洗練させてあります。
また、前作よりもパンツが見え易く改良されており、基本的にパンチラし放題な点が、もしかしたら物足りなく思う人もいるかもしれません。
今まで同様最終的には賢者のパンツを練成することが目標になるのでしょうか。

何にせよ、「この子たちは一体誰の“金”を練りあげるつもりなんだろう」と疑問符を浮かべてしまうほどのパンチラシステムは一見の価値ありではないでしょうか。





○戦闘

アトリエシリーズはタイトルによって戦闘のシステムも難易度もパンツもマチマチで当たり外れが大きかったのですが、今回は非常によく出来ていると言えます。

特定の技を使うと盛大なパンチラが見られ、また、乳揺れの質感や腋の露出も申し分ありません。

ただ、それゆえに、パンツの攻撃力がインフレを起こしてしまい、若干ゲームバランスが崩れている感が拭えないので、手応えのあるパンチラを求める人には少し物足りなく感じることでしょう。


※コントローラを振ってもなぜか女の子がパージしないという致命的なバグがありますので、早急な修正パッチの配布が求められます。





○キャラクター

前作同様に岸田メルさんによるキャラデザですが、幼女からビッチまで多彩なキャラがおり、思わず全員一列に並べて順番にパンツを覗きたくなってしまいます。
男も含めて。

個人的な趣向で言えばトトリのお姉ちゃんなんかは足細くて巨乳でミニスカで最高ですし、メル姐さんなんかは黒パンツ見えまくりビッチで最高ですが、やはりなんと言ってもロロナ(22)の圧倒的な存在感は群を抜いているでしょう。

前作をプレイしていれば感動も一潮、「あぁ、大きくなったなぁ。色んな意味で」などと感慨に耽っては、22歳という“オッケーな年齢”に思わず胸が熱くなってしまいもしますよね。





と、いったあたりで。
トトリのアトリエ簡易レビューでした。

ではっ。

パンツ論争の終着点『迷い猫オーバーラン! 第12話』   2010.06.26



さて迷い猫オーバーランでございます。

サトジュンこと佐藤順一×カサヰケンイチという、思わずどっちが攻めでどっちが受けなんだろうと考え込んでしまいそうな布陣による最終回でした。


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第11話において「ブルマVSスパッツ」という強烈な無茶振りを受けたサトジュンがどのようなアンサーを提示するのかが注目されました。


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この、ブルマとスパッツという、まるで冷戦時代の旧ソ連とアメリカを彷彿とさせる対立は、我々視聴者からしても極めて重要な課題でした。
なぜならば、ブルマの側に与すればスパッツとの交流が途絶え、スパッツの側に付けばブルマが断絶されてしまう、あっちを立てればこっちが立たず、まあ、tnkが勃つのかどうかは別にしても、ブルマとスパッツとは常に反発し合う、決して相容れない、まさしく資本主義と共産主義の対立を思わせる絶望的な立ち位置のアイテムなのであります。


ところが、ここにきて、あたかも我々の股間をオーバーランさせんとばかりに、ブルマとスパッツ双方の“うま味”を吸い上げた第三世界として「ぶるっつ」という概念が提案されました。


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そしてこの「ブルマ:千世」「スパッツ:文乃」「ぶるっつ:希」という三者構造は、そのまま作品内におけるヒロインの立ち位置に接続されます。
つまり、ブルマとスパッツという伝統的な衣装の対立に対し、「ぶるっつ」という前衛的な衣装の提示/勝利は、古くからの“家族”である文乃と千世に対して新しい“家族”である希が勝利する=希ルートの確定という物語的な帰結へと繋がるわけです。

前話からの無茶振りを上手く活かした見事な演出でした。


また、演出という面では、序盤で見られた“光”によるパンツ演出が随所に施されていた点も印象的でした。

迸る光の奔流『迷い猫オーバーラン! 第2話』

継続する光の反乱あるいは氾濫『迷い猫オーバーラン! 第3話・第4話』



例えば、窓から眩しいぐらいの“光”が差し込む教室では


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恥ずかしげもなく眩しいぐらいのパンツがあらわになりましたし、前述の「ぶるっつ」がお披露目されたのも


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千世のグラサンが“光”を反射した直後でしたよね。

加えて、「ぶるっつ」がその攻撃力を最大にした立ちバッククラウチングスタートのカットでは、燦々と光り輝く太陽がその圧倒的な破壊力を祝福していました。


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こうした“光演出”を経て、感動のフィナーレへと向かいます。

この最終話は、希がおよそ始めてといってもいい“自己主張”を行う回でもありましたが

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何よりも、巧との二人三脚以上に重要だったのは、エンディングにおけるパンツのデザインに対する主張でした。

思えばこの作品は、文乃の縞パンに始まり

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希の無地パンで終わるという作品でした。

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もちろん、この始まりと終わりのパンツが、両方とも「主人公がスカートの中に頭を突っ込む」という構図で描かれていたことは決して見逃せません。

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そして、最後まで一貫して縞パンにこだわり続けた文乃

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無地パンをはき続けた希

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この両者の対決は、希(=無地パン)の勝利という一つの結論を迎えました。

つまり、この最終局面での希エンド(=無地パンツエンド)の選択は、「迷い猫オーバーランという作品全体に対するファイナルアンサー」になっているわけですね。

余計な柄が入った縞パンよりも、日本古来からの侘び寂びの心を写し取った無地パンこそが物語の終着点に相応しいという、サトジュンなりの様式美なのでありましょう。

縞パンが持て囃されがちな昨今の風潮に対する批評精神は、我々も大いに見習うべきところがありますね。

(さて、ここにきて文乃VS希というパンツ対立軸から外れた、インなんとかさんと中の人が同じ千なんとかさんとかいう似非幼女キャラが完全に空気化しているわけですが)





と、いったあたりで。

まだ総集編が残っているみたいですが、総評として、どうせ下らない有象無象のラブコメでしかないのならいっそ原作など無視して好き勝手やってしまえ、とりあえず“キャラクター”が動いていればそれでいい、あとは監督各人の“解釈”に任せようという、まさしくキャラクターコンテンツ(=萌えアニメ)と呼ぶに相応しい“同人誌”のような構造は非常に興味深い作品でした。
メディアミックスの極地を見た気がします。

(それにしても文乃かわいいなぁいい身体してるなぁほんとにもうこれでもかというぐらいウザイ娘だなぁこれはツンデレじゃなくてウザデレという新境地を開いてしまったなぁ…などという個人的な嗜好は恥ずかしいので内緒にしておきますね)



そんな感じで、俺の好きなアレやコレも同じようなスタイルでアニメ化してくんねーかなぁ、などと思いつつ。

ではまたっ。










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