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濃密なおしっこ描写に感動の嵐が吹き荒れる『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第八話』 2010.02.28
感動した!もう既に多くの同志によって語られてもいますが、この感動を少しでも多くの人に伝えたい、少しでも議論の発展に寄与したい、そんな思いから遅まきながら筆を取らせていただいた次第であります。
“電話のためにおしっこを我慢する”というのは何だか“トイレにまで携帯を持ち込む”と言われる昨今の若者の“携帯依存”に対する皮肉か何かかなぁ、などということを思ったとか思わなかったとか、そんな空前のおしっこ回として各地で話題沸騰、“ソ・ラ・ノ・ヲ・ト”第八話でございます。
正直、おしっこが何だとか、アヘ顔がなんだとか、セリフがなんだ、なんて話は既に至るところで語られ尽くされているわけですが、しかし、それでも尚、俺はこの感動を文章としてしたため、記録に残さずには居れません。
例えば俺が死んだ時、遺品整理の中からこの文章を保存したデータが発見されたならば、もしかしたら一族の恥だとか、こんな変態と一緒の墓には入りたくないだとか、そういった誹りを受けるやもしれませんが、それを思って尚、書かずには居れないのです。
だっておしっこが好きなんだもの
30分丸々を“おしっこ”に費やしたこの第八話。
先ずは巧妙な伏線の張り方に感服します。
何たらかんたらニン任務のために電話に張り付かなければならないという“状況”の提示。
第1121小隊の面々が次々と舞台を降りることにより生じる“責任”の加圧。
「手が離せない時に限って客が来る」という“物語的に極めて自然な形”での“水分”の摂取。
これだけの条件が整えばこそ、不自然にならず、必然性をもっておしっこを我慢させることが出来るわけですね。
そして、こうした伏線を最大限に活用しつつ、非常に優れた“おしっこ演出”が施されます。
例えば、カナタの“尿意”に見事に呼応する形で降ってきた雨の一雫。
最初の一滴(=初期尿意)が、やがて大きな雨音(=ヲシッコノヲト)へと変遷するその様は、これからカナタの身に起こり得るステキ体験を明確に暗示しています。
加えて、“洗濯物が濡れる”ということは、つまるところ“パンツが濡れる”ということを示唆しているわけですから、これもまた、カナタの身に起こるであろうワンダホー体験を明に暗に予言しているのでしょう。
また、ド変態神父によって作られた“糸電話”や、今にも千切れんばかりに延ばされた黒電話のコードは言うまでもなく“緊張の糸”を表現していますし
バケツに水を滴らせるという描写は、もしかしたらそこが“簡易トイレ”として機能するのではないかという期待を我々に抱かせます。
このあたりの描写は実に秀逸でした。
もちろん、アバンからも既に描かれていた、カナタの頬を伝う“汗や涙の雫”にしても
おしっこの代わりに分泌された“代替液”であることはもはや指摘するまでもありませんし、これ見よがしに配置された“空きビン”や、我々の期待通り、カナタ自身も一度は着目した“バケツ”の存在などは
思わず我々の身を乗り出させるのに十分な役割を果たしていました。
そして極めつけが最後の“放尿シーン”です。
我慢が限界を極め、ついにダムが決壊したかと思われたその瞬間
「BK201の星が…消えた…?」
感動した!
未だかつて、これほどまでに美しく、鮮烈なおしっこアニメがあったでしょうか。
一級認定おしっこソムリエを自称する俺は正直、涙を流さずにはいられませんでした。
(あ、もちろん、30分間我慢してたおしっこはちゃんとトイレでしましたよ?)
と、ここまでが簡単なおしっこレビューでしたが、実を言うと本当に大事なのはここからなんです。
この第八話で最も重要なポイントは、“おしっこ”は性描写ではないというところにあります。
規制だ何だと色々言われている昨今、様々な媒体が“性描写”というものに関して非常にナイーブになっています。
当ブログでも以前取り上げた“聖痕のクェイサー”なんかは、規制を気にするあまり地上波版では“全くの別物”を作らなければならない事態に陥っていたりします。
こうした状況の中、クリエイターの方々は様々な視点・解釈・演出によってパンツや全裸を描き、我々に“性”という悦びを提示して下さっているわけですが、そういった“隠し性描写”の一つとして、“おしっこ”というギミックが如何に優れているのか、その重要性に改めて気付かされました。
つまり、簡潔に言うと
生理現象だから恥ずかしくないもん!
これです。
何度も言いますが“おしっこ”は決して性描写ではありません。
イヤラシイ目で見る方がおかしい。
ですから、どれだけ真正面から描こうとも、規制や修正などとは無関係な要素なんですね。
このソ・ラ・ノ・ヲ・ト第八話で描かれたのは、“エロス”や“萌え”でもなければ変なフェティシズムでもない、ましてや吉野弘幸の個人的な異常性癖でもありません。
ここで描かれたのは生きるために必要なことそれ以上でもそれ以下でもなく、そうした大切なことを一切のオブラートに包むことなくしっかりと描ききった制作陣に、俺は心からの拍手と賛美を惜しみません。
そしてもちろん、地球上の大半の生物にとって欠かすことの出来ない生理現象なわけですから
これは断じて“アヘ顔”などではありませんし、また、「らめえええええええええええ」という台詞も決して性的な意味ではあり得ません。
どこにも性の要素など含まれていないのです。
もっとも、本来の意図とは違った解釈をするのは視聴者の自由ですから、人間が生きるために必要な生理現象を我慢している場面も
「これはパンツの中にローターを仕込んでいるに違いない!」などと想像を膨らませ股間を膨らませたとしても、それこそ誰にも咎められる筋合いなどないでしょう。
と言ったあたりで本日は締めさせていただきます。
ありがとうございました。
ちなみにですが、俺が一番おしっこを飲みたいキャラはユミナさんです。
俺もユミナさんにこんな顔で叱られたりしたいものです。
あるいは、限界までおしっこを我慢してるところを
ノエルちゃんみたいな表情で見下されたりするのも一興かもしれませんね。
では。ノシ
ハートキャッチプリキュア!に学ぶ新しい保健体育のはなし 2010.02.23
ハートキャッチプリキュア!を視聴しました。間違えてタイムスリップでもしてしまったのかと、思わず新聞の日付を確認してしまうほど“おじゃ魔女”にしか見えない馬越嘉彦によるキャラデザですが、その中でも一際目を引くのはやはり、その特徴的な“盛りヘア”でしょうか。
実は当方、恥ずかしながらプリキュアは白黒時代しか見ておらず、カラーになってからはとんとご無沙汰だったわけですが、確かに昔から髪は盛っていました。
昨シーズンまで放映されていたフレッシュプリキュアでも
このあたりはやはり女の子向けアニメなんですねぇ。
白黒の時から既に盛りヘアを取り入れるとは一体どれだけ時代を先取っていたのかと、今さらながらプリキュアという作品の奥深さを痛感しております。
そしてもちろん、盛りヘアという奇抜な創作表現について議論する掲示板では
などという指摘が成されてもいたわけですから、どうみても
“武器”として扱われていたとしても、何ら不思議なことではありません。
また、“盛りヘア”だけでなく、このところ一部の紳士たちの間で俄かに注目を浴びている“ウザかわいい”という概念もしっかり取り入れられているあたりは、やはりこの時間帯の枠が“大人も楽しめる”と好評される由縁なのでしょう。
こんなウザイ子の隣の席になったら俺なら登校拒否間違いなしですが、“けいおん!”の澪ちゃんや“咲-Saki-”の池田ァ!などの人気を見る限りにおいては、この蒼の子も大きな支持を得るであろうことが予想できますね。
さて、そんなハートキャッチプリキュアですが、今回はどうやら“性教育”が大きなテーマになっているようです。
もちろん、元来“子ども向け”に制作されている作品ですから、“性根のクェイサー”のようにあからさまに描写するのではなく、可愛らしくオブラートに包んで表現するという教育的配慮がなされています。
例えば、立派な男性器を指す“巨根”という言葉などは、“こころの大樹”という抽象的な表現に置き換えられています、
また、その“こころの大樹”が枯れて(萎えて)しまうのを防ぐために女の子が肉体労働を行うというストーリーは、少子化という問題を抱える現代社会へのある種の提言と見ることが出来るでしょう。
加えて、“女性器”の暗喩として語られることの多い“花”という要素が、物語に密接に関わっていることも決して無視することは出来ません。
世の男性諸君のお楽しみ、“変身シーン”なんかでは、花ビラの舞う中で刺激的な格好をしたお姉ちゃんが“回転”するわけですから
これはどう控え目に見ても花ビラ大回転のメタファー以外には考えられません。
更には、その変身シーンにおいて、種(=精子)が消費される様を描き出しては
それを“全身に振りかける”という描写までなされているわけですから
これがぶっかけプレイの暗喩でなければ一体何だと言うのでしょうか。
そして、枯れて(萎えて)しおれてしまった“こころの大樹”を、自らが持つ“大地に咲く一輪の花”をもって“元気に”してあげたならば、おしべ的な何かしらとめしべ的な何がしかが何らかの行為を交わした結果として
立派な
あるいは、第三話なんかでは、蒼の子キュアマリンによる盛大な潮吹きが描かれたりもしました。
このようにして見ると、“花咲つぼみ”という主人公の名前にしても、もはや女性器のビラビラ及びクリトリスの隠喩であるとしか思えません。
もっとも、つぼみちゃんの実家の“フラワーショップ”が風俗店の隠喩だなどという世迷い言を垂れ流すつもりなどは毛頭ありませんが。
以上がハートキャッチプリキュア!第1話~3話までのレビューです。
いやはや、最近は少女マンガなんかが結構過激に教育的だというのは聞いていましたが、プリキュアというのもなかなか鋭いとこ突いてきますね。
さすが深夜32時代といったところでしょうか。
今後も日曜日の眩しい太陽とともに女の子の保健体育をしっかり学んでいきたく思います。
ありがとうございました。
想像の臨界点に挑め!視聴者参加型クイズ番組「聖痕のクェイサー」 2010.02.21
人間は想像力を持つ生き物です。そこにあるはずのないものを空想し、時に現実以上のリアリティを以って我々に悦びを得ることができます。
イマジネイションの世界では我々は神にも等しい存在になれるのです。
とか何とか言ったら変な宗教の謳い文句みたいに聞こえなくもないですが、まあ要するにボケーっとテレビ見るばっかりじゃなくて、たまには頭使いましょって話です。
“視聴者参加型”を謳う番組はこれまでにも数多く放映されています。
最近では地上派デジタル放送の普及やインターネットインフラの拡大によって様々なバリエイションが確認できるようになりました。
こうした中、世の紳士たちを惹きつけてやまない新機軸アニメ作品といえば、表題にも挙げました“聖痕のクェイサー”ですよね。
一見するといい年した大人の悪ふざけにしか思えない作品ではありますが、その放映形態に着目してみるとなかなか面白い試みが行われています。
皆さんご存知の通り、この作品は痴情波もとい地上波での“規制版”の放送に加えて、インターネットサイトによる“規制解除版”の有料配信が行われています。
つまり、今までは「DVD(あるいはBD)を買ったら魔法が解けるよ!」などと嘯いては法外な値段で取り引きされていたパンツやおっぱいが、インターネットサイトからのDLによって非常に安価に、そして手軽に、乳手もとい入手できるようになりました。
そしてこの販売形態が、意図してなのか何なのか、この作品を“視聴者参加型アニメ”へと昇華させてしまったのです。
問1:次のカットに隠されたたった一つの真実を見抜け
解1:「許可しまぁふぅ!」
というように、作中で出題される「規制という名の連想クイズ」に我々は気付かぬ内に夢中になり、“答え合わせ”のために足しげく動画サイトへ通うことになるのです。
テレビとインターネットという二つのメディアを上手く連動させた、非常に秀逸な視聴者参加企画ですよね。
一部の野蛮な人たちの間では“解答編”が有料であることに対する批判めいた言論が成されてもいますが、そういう人たちは己の想像力の拙さをこそ自己批判すべきなのでしょう。
有料とは言ってもたかだか200円程度ですし、DVDやBDの発売を待つよりもずっと早く、安く“真理”を手に入れられるわけですから、俺なんかはむしろ凄く良心的な試みだとさえ思ってしまいます。
そもそも何でもかんでも最初から“答え”を教えてもらおうなどというお客様(笑)的発想が昨今のゆとり教育の(以下ry
一時期流行った“脳トレ”の派生として、皆さんもこの教育的クイズ番組“聖痕のクェイサー”で右脳を活性化させ、豊かな想像力を養ってみてはいかがでしょうか。
以上。ありがとうございました。