Author:Peace-AK
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パンツ/亀頭 『夏待ち/プリキュア』 2012.03.05
・イチカ先輩のパンツ問題(あの夏で待ってる)
随分長い間放置していたイチカ先輩のパンツ問題についてです。
どうしても腑に落ちないカットが一つ、イチカがお風呂に入っている時に映し出された脱ぎたての衣服。
その中にパンツとブラが見当たりません。通常であれば、パンツやブラは最後に脱ぐ=一番上に積み上げられるものですが、そこに描かれていたのはあたかも最初からパンツやブラなど存在しなかったかのような光景です。
女性特有のエチケットとして、衣服の中に隠す、という可能性も考えられなくはないですが
平気で風呂のドアを開けるような女性がそのような発想を持ちあわせているとは考えられません。
すなわち、イチカは最初からノーパン/ノーブラだった、またはこの世界には下着という概念が存在しない、このどちらかということになります。
以上が、以前書いたレビューでの問題提起でありますが、そろそろ結論を出してもよい頃合いだと思われます。
結論から言えば、第一話の時、イチカ先輩はパンツをはいていませんでした。「イチカ先輩だけ」が、パンツをはいていなかったのです。
なぜならば、美桜という人物の存在によって、この作品が「パンツ的に意識の高い作品である」と言えるからであり、例えば第六、七話におけるパンツはき忘れ事件とその弁明においては、そもそもパンツとは何なのか、何のためにはくのか、といったきわめてラディカルな問題を突き付けられます。
(先ほどイチカ先輩だけがパンツをはいていなかったと述べましたが、もちろんその時美桜もはいていなかった可能性は高い)
四月からの第二期が待たれる「咲-Saki-」を始め、「パンツはいてないアニメ」はいくつか確認されていますが、演出上の必要性によるもの(パンツ規制へのカウンター=パンツはいてないから恥ずかしくない)や、単なる作画ミスなど、その多くは「パンツはいてない」というよりは「パンツ描いてない」と言うべきものであります。
一方で、この作品での美桜という人物は、意図的に「パンツをはかない」わけです。そして、そのことが哲朗との仲を進展させるためのギミックにもなっている。
すなわち、脚本レベルで、あるいはキャラクター設定の段階で、パンツに対して強烈な意識が向けられていることが伺えます。
したがって、第一話での例のカットも、単なる作画ミスだとは言い難いわけで、そうなると導き出される結論は一つ、イチカ先輩は地球にやって来る際にパンツをはいて来なかった、ということになります。
また、そのことから、イチカ先輩の出身の星ではパンツ(というよりブラも含めた下着)という文化が発展していない、下着を身につける習慣がない可能性が考えられますが、その辺りはまあ置いておくとして、上述の事柄から、第一話のレビューの中で指摘した
例えば、電車の中でイチカが「どうしてこんなに目立ってるのか」と自問するシーンがありますが
ノーブラで乳首が立っていたから、ないしパンツはいてないことが周囲にバレたからであると考えると辻褄も合うでしょう。
といった解釈は正しかったのだと確信するに至った次第であります。
イチカ先輩は、料理のセンスやコミュニケーションの作法など、常に何か「間違っているかもしれない」ということが強調されてきましたから、地球にやって来る際に「間違って」ノーパン/ノーブラで来てしまったとしても、何らおかしな話ではありません。
繰り返しになりますが、結論として「一話の時点ではイチカ先輩はパンツをはいていなかった」と断言させて頂きます。
(美桜によって提起された「パンツとは何のためのものか」問題はまた別の機会に考えましょう)
・キュアピースの亀頭問題(スマイルプリキュア!)
キュアピースさんといえば亀頭に酷似したヘアースタイルが話題となっていますが、その話をする前に、二年前に放映された「ハートキャッチプリキュア」を思い出さなければなりません。
ハートキャッチプリキュア!に学ぶ新しい保健体育のはなし
~前略~
“女性器”の暗喩として語られることの多い“花”という要素が、物語に密接に関わっていることも決して無視することは出来ません。
世の男性諸君のお楽しみ、“変身シーン”なんかでは、花ビラの舞う中で刺激的な格好をしたお姉ちゃんが“回転”するわけですから
これはどう控え目に見ても花ビラ大回転のメタファー以外には考えられません。
~中略~
あるいは、第三話なんかでは、蒼の子キュアマリンによる盛大な潮吹きが描かれたりもしました。
このようにして見ると、“花咲つぼみ”という主人公の名前にしても、もはや女性器のビラビラ及びクリトリスの隠喩であるとしか思えません。
以上のように、「ハートキャッチ」では「女性器」をモチーフにしたキャラクター造形がなされておりました。であれば、逆に「男性器」を模したキャラクターが登場するのも決して不自然ではなく、その存在を肯定するのは難しい話ではありません。
むしろ、我々は今、テレビの前の女児たちに向けて無修正の亀頭が露出されている意味をこそ考えるべきなのでしょう。
そのためには、昨年放映の「スイートプリキュア」、そしてもう一度「ハートキャッチプリキュア」を振り返る必要があります。
キュアミューズさん。
御年9歳のょぅι゛ょ。
キュアフラワーさん。
御年67歳のろぅι゛ょ。
彼女ら二人のプリキュアの存在を考えることによって、キュアピースさんの存在意義が見えてきます。
キュアフラワーさんとキュアミューズさんの共通点は、他のプリキュアたちとの極端な年齢差です。この年齢設定には大きな意味があり、9歳のょぅι゛ょは生理が来ていない可能性がきわめて高く、また67歳のろぅι゛ょは一般的に考えて既に閉経しています。
つまり、この二人の存在によって、「プリキュアに変身するのに生理は関係ない」という結論が導き出されます。
そして、生理がなくてもプリキュアに変身できるということは、「男の娘」であってもプリキュアに変身できる可能性が高い、ということになります。将来的に、男の娘プリキュアの参戦もあり得るわけです。
とはいえ、女子であることが前提とされている風潮の中、いきなり男の娘が登場すればテレビの前のちびっ子たちは少なからず動揺するでしょう。もしかしたら混乱のあまり泣き出してしまう子もいるかもしれません。
そこで、キュアピースさんです。
つまり、男の娘プリキュアを出す前段階として、まずは視覚的に男根に慣れてもらおうというわけです。
性別はあくまで女子として、しかしそのビジュアルで男性的なシンボルを表現することで、男の娘プリキュアをスムーズに挿入するための愛液あるいは先走り汁的な役割を期待され生み出されたのが、キュアピースさんなのです。
「ハートキャッチ」の公式サイトで、えりか様のプロフィール欄に「たまたまにキズ」という表記を確認した方は多いかと存じますが、思えばその頃から東映は「男の娘プリキュア」の参戦を計画していたのかもしれません。
以上。
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2012年冬期新作アニメレビュー(2) 『パイコキ/いぬぼく』 2012.01.28
・パパのいうことを聞きなさい!
第三話の話です。
ひなの「ハミケツ」発言に続いての「マン◯ーフェア」は、確かに三種類のマン◯ー(無毛/薄毛/有毛)が揃い踏みしているとは言え、さすがにちょっとあざとすぎるのではないかと思いますが
さらに続く「カレーフェア」は後の重要な伏線になっていました。
その伏線は、おいたんの家に到着したあと、カラオケボックスでの食事シーンと対比するかのようになされた便所のシーンへと繋がっています。
ここではまず、排泄時の音が漏れ聞こえていた(注:漏れたのは音であり排泄物ではない)ことが告げられ、続いて、何らかの物質が残留している可能性が指摘されました。
「ちゃんと流した」と申告されているので、固体(または液体)の物質である可能性はきわめて低いでしょう。であれば、この時便所の中に残っているのは「におい」であると考えて間違いありません。
以前に「未来日記」の記事でも述べましたが、読者諸兄もご存知のとおり、「小」の方であれば即座に「におい」が発生することはありません。(むしろ、時間が経ってからのほうがにおいが検出される可能性が高くなるので、女性が「小」をしたあとには間髪入れずすぐに入るのが正しい紳士のエチケットと言えるでしょう。)
結論としては空が排泄したのは「大」の方、つまり「カレー」に準ずる方であったと言えます。
そもそも、先述の「カレーフェア」を行なっていたカラオケボックスというのも
明らかに「BIG ECHO」を模した店であり、この時点ですでに「BIGな方」であることが示唆されていました。
と、こうした便所に関する音やにおいの問題は、同居ハーレムものであれば絶対に描かれなければならない事項であるはずなのですが、この手のアニメではなぜかスルーされることも少なくありません。そうした中、この作品では第二話の段階から
「女の子専用便所」の存在を宣言するなど、便所問題に関しての意識の高さには目を見張るものがあり、単なるクソハーレムラノベとは一線を画す作品になるのではないかと、期待せざるを得ません。
今後も便所に対するシンシな姿勢を貫き通してほしいものです。(それにしても、一話でのお風呂ハプニングといい件の便所ハプニングといい、この長女は順当にヨゴレ芸人の道を歩んでいるとしか思えないのですが……)
・妖狐×僕SS
個人的に今期一番の大穴だったのがこの作品なんですが、終始トイレットペーパーが宙を舞うという事態にも驚きましたし
そのトイレットペーパーがカレーうどんを持ち運んだり、飛び散ったカレーの汁を拭き取る描写など、ユーモアに富んでいながらどこかアイロニカルでもあり、既存の便所観に対してきわめて高い批評性を帯びています。
またこの第二話のアバンでは、発狂しそうなぐらいに可愛らしいりりちよ様が、通常の人間と同じように「排泄する身体」の持ち主であることが述べられました。
妖怪の先祖返りであっても普通の人間と同じように便所に行くという描写は、その身体構造に人間と変わりない膀胱や胃腸が付与されている可能性を示唆しています。また、「普通の人間と同じ身体構造」という点から、生理や陰毛の有無に関する議論にも跳躍することが出来るでしょうから、ほんの数秒程度であれど重要なシーンでした。
第三話においては、全身複雑骨折しそうなぐらいに可愛らしいりりちよ様とその犬がセルフマーキングを行うという描写がなされました。
全身の毛穴から体中の水分が溢れ出そうなぐらいに可愛らしいりりちよ様が、飼い犬の不始末のために自らその身体に液体をぶっかけあそばせられたのです。またその行為への返礼として犬の方も液体によるセルフマーキングを行いました。
水のイメージというのは一話から繰り返し描かれていましたが
回想シーンでの水ぶっかけプレイが周囲の人間によって強制的に行われていたのに対し、件のぶっかけは自らの意志によって行われました。「マーキングされる」のではなく、自分自身をマーキングすることで自己の肯定/承認を行うわけです。
まあ承認がどうとかそういうことはどうでもよいのですが、ご主人様と犬の関係性について常日頃から模索し続けている我々にとって、このセルフマーキングの儀式は一考の余地があるのではないでしょうか。もちろん、ここでの「液体」が何のメタファーであったのかは論じるまでもありません。
ところで、画面の中を縦横無尽に飛び回るトイレットペーパーに関してですが、ペーパーであると同時に、一反木綿の名の通り「コットン」としての性質も当然兼ね備えているのでしょうから、輪廻の壁を越え前世の記憶が蘇りそうなぐらいに可愛らしいりりちよ様が小学生あるいは中学生だった頃に、突然おまたから血が出てきて動揺しているところをすかさずサポートしたり、以降も必要に応じて横モレ防止などしているものと思われます。一応「まだ」の可能性も残されていますが、その場合でもやはり、彼のサイドギャザーな性質は大いに役立つはずです。面倒見の良さそうな人ですし(実際に幼い頃から面倒を見ていたようですし)、多い日も安心なのでしょう。
さて、他に論じるべき問題として「ブラジャー問題」があったり、第三話の次回予告においては体内の臓器がすべて口から出てきそうなぐらいに可愛らしいりりちよ様が何らかの意を我慢して足をモジモジしているようなカットがありましたし
今後もこの卑しい目を離すことが出来ない作品となりそうですが、とりあえず今日のところは眼球が潰れて新たな器官が生えてきそうなぐらいに可愛らしいりりちよ様のご尊顔を舐め回しながら締めたく思います。以上。
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2012年冬期新作アニメレビュー 『アクエリオン/夏待ち』 2012.01.13
第一話の段階での疑問点、問題点を挙げていきます。
とは言え、まだまだ始まったばかりなので、現時点で何かしらの結論など出せるはずもなく、今後それらの謎が解明されるのか、あるいはされないのかさえ不透明でありますが、作品を見続ける上での一つの指針にはなるかもしれません。
・アクエリオンEVOL/なにが柔らかかったのか
一時期話題となったロボットギャグアニメの続編ですが、シリーズ構成が岡田麿里さんということで、何かあるだろうとは思っていましたが、やはり初っ端から飛ばしてきましたね。
ペーパーの位置から察するに和式便器としての使い方が正しいのでしょうね。
この独特のデザインは誰の手によるものか、というのも気になりますが、便所に行く前には、「排泄」の対概念としての「食事」が描かれていたことを指摘せねばなりません。
また、よりによって便所の中にいる時にアブダクターが襲ってくる、という流れは、3.11の震災を経験した我々にとって決して軽視できない問題提起となっています。
つまり、便所に篭っている最中に災害が起こったとき、我々はどのように行動すべきか、というクエスチョンです。
もちろん正解は、手など洗わずに即座に女の子の元に駆け寄る、です。
災害に直面した際には、手を洗っている暇などないのです。手は洗わずに、しっかりと愛する女性を抱きとめましょう。
ところで話は飛びますが、なんやかんやで男女による創生合体を行ったあと、いくつかのピンチを経て、「ミコノさんの手のひらって小さくてスベスベであったかくてやわらかああああい!」と絶頂するシーンがあったのですが
ここで、本当に柔らかかったのは何なのか、という疑問が出てきます。
もちろん、アマタの台詞をそのまま受け取るとそれは「手のひら」ということになるわけですが、前提として、この作品では性的な文言はすべて「合体」などの他の用語に置き換えられている、あるいはエクスタシーの表現なども光る羽として演出されたりなど、あらゆる言葉がそのままの意味には受け取れないということは念頭に置かねばなりません。
つまり、この「手のひら」も、何らかの隠語である可能性を捨て切れないわけです。
では、実際のところ何が柔らかかったのでしょうか。
これはあくまで仮説にすぎませんが、もしかしたらミコノはうんこを漏らしていたのではないかと考えられます。以下がその論拠です。
まず、当初ネオ・ディーバでは男女による合体を禁止されていました。アクエリアの合体は必然的に男×男もしくは女×女の組み合わせになります。
この作品における「合体」とはセックスであるというのは今さら言うまでもありませんが、女女はともかく男男による合体はアナルを使う以外にありません。また、女性陣に関しても、創世合体の際のゼシカのコメント「ずっと大切にしてきた何かが~」から、膣性交ではなくアナルを使っていたことが読み取れます。これまでは男女共にアナルセックスを行なっていたわけです。
ではなぜアナルなのか、それはアナルに「栓をする」必要があったからではないでしょうか。つまり、場合によっては中毒になるほどの快感を伴う「合体」を行う際には、その快感によって肛門が緩んでしまいうんこを漏らしてしまう可能性があると、だから、栓をするという意味も込めて普段はアナルによる合体を行なっていた、と。
そう考えると、「創世合体」というのも、実は「男女による合体」のことではなく、「性器による合体」のことを指すのではないか、何なら性器と創世記が掛け言葉になっているのではないか、といったところまで飛躍してもしまいますが、そのあたりはまあ置いておいて、ともかく、普段はアナルに栓をしていた彼ら彼女らが、初めて性器による合体を行ったと、そしてその快感によって肛門が開放され、うんこを漏らしてしまった、というのはある程度納得のいく解釈ではないでしょうか。(もちろんこの場合、ミコノだけでなくゼシカやカイエンも漏らしていた可能性は高い。)
そして、そのミコノのうんこが「やわらかあああい」状態、すなわち、固形として完成していない、全力で未完成なうんこであったと。
事前にアイスを食べていたことを考えると柔らかくなるのも致し方ありませんよね。(そのほとんどはペットの謎生物に食べられたみたいですが。)
創世合体直後のカグラによる「凄まじく臭い」という評価であったり、最初のアブダクター襲撃の際に、真っ先にミコノのケツの部分をチェックしていたのも、なんとなく頷ける気がします。
というような妄想をしておりますが、先ほども述べた通り、まだ一話を見ただけでの仮定の話ですので、今後ひっくり返る可能性は山ほど残されているわけで、それらを確認するためにも(決してエロやキャラ萌え目的ではなく)継続して視聴しなければなりません。
・あの夏で待ってる/パンツはどこへ消えた?
どうしても腑に落ちないカットが一つ、イチカがお風呂に入っている時に映し出された脱ぎたての衣服。
その中にパンツとブラが見当たりません。通常であれば、パンツやブラは最後に脱ぐ=一番上に積み上げられるものですが、そこに描かれていたのはあたかも最初からパンツやブラなど存在しなかったかのような光景です。
女性特有のエチケットとして、衣服の中に隠す、という可能性も考えられなくはないですが
平気で風呂のドアを開けるような女性がそのような発想を持ちあわせているとは考えられません。
すなわち、イチカは最初からノーパン/ノーブラだった、またはこの世界には下着という概念が存在しない、このどちらかということになります。(上記のカットで、海人が持ってきた着替えの中に下着がなかった、というのも気になりますが、そこはまあ、下着まで姉のを貸そうとは普通思わないだろうということで納得はできます。)
あるいは単なる作画ミス、と断じてしまうことも出来るかもしれませんが、初回からスク水描写やお風呂上がりハプニングなど
紳士的な意識の高さを伺わせる作品ですので、ただ描き忘れたのではなく何らかの意図があるのではないかと疑ってしまうのが人の性というものでしょう。
今のところは二つの可能性の内、イチカだけがブラつけてない/パンツはいてない説が濃厚ではないかと睨んでいます。明らかに人外キャラであるイチカは、何か「間違っている」部分がないかをしきりに気にしています。逆に言えばこれは「どこか間違っている可能性がある」ことを示唆しています。つまり、全員が下着を着用していない(下着という概念がない)のではなく、イチカだけが「間違っている=下着を持っていない」かもしれないという話です。
例えば、電車の中でイチカが「どうしてこんなに目立ってるのか」と自問するシーンがありますが
ノーブラで乳首が立っていたから、ないしパンツはいてないことが周囲にバレたからであると考えると辻褄も合うでしょう。
下着という概念の不在もまだ完全に否定はできませんが、何か「間違っているかもしれない」イチカの常識と、周囲の常識との乖離というのも、この作品の一つの面白み(あるいは萌え要素)となるのでしょうから、やはり作品世界の常識は現実世界に根ざしたものであると考えるのが妥当でしょうか。
逆に、「下着という概念が存在しない世界」とはどのようなものか、そうした世界に水着という概念は生まれ得るか、といったようなことを考察するのもまた一興ではありますが。
何れにせよ、今後このパンツの行方が解明されるのを期待しつつ、新年の幕開け早々からこのようにパンツの存在を深く考えさせられる有意義な作品に出会えたのは大変喜ばしいことなのでありましょうね。
以上、アクエリオン及び夏待ちのステマ記事でした。
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