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TOP > 未分類 > Hauptharmonie『Herz uber Kopf』の感想文

Hauptharmonie『Herz uber Kopf』の感想文   2016.08.01



 去る90年代、Jamiroquaiやcorduroyといったアシッドジャズ・ナンバーを流しながらパツキンのチャンネーを乗せてフェアレディZで夕暮れの海岸線を疾走した思い出を持つのは僕だけではないでしょう。
 あの頃の輝かしい思い出が鮮やかに蘇ってくるような、もちろん、当時の僕はまだ小学生でしたので、上記は架空の思い出なのでありますが、そんな架空の思い出が鮮やかに描き出される超クールなバンド、Suchmosをご存知でしょうか。





 Jamiroquaiとcorduroyに育てられたと言っても過言ではない僕の世代にはドンピシャです。声に出して読みたい日本語2016年第1位は「日本人離れしたグルーヴ感」で確定です。
 ちなみに僕は椎名へきると林原めぐみに育てられました。

 さて、2016年はSuchmosだけ聴いていればいいと思っていた僕の前に現れたのがHauptharmonieというアイドルグループです。7月にリリースされたアルバム『Herz uber Kopf』は皆さんもちろん買いましたよね。



 これは散々言われていることですが、現在のポピュラー音楽、とりわけロックシーンにおいてはいわゆる四つ打ちのダンスビートが主流になっています。具体的にはASIAN KUNG-FU GENERATIONが出てきて以降、最近ではキュウソネコカミやKANA-BOON、フレデリックなどがそれです。アイドルにおいても、AKB48やEXILEなど、だいたい売れている人たちはダンスビートに魂を売り渡しています。
 ダンスビートの曲は、単にノリが良いというよりは、ノリの良さを錯覚させてある種の洗脳状態にして強制的に躍らせることに重点が置かれており、確かに何となく盛り上がりたいときには良いかもしれませんが、面白みにはいささか欠けているような気がします。
 そして、ラジオや有線など、そういうちょっと面白みに欠ける四つ打ちロックが大量に流されている中で出てきた貴重な変態ビートがSuchmosでありHauptharmonieなのです。わかりやすい四つ打ちダンスビートと違って“裏”でノルには才能が必要です。Hauptharmonieはアイドル界にとってもJ-POP界にとっても重要な存在です。



 ところで、Hauptharmonieの楽曲はアンチ四つ打ちの捻くれたビートもさることながら、そこに乗っかるヴォーカルがあくまでアイドルポップであるというところにとても面白さを感じます。というのも、現在のアイドルシーンではどうもパンクとかスカとか、そういう既存の楽曲ジャンルに「アイドルポップ」を重ね合わせるのが流行っている印象があり、それがとても面白い現象に感じるのです。
 「重ね合わせる」というのは、ジャンルの「融合」という意味ではありません。「上乗せ」と言ったほうがよいでしょうか、様々なジャンルの楽曲の中にアイドルポップを溶け込ませるのではなく、確固としてアイドルの形を残したままの上乗せ。かけ算ではなくたし算。アイドルの形とは具体的にいえば、きゃぴきゃぴした可愛らしい声とか、ファンが合いの手を入れやすそうな隙間とか、ちょっとだけ下手だったりとか、衣装やダンスなんかも含めて、「いかにもアイドル」といった、そういう部分です。
 そしてそうした現象はどうやらPerfumeがテクノとアイドルポップの組み合わせで成功して以降だという認識で間違いないかと思われますが、例えばBABYMETALにしても、やはりヴォーカルの部分=アイドルの部分は単体で成立している必要があり、それが楽曲の魅力を最大限に引き出すための装置になっていると確信できます。
 ちなみに、メタルとアイドルはとても親和性が高いです。なぜなら、メタルを聴いている人は概ね女の子にモテないしオタクだからです。

■メタル+アイドルポップ=BABYMETAL


■ハウス・ダブステップ+アイドルポップ=ゆくえしれずつれづれ


■パンク・メロコア+アイドルポップ=BiSH


■ラウドロック+アイドルポップ=PassCode


 他にも、ヒップホップ+アイドルのlyrical school、ディスコミュージック+アイドルのEspeciaなど、思えばモーニング娘。から石川さんがいなくなったあたりでアイドルの情報が完全に止まっていた僕にはとても新鮮にうつり、かように現代のアイドルは多様化しているのかと驚いたわけです。というか、モーニング娘。もロックミュージックにアイドルポップを乗せる先駆けだったと言えそうですが、いずれもがやはり、「アイドルであること」さらに突き詰めると「アイドルが歌っていること」から絶対に外れないよう、きわめて慎重にミックスされていることがわかります。
 「アイドルっぽくない」バックトラックと「アイドル然とした」ヴォーカル・コーラスの差異が大きければ大きいほど、つまり違和感が大きいほど、良い悪い・好き嫌いは別にして、明らかに耳に引っかかりやすくはなりますので、上記で挙げたようなアイドルたちは正しい戦略のもとでプロデュースされているといえます。
 例えば、現在世界中のホールを席巻しているBABYMETALですが、これが普通に革ジャン着て直立不動でゴリゴリのメタルソングを歌っていたら、北欧あたりではどうかわかりませんがアメリカや日本では見向きもされなかったでしょうし、逆にあれだけキレキレのダンスとヴォーカルを駆使しても、それこそ四つ打ちダンスビートのAKBみたいな曲を踊っていたら今のような人気は獲得できなかったかもしれません。
 また、個性という点においても、楽曲ジャンルとアイドルであることとの乖離が重要な役割を果たしているといえます。つまり、「アイドルである部分」に関してある程度共通していても、それが乗っかる土台の部分での差別化がより際立つということです。バックトラックに比べてヴォーカルの部分が「アイドル的」ではなく「アイドルそのもの」であることこそが楽曲の個性を際立たせる構造になっているのです。ですので、「融合」ではなくやはり「重ね合わせ」が重要だといえます。

 以上を踏まえた上で、Hauptharmonieのアルバム『Herz uber Kopf』を拝聴しますと、全体的にはスカ、ファンク、ブルースといった“裏ノリ”系の楽曲の合間合間で時おり露骨なアイドルポップソングが姿をあらわす構成になっており、楽曲単位のみならず、アルバム1枚という括りの中で「アイドルっぽくなさ」と「アイドルっぽさ」が両立しています。具体的には、『Kidnapper Blues~人攫いの憂鬱~』のクールさと『パラレルワープ』のポップさが互いをより際立たせるといったかたちです。ラストを飾る『春夏秋冬』と『国王』の流れもわかりやすいかと思います。
 ここまで振り幅の大きい構成はなかなか珍しいのではないでしょうか。1枚のCDの中でジャンルの横断が行われることはままありますが、楽曲同士が互いを刺激し合い補完し合うよう計算されたものはそうそうお目にかかれません。
 というか、色々述べてはきましたが、振り幅の大きさは単純に聴いていて飽きない優れた構成であるといえますし、つまるところ結論としてはアイドル史において永劫に語り継がれるべき名盤だからこんな記事読んでる暇があったらさっさと買って聴け、ということであります。
 なお、『Kidnapper Blues~人攫いの憂鬱~』に関しては個別に色々言いたいことがありますので、気が向いたら何か書くかもしれません。

以上。

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