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TOP > 2011年春期アニメ > 可視化される不可視性~メタ・パンツはいてない~ 『Aチャンネル』
可視化される不可視性~メタ・パンツはいてない~ 『Aチャンネル』 2011.05.28
Aチャンネルの話題です。
第8話で描かれた興味深い現象は、同時にこの作品のありようが提示されてもいました。
ここでは、窓(フレーム)の外にいるトオルたちの様子を、ユタカとミポリンが実況する、という描写がなされました。
渡り廊下で戯れるトオルやるんちゃんらの姿は、我々(=視聴者)には見えず、ユタカら観察者の解説によってのみその様子を窺い知ることができます。
その際、我々は、彼女らの実況によって、「るんちゃんに近づいた男子生徒を金属バットで追い払うトオルの姿」を容易に想像することができたでしょう。なぜならば、そうしたトオルの姿はこれまでにも繰り返し描かれてきており、我々の脳裏にしっかりと映像として記憶されているからに他なりません。
そういった、反復による映像の刷り込みに関してはさて置き、まずは画面内で起こっている出来事に着目します。
先ほどは「窓(フレーム)の外にいるトオルたちの様子をユタカとミポリンが実況する」と述べましたが、実際には、「窓の外側」にいるのはユタカたちの方で、「内側」にいるのがトオルたちになります。ユタカたちは「窓」というフレーム内(=画面内)で繰り広げられる光景を観察していたわけです。
つまり、「トオルたち<を観察するユタカたち<を観察する視聴者」という二層構造のレイヤーが出来上がっていたと言えます。
そしてそのことは、最後の、トオルとるんちゃんが仲直りするシーンでも描かれていました。
ここでも窓というフレーム(=画面)越しに青春の1ページを観察するユタカたちの姿が描かれています。
実はこのAチャンネルという物語は、トオルたち主役グループに対する外部の観察者、すなわちユタカ、ミポリンのコンビであったり、佐藤先生、亀頭先生ら教師陣であったり、そういったキャラクターたちが観測することによって初めてその存在が表出している、つまり、彼らサブキャラの存在なしには我々視聴者はこの感動的な青春物語を感知/視聴することは不可能なのである!キリといったようなトンデモ理論を展開するつもりは毛頭ありません。が、少し時系列を遡りつつ、この作品の二重レイヤーについて考えてみるのも決して無駄にはならないでしょう。
例えば、第3話において描かれた生着替えイベントでは
「はいてない」というきわめてメタな発言がなされましたし、第2話では、パンツはき忘れ事件が描かれてもいました。
これらの言動に、「えっ、普段はパンツはいてたの!?」と少なからず驚いた視聴者は多いでしょう。
それもそのはず、公式サイトのトップ絵を見てもそうですし、第1話の時点で既にこの作品が「パンツはいてない」アニメであることは示されていたわけです。
あるいは、同じく第2話では、「パンツはいてない」に続いて「ブラつけてない」までもが描写されていましたよね。
雨に濡れてビショビショになってもブラのラインが浮き彫りにならない、という現象によって「ブラつけてない」が浮き彫りになったわけです。
より直接的には、着替えとして用意された衣服の中に明らかにブラやパンツがなかったり
制服を乾かしている間、明らかにブラつけてないわけですが
干している衣服群の中に下着類が見当たらないなど、彼女たちのあいだには下着という概念は存在しないのではないかと疑ってもしまいます。
にも関わらず、第5話においては、ユー子とナギの間で「ブラのサイズ談義」が行われるなど、もはや我々は「はいてない/つけてない」と「はいてる/つけてる」の間を右往左往する他ありません。
そこがこの作品のミソなのです。
つまり、この作品では、キャラクターたちの下着の有無は、キャラクター自身による申告に委ねられているわけです。(先の「はいてない」発言や、「パンツはき忘れ」は、逆説的に「普段はパンツはいている」と受け取れる)
そしてそのことが、先述の二重レイヤー問題につながります。
我々が「画面」を通して見ている「パンツはいてない」は、実際には「パンツ描いてない」だけであり、キャラクターという観測者によって報告されて初めて「パンツをはいていない状態」が見えるようになります。
作品内で言及されることで不可視であることが可視化されるわけです。
「メタ・パンツはいてない」の誕生です。(実は歴史的な瞬間に勃ち会っているのですよ!)
こういった、視聴者との間に咬まされるレイヤーの存在は、OPの映像によって示唆されています。
メインのキャラそれぞれが携帯の待ち受け画面から他のキャラを見ているという構図です。
この作品が、キャラ←キャラ←視聴者というダブルストーキング状態になっていることがあらわされていますよね。
加えて言えば、「Aチャンネル」というタイトルにも、何かメタなニュアンスを感じ取ることができるでしょうし、前述のような「メタ・パンツはいてない」が、(パンツはいてないアニメの先駆けである「咲-Saki-」の監督)小野学監督によって行われたことに意義を感じる人も多いでしょう。
これまで、「パンツじゃないから恥ずかしくない」の文脈は、いくつかの派生表現が生まれてきましたが、「パンツはいてないから恥ずかしくない」に関しては、それほど多く言及されることがありませんでした。
そんな中、小野学監督みずからによって描かれた「はいてない」の可視化は、今後のパンツ業界にとっても重要な表現となるでしょう。
我々は今、あらためてパンツの存在を問われています。
以上。
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夏休みが終わり久しぶりに学校に登校するユー子。そんなユー子を校門で待ち受けていたのは、鬼頭先生でした。かなり、うざいですね。
ゼロから | 2011.05.29